コトバと思考の深さの関係



よく言われるのが、「思考の深さは、言語力に比例する」ということ。海外在住の人が、英語漬けで生活していると「思考が浅くなったな-」、と感じることが多いらしい。まあポク自身はエイゴケンにいるからさがったと感じるほどの高尚な思考は持ち合わせてないけど(ノ><)ノ

でも、確かに、一理ある気がする。世界をいろいろなコトバで表現できるからこそ、アナロジーも使い易いし、言語というツ-ルを使うときの負荷も軽く、その分「考える」という部分にチカラを注げる。

でも、母国語だから、ロジックをなんとなくごまかしても、それっぽく聞こえてしまうことも多い。まわりを綺麗にコトバで飾り立ててあげると、何故か中身までクオリティの高いものに見えてしまうこともある。特に、日本語なのに、無駄に英語が多かったりすると、その傾向が強いかも。カタカナ語は使ってて気分わるくもないし、僕もよく使ってしまうけど、なんか無駄なコトバも結構ある気がする。よく陥りがちな罠だっ(゜o゜)\(-_-)

もちろん、コトバを紡ぎ出す楽しみと心地よさでは母国語の方が上かもしれない。だけど、「じゃあ本当に中身にあるものは何ですか?」と自分に聞いたとき、英語の方が中身があったりするのかもしれない。相手が違う文化の人だと「こんなイメージ」みたいなのが使えない。

日本語の場合、そういった頭にあるものをそのまま出してしまってもなんとかなることが多いけど、英語で抽象的なコンセプトを伝えたいときは、頭で練り直す必要がある。そういった意味で産みの苦しみみたいな感じもあり、英語だからって思考のクオリティが下がるわけじゃないのかも、と思ってみたり。

ま-でも、何も考えずに、英語をつぎつぎと紡ぎだすのが心地よい、みたいなレベルになりたいものです(#^.^#)
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by sipoftip | 2008-03-11 21:16 | 雑感


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