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40秒キス

「僕が大学生のとき、とても可愛くて気になる女友達がいた。その子と話していたら、何かのきっかけで司法試験の話になった。

俺も受けようかな~とか言ってたら、女の子から冗談交じりに

『もし司法試験に受かったら●●君と40秒キスをしてもいいよ』

と言われた。

それで僕は突如、司法試験を受けることにした。とても勉強したね。キスしたかったから。

たとえば、正義を実現するとか人を助けるとか、そういった崇高な目標を掲げて勉強する人もいる。だけど、そういう人はつらい試験勉強において、

『自分がやらなくても、他の誰かが人助けや正義の実現をしてくれるならそれでいいや。特に自分である必要がないかも』

といって妥協したり、諦めてしまう。

だけど、40秒キスは、自分がやらなきゃ意味がない。人助けや正義と違って、他の人に実現されちゃむしろ困る問題だからね。」

ある弁護士と飲んだときに聞いた話。どこまで真実かわかりませんが(笑)、話自体は本質を突いていると思います。

動機って、それが①具体的なほど、そして②個人的なほど、人を強く動かすものではないかと思います。

逆に、崇高な目的を掲げて頑張っている人も、自分を捨ているわけではないのではないでしょうか。「人を救う」とか「正義を実現する」とかそれに貢献することにより自己実現をし、それによって快楽・脳内麻薬を得ているのではないかと。(養老先生の「脳内革命」にあった考え方でもありますが。)

自分も「国際社会に貢献したい」という崇高な気持ち(?)はあるものの、そういったことをする自分の方が(自分的に)高く評価でき満足度が高まるからという終着点があるはず。ボランティアをしている人の心理状態も多かれ少なかれ、同じなのではないでしょうか。

Corporate Monsterをより大きくするような投資案件ばかりに携わる今の仕事が「ずっと続けたい仕事」ではなくように感じ、その結果、ある種の「もどかしさ」を感じる今日この頃。お金を稼ぐ以上に何かに貢献できることをしたい、と思ってきて今まで来ています。でも、例えば国際公務員になることで40秒キスが得られるか、いまいち見えてきていません。

自分にとっての40秒キスは何だろう?漠然とそんなことを頭の片隅で考えながら、
毎日を過ごしています。

でも、その人にとっての40秒キスは常に同じではない。

司法試験から研修所に入ったとき、研修所から事務所に入ったとき、それぞれ違う世界(そしてある意味よりレベルの高い世界)に来たと感じ、それなりに刺激に満ちていました。でも、刺激は慣れていくもの。

きっと、その人にとっての40秒キスは、その時々によって移ろい、人はそれを追い続けるものなのかもしれません。
by sipoftip | 2007-10-23 13:38 | 雑感


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