ゴミ箱からのインスピレーション-「悩む」と「考える」-11月7日


「考える」と「悩む」は、似ている分だけ区別が難しいが、
僕の中でのイメージはこう↓


「考える」とは、①収集された情報の整理、②整理された情報
の分析とシュミレーション、③それに基づく意思決定までの
一連のプロセスに分けられるイメージ

「悩む」とは、通常必要な時間を超えて意思決定に要した状態を
いうイメージ。あるいは、本当は必要な①整理、②分析の作業を
すっとばしている場合にも起こる現象という印象だ。



これを前提にすると、「悩む」ことは時間の無駄で、その時間を
なるべく短くした方が合理的かもしれない。

両者はとっても似ているので厄介だ。

でも、自分がいま上記①から③のどのフェーズに
いるのかをもう少し上手く意識して自分をマネジメントできれば
よいかもしれないと感じる、今日この頃(・・;)




ちなみに、「迷う」とは、「悩む」とは結構似ていると思う。
でも、「迷う」は、時として様々な選択肢にイマジネーションを馳せる
贅沢な時間を意味する場合もあると思う。両方に魅力を感じているから
迷うのだ。

パスタにするかピザにするか、
チョコレートケーキかモンブランか、赤ワインか白ワインか・・・・
からどうキャリアを進めて、どうカードを切るかまで。

これを意識的に楽しむのは、ある意味でとても贅沢だ。




ただ、いずれにしても、「悩む」(or「迷う」)ときには、自分がそのモードにはまっていることが多い。だから、「考える」ことと区別するためには、別の角度から自分を見ないと。さしずめ、プレーヤーでありながらコートを俯瞰するロナウジーニョのように(・0・)。


まあ、でも、良く分からなくなったら、とりあえず笑い飛ばしてしまえばよいんじゃないかな。

こんな風に↓

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# by sipoftip | 2008-11-08 01:27 | 雑感

Optionのコストとトマト-11月6日-



It is always good to have options.


悪くない。Optionを持つことでいざというときのリスクがヘッジできるから。
でも、ときとして、Optionをキープするためにかかったコストがその陰に隠れてしまう。

おそらくこれは僕の天敵の一つ。意識的に気をつけなくては。

とりあえず、トマトでも食べるか。



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# by sipoftip | 2008-11-07 01:32 | 雑感

11月4日




はじまりはここから。





Barack Obama 2004 DNC Speech





いや、正確にはカンザスの裏庭から、さらに厳密には、おじいちゃんが大きな夢を抱いてアメリカに来たときから始まっていたのかもしれない。



そして、今日、11月4日

Barack Obama Acceptance Speech November 4 2008 Grant Park,
Chicago Illinois PART 1








彼が街に来てから兄は変わったの。兄は自分だって大学にいけるんだって思って、目を輝かせていたわ。

これで息子に胸を張って伝えられるんだ。お前も頑張ればいつか大統領にだってなれるんだ、ってね。



様々なところで語られたであろうコトバたち。遠くから、映像を通してだけど、彼らの中にあるものに少し触れることができた気がした。すごく価値のあるものが含まれていると感じた。今回の選挙に限らず、きっと、それは様々な表情をして、僕の周りにも色々なところに現われているだろうけれど、どのような形であっても、どのような角度からであっても、こういったものになるべく触れられるように生きていきたいなあ、と。

目の前に様々な選択肢が転がっていたり、色々なロジックが溢れているけれど、シンプルで、だけど、ぶれないモノサシを改めて確認した、そんな歴史的な11月4日。
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# by sipoftip | 2008-11-06 01:53 | 雑感

確率の対価-11月1日-



うーん、旧友や昔お世話になった人と会える楽しみにしていた久々のイベントがあって、楽しみにしていたのだけれども、ちょっと参加できず。自分も会うのを楽しみにしていたのみならず、向こうのみんなも僕に会うのを楽しみにしていてくれた(はず、笑)なだけに、非常に残念だ(><)。

症状の改善効果はあるか分からないけれど「あった方がよい」治療のために多額のオカネを払うかのように、今回のこのイベントをキャンセルする形で時間を捻出してしまった。確率の対価は高く、そして必ずしも効果が見えないことがズキズキする。イタイ(・・;)

マネージャブルであるべき性質の事柄で、こういうことを起こしてしまうと、自分の能力のなさに自己嫌悪気味になります。

でも、リソースは限られているので、何とかその場その場で自分が正しいと思う形でカードを
切っていくしかないのだな、と。

本当はあまりこういうエントリは好きではないのですが、ココロに刻むために(++)


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# by sipoftip | 2008-11-02 02:09 | 雑感

人を駆り立てるもの-10月30日-


先日親と食事をしたときに聞いたオハナシ

おばあちゃんは、薬局をやっているんだけど、今年で82歳くらいになる。
それでもって、クスリの登録販売者の試験に合格したたらしい。

登録販売者??僕も知らなかったけれど、こういう制度↓(Wiki:「登録販売者」)


登録販売者(とうろくはんばいしゃ)とは、医薬品の店舗販売業者等において、
第二類および第三類一般用医薬品を販売する際に、2009年4月より必要となる資格
(都道府県試験)である。第一回試験が東京都等で2008年8月12日に実施された。ドラッグストアなど、薬局・薬店で一般用医薬品の販売を薬剤師とともに担う。既に薬種商として営業している者は登録販売者としてみなされる。



制度ができた経緯はざっとこんな感じらしい↓

2006年の薬事法改正で薬種商制度が廃止され、登録販売者制度が創設された。これは実務経験等の条件を満たせば誰でも受験できるものであり、免許も個人に与えられるものとなった。また、一般用医薬品の95%以上が第二類および第三類医薬品に指定されることから、ドラッグストアチェーンなどが社員を大量に受験させ、店舗網の拡大や24時間販売に利用するほか、薬剤師のいない店舗を設置して人件費抑制につなげようとする動きもみせている。このほか、ドラッグストア業界以外の異業種が参入するのではないかとの見方もある。



さて、「ドラッグストア業界以外の異業種が参入するのではないかとの見方もある。」
とありますが、82歳のおばあちゃんが参入するとはさすがに予想外でしょう。


冗談はさておき、自分が82歳になって、新たに勉強をして、必ずしも合格率が高いとはいえない試験に挑戦するだろうか?周りにいるほかの82歳の方を見ても、そんな人はなかなかいない。

まったく脱帽である。。。。(・・)。ちなみに、おばあちゃん、よく勉強会とかにも参加しているし、
非常に勉強熱心、というか勉強好きなのだ。


「えらいねー。」


うん、僕もそう思う。はて、でも何がえらいのか?


見習いたいものです、それはそうだ、だけど、ちょっとそれは月並みなコメントだろう。





だから、少し視点を変えてみる。




何がそんなにおばあちゃんを駆り立てるのか?


そこに興味があったので、少しそちらに視点を移してみようと思う。



おばあちゃんは、戦争世代。時は1940年代半ばに遡る。


おじいちゃんは、あまりカラダが強くなく、赤紙が来るのが遅かった。



それは今の僕らの世代からみれば幸運なことだけど、御国のために戦争にいけないというのは
かなり心苦しかったらしい。やはり天皇に仕えて命をささげるものが英雄だったのだろうか。
少なくとも、おじいちゃんはそういった陽の当たる場所からは少し遠いところにいたようだ。



けれど、そんなおじいちゃんにも、ついに赤紙が来た。


海軍に招集されたらしい。



早期に戦争に招集された体の丈夫な輝かしいワカモノに比べれば遅れをとってしまい、遅めの出陣ではあったけれど、おじいちゃんも軍艦に乗って出港することになった。



しばらく待機が続く。出港すれば、なかなか生きては帰ってはこれない心境の中、待ち続けたらしい。出陣することが誉れだけれども、行くと帰ってこれる保証はまったくない。



そんな状況はどのような感じなのだろう。



きっと、周りのみんなが思うように誉れを待っとくすべく、早期の出陣を望む一方で、カラダに
染み付いた死の恐怖が本能的にそれをとどめるのだろうか。


そんな宙ぶらりんな時を過ごしつつも、ついに出港の命令が下ったらしい。


出港が決まる。晴れ晴れしい舞台に向かう青年として送られたのだろうか。もう会えないかも知れない家族との別れも済ませ、ついに出港の日が来た。



出港当日




船に向かって港から船につながる階段を登っているとき、まさにその瞬間に終戦のアナウンスがされたんだとか。





以上に述べた、おじいちゃんが結局戦争に行かなかったという話は小学校のときに母親から聞いた。





そんな時代



おばあちゃんはその大きな声でよく言ったものだ。





「新宿にはよく狸が出てたわよ!」




そんな時代、勉強どころではなかったに違いない。





おばあちゃんは、当時の女性としては珍しく、大学を出ている。これはすごいこと。だけど、きっと、それでもなかなか勉強をする機会が得られなかった幼少時代の勉強への渇望が今でも続いているのかな。それとも、今は亡きおじいちゃんがその薬局に宿っていることが、クスリへの勉強のドライブとなるのか。

実際に何が自分を駆り立てているかって、失ってみないとなかなか形があるものとして認識できないことが多いから、きっとおばあちゃんに聞いても明快な答えは返ってこないかもしれない、また、仮に答えが返ってきても、実はそれ以外のおばあちゃんも気づいてない何かがある可能性も大いにある。だけど、今度会ったら何かのタイミングで聞いてみよっと。


ちなみに、おじいちゃん、これまた非常にエスプリの利いたインテリだったらしい。僕が1歳のときに他界してしまったけれど、一度会ってみたかったなあ。おばあちゃんを通じて、何かかの形でその片鱗に会っているのかもしれないけれどね。





いつでもできるや、と思いつつ、それが当たり前でないと気づくのは、それを失ったとき。


かなりの場合にこれは当てはまるけれど、おばあちゃんの話も例外ではない。


戦争の話とか、昔の話とかも、いつでも聞けるや、と小学校のときから思いつつも、いまだに聞いていない。



聞くばかりではない。逆もまた然り。


いつでも伝えられるや、と思っていても、気づいたときに残された時間は思いの外、少ないものだ。


きっと、だからこうしてブログを書いているのかな??










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# by sipoftip | 2008-10-31 00:52 | 雑感

一枚隔てた向こう側-10月29日-



いつもは光が入ってくると眩しいから、ブラインドはおろしているのだけれど、
閉ざされた空間に幾許かの心地悪さを感じてふとブラインドを上げてみた。

その広がりは、こちらとまったく違う世界。

ブラインドをほんの一枚隔てた向こうには、まったく違う世界が広がっていることもあるようだ。

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ちなみに、こうして書いている今の時点では夜の帳が下りている。


きっと、意識的に、あるいは気づかないうちに、自分の世界の周りにも色々なブラインドをおろしているに違いなくて、そのブラインドの外にある世界もめまぐるしく変っているのだろうな、と。
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# by sipoftip | 2008-10-29 17:51 | 雑感

Muzzle-10月23日-



きっと誰にでもあるもの




それは血肉になった音楽





その音楽が鳴っただけで、当時が蘇り、細胞の一つ一つが反応してしまうような、そんな音楽




きっと、父親にとってそれはBeatlesであり、母親にとってのそれはユーミンなような気もするけれど、きっと僕にとって、Smashing PumpkinsのMellon Collie and Infinite Sadnessというアルバムがそれに当たるかな、先日、Youtubeでたまたま見つけてしまって、すっごく細胞レベルでエキサイトした。


ウィキペディアによれば、「a symbol of the cycle of life and death」ゆるいコンセプトになっているとのこと。

Mellon Collie and the Infinite Sadness is a loose concept
album, with the songs intended to hang together conceptually
as a symbol of the cycle of life and death
.[8] Billy Corgan
has said that the album is based on "the human condition of
mortal sorrow
".[13] The sprawling nature of the album means
that it utilizes several different diverse styles amongst the
songs, contrasting what some critics felt was the
"one dimensional flavor" of the previous two albums.[1]



たぶん、誰しも経験することなのかもしれないけれど、小さなときから死というものに敏感だった。

死とはコンセプチュアルなようでいて、とても身近。日常生活の中でも、すべり台とかで、「あ、ここでこうやって落ちたら死ぬんだ。そしたら、どうなるんだろう。」とかよく思っていたし、その頃はすごく純粋だったからか、死というものを自分なりに深く深く感じていたような気がする。

死というものをはじめてリアルに認識したとき、はじめはおびえ、逃げようと考え、何かアウフヘーベンできないかと模索したりしたけれど、結局、逃げられない。そこで、諦めるのか、限界の中で何かを求めるのか。求めた先に待っているものリストから死をはずすことはできないのだけれど。

でも、よくよく考えたら、仮に今死ぬとしても失うものは自分だけじゃないか。悲しむ人はいるかもしれないけれど、それは死んだら僕の世界からは消えてしまう。そして、ほとんど人生を生きていない僕は、結局、死んでも自分以外を失わないかな。じゃあ、あまり失うものはないってことか?

てことは、自分は、ほとんど生きていないじゃないか。命に代えるほど大切なものもない。そうすると、仮に僕が死んでしまっても失うものはないんじゃないか。

でも、それってちょっと悲しいかもしれない。少なくとも死ぬときに何かを失ったと悲しめるほど何かを得たいなあ。何かリアルなものを。

ピュアだった(・・+)小学生の低学年時代、死の恐怖感を感じながらも、ぼんやりとこんなことを考えていた。それがいつしか、恐怖感は日常に流され、忘れ去られていく。人はそれを成長と言う。


でも、日常の過程で表には現われないものの、どうやらそのときの感覚は僕の細胞に鋭く切り刻まれているらしく、死というものが身近に感じられるという点において、あまり成長はしていないようだ。

そんな折に、出会ったのが、このアルバム。


アルバムは、

①Dawn to Dusk

②Twilight to Starlight

という2枚アルバムで構成されていて、これで夜明けから星明かりまで、一日のサイクルが、まるでreincarnetion(輪廻)のようにカバーされている。


Rockなのに、こんな綺麗なイントロで始まり、




そして、曲はDawnからDuskまで、とてもMelancholicというよりは、Mellon Collieなものがちりばめられている。


そんな中、ウォークマンでこの曲のイントロの歌詞を聴いたとき、背筋がすごくぞくっとした。そして、何となく、何かわからないけれどとても大切なものがその歌の言葉に隠されているような感じがして、歌詞の英語が聞き取れるまで、何度も何度も聴いてみた。それがmuzzle↓




(つづく)
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# by sipoftip | 2008-10-24 02:27 | 音楽

二歩目のシャープネスはオトトイ来る--10月17日



今日、バスケをした。わりと久しぶりなので、すごく楽しい。





でも、ちょっと違和感。






完全燃焼していないのだ。





うーん、久々だけあって、どうも動きがよろしくない。






少なくとも、カラダの本来持ちうるポテンシャルをうまく活かしきれていない気がする。







特に二歩目。






「やっぱ、ブランクがあるだけあって、特に二歩目が安定してないね。二歩目がぶれれて
シャープじゃない。








うむ、忌憚なき意見。だが、多分当たっている・・・・





しばらくバスケ、というかスポーツを放置していた自分が
悪いのだが、やはりイメージより体が動かないというのはどうも気分が悪い。





失って初めて気付くが、少なくとも僕の場合、体のシャープネスと頭のシャープネスとの間に相関関係があるように思われる。




はて、体のシャープネスは鈍った気がする。研修生のときはサッカーのチームで誰よりも速かかった、それだけが取り柄だったのに、それが失われつつある。それに伴って頭のシャープネスが失われたのかな。客観的なパフォーマンスは変わらないけれど、それに伴って感じる快楽が違う。なんか、この意味でとっても大切なものを失ってしまったように感じた。






快楽・・・・・そう、おそらくシャープであることは、快楽の一つに違いない。






週末にジョギングしているけれど、それは持久力の維持には資しても、その他の瞬発力とか
反射神経とか、かつて研ぎ澄まされたものを維持するには到底不十分であるとつくづく感じる。










なんか、体のシャープネスが、全体的なパフォーマンスの限界を画するような気もして少し怖い。








そんな肉体と精神の相関関係を感じた金曜の夜。







でも、逆に言えば、体のシャープさが戻れば頭やマインドのシャープさが戻るのかな。





ヘルスのためにはなかなか頑張れないのが人間だけれど、快楽のためには頑張れるかな。







ちょっと、そんな仮設を立ててみた。検証してみようと思う。




ちなみに、僕の周りには体の動きは到底シャープじゃないけれど、頭の回転はめちゃくちゃシャープな奴も結構いる。彼らと僕を単に違う人種とらえるのか、それとも頭のシャープさを戻す要因はカラダの他にあるのだろうか。直感的には前者な気もするけれどよく分からない。








バスケの後、そんなことを一人で思いながら、メンバーとどうでもいい話をしつつも、ひさびさに居酒屋に直行。「わみん」こと「ワタミ」。ひさびさだ。





ビールをさくっとあけた後にひさびさの焼酎を渇望する。





次々と会話の上に焼酎が空いていく。会話のおかげで焼酎のアルコールが揮発しているのか、はたまたそれは酔った幻想なのか。ただ、どんどんと瓶が空いていくことだけがその場での事実。






そんな中、オーストラリア人とアメリカ人のバスケメイトにSuper Offensiveな日本語は何かと聞かれる。



ここでは到底書けない様々な英語表現の豊かさを教わり、逆に日本語の奥深さを教えた。言語の深さとは書面にならないところにあるのかもしれない。なるほどね、どこの国も無駄なことを考えるのは一緒なのね、切り口は無数で、それでいてユニークで面白い。それが素直な感想。今度同部屋のOZに使ってみよう。









一つ質問があった。









「たとえばさ、映画館で後ろの人の足が当たっている場合、なんて言えばいいのかな?ちょっと文句ありげな雰囲気を出したい。足はちょっと下げて欲しい。でも、「KO・Ro・Su・ZO」みたいなSuper OffensiveなものはToo Muchなんだけど、何か良いフレーズないかな。」







なるほどね、そんなのどこで使うんだよー、と思いながら、ある意味ではGood Question.




いつ相手にけんかを仕掛け、どうやって挑発し、どうやって嘲笑するか。これをとてもElegantにやることが時としてどれだけSophisticatedなことか。意外に深いテーマ。若干酔っ払いながらそう思った。









そんな中、色々と無意味に会話は飛びまくった。色々教えたけれど、一つ面白いのが






「オトトイキヤガレ!!」





直訳すると「Come back the day before yesterday!」




ごく使い古された表現だけど、改めて考えるとNon senseだ。まったく意味をなさない。けれど、非常に表現がユニークだね。だって、絶対あり得ないじゃん、オトトイ来るなんて。しかも、Japanオリジナルっぽい。きっと僕が外国人でそのコンセプトを初めて聞いたら、怒るというよりも、あまりのナンセンス
さに笑ってしまうに違いない。






奴らも同じ反応。






「オットットイ、キヤガレィ!」





もう僕らしかいない居酒屋で外国人たちが練習を始める。そのさけびが、エコーしてたっけか。発音が自然じゃないからFunnyだよ、と言ってみたら、お互いにもっと練習していた。なんか変なとこで律儀だな、こいつら。





そんな空間を仲間と共有する。そしてただひたすら空いてゆく焼酎のボトルが横に転がっていたっけか。まあ、こんな夜があってもいいかもしれない、Viva Life。そんな金曜の夜でした、お疲れ様ー♪さて、シャープネスを目指しますか♪





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# by sipoftip | 2008-10-18 04:34 | 雑感

A Planned Surprise-(DOU-A-GE)--10月15日-



Birthday party has to be like this!
Good night with good blokes



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# by sipoftip | 2008-10-16 01:50 | 雑感

IQとキウイ-10月14日-




あるKiwi(キィウィ=ニュージーランド人)との会話




K:「最近、日本人によるノーベル賞の受賞をきっかけとして、人材流出や教育などがさかんに議論されているようだよねー。実はニュージーでも人材流出が問題になっているんだよー。」

た:「へー、そうなんだ。」


K:「基本的にオーストラリアに流出しているんだよね。一般的にさ、人口が流出すると
国の経済力が低下するから国にとって悪影響が出るって言われているよね。確かに労働力の低下という意味ではニュージーランドでも深刻なんだ。


でも、深刻な側面はありつつも、典型的な人口流出のケースとは異なって、良い効果(Side Effect)もあるんだよ。


なんかさ、人口流出によって国民の平均IQが上がっているみたい。だから、人材流出といっても、比較的IQが低い層が流出している点ではさほどの悪影響はないという評価も可能かもしれない。

さらにね、ニュージーランドの国民の平均IQが上がったという現象だけでなく、オーストラリアの国民の平均IQも上がっているみたいなんだ。」








さて、これをOZに話したところ、机をどん!と叩いて「出て来い!」と言ってました。そこで、
「AussieはどうやってCome Backするのさ!!!???」と聞いたところ・・・・・・・・・?






OZ:「いやー、大学の同窓会があってさ、みんなで久しぶりに集まったんだよね。
10年前だからみんな変わっているんだろうな、結婚した奴もいるだろうしね。


まあ、それで同窓会に行ったら、ニュージーランドからの留学生だった奴も来ててさ、
奴も結婚していたよ。奥さんも同窓会に連れてきてたんだけど、隣を見るとさー、



めぇ~~~(羊の鳴き声風)」









とまあ、こんな感じらしいです。個人的にはKiwiネタの方が切れ味がいいように思われますが、
そう伝えたところ、



「いやいや、もっとレパートリーは多いんだよね。でも、その多くが羊とのUnhealthy relationshipに関するものだから、残念ながら、ちょっと女性がいるこの部屋では披露できないなー。」




とのこと。んー、なかなか良いリカバリー。

ちなみに、同部屋の女の子、英語は堪能なのにおっとり天然系で、この種のネタにはうとく、ぽけーっとしていましたとさ。



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さて、少し視点を変えます。



AUSとNZはこうやってお互いを馬鹿にできる。だけど、これはあくまでFriendshipベースがあってこそ。アジアに置き換えてみよう。なかなか思いつきません。例えば、キムチばかり食べている奴に「お前さー、韓国人じゃないんだからさー」とか突っ込みを入れることがあっても、それを韓国人に対して言うことは少しリスキーな気がします。

オリンピックを見ていて中国強かったですねえ。半分ひがみも入って揶揄する場合、「いやー、やっぱ共産主義で訓練されると、スポーツのマシーンになっちゃうからねえ、よくやるねえ。」とメダルをとりまくった中国に対するひがみも込めたコメントをしてみたときもありました。そんなことは日本人同士では特に問題ない。でも、ラーメン屋で餃子を食べながらオリンピック状況について話そうとしたとき、そのグループに中国ルーツな奴がいたので、中国のオリンピックでの強さをそうやって半分からかい混じりに話すことはできなかったことがあります。発言の直前に気づいてのど元で、はっと発言を飲み込んだんですね。あれは危なかった。



もちろん、仲がいいからといっても限界点はあるとは思います。でも、そこの境界線を越えない限りで馬鹿にしあうのはじゃれ合うようなもの。仲がいいんだなあ、ちゃんと理解して心が許しあって、境界線も見極められないと、冒頭に述べたようなエスニック・ジョークは難しいですね。



一見、何気ないですが、相手からすれば「こちらが無害であること」を信頼しなければこういったジョークは成り立ちません。相手の信頼の上に成り立つジョーク、これはお互いに相手に対してかなり理解していることが前提になるんだと思います。さらに両者の間には共有する何かも必要かもしれない。



だから、こういったジョークをみていると、AUSとNZの間にあって、日本と韓国、日本と中国の間にないものを見た気がしました♪いつか日本と韓国もそういった仲になれるのかな。


さらにいうと、これって少なからず個人の関係にも少なからず当てはまるように思うんですよねー、様々な形で普段の人間関係にも現われていると思います♪


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# by sipoftip | 2008-10-15 02:42 | 英語