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サーモン&クリームチーズonバケットとCOLD YOKOHAMAと猫の目-3月17日-


-3月16日夜-

前回書いた①ここ、②ここ、③ここという選択肢で、何となく心で直感的に方向性はわかっていたものの、どうも決めきれず、隣のオフィスのセンパイのSさん、そして、そのオフィスメートのジェニー(仮称です、笑)とカジュアルサパー。ファイナンス大好きなSさん、やはり①、②がいいのではないかと。そう言いながら、Sさんはエビアンを飲み干す。やはり、世間的に見ても、そうなるかな、と。僕はサーモンとクリームチーズが乗ったパンをナイフで切りながら、そう考える。

ただ、彼自身、とべーを転機にかなりのリスクをとりつつも、一心に現在のキャリアのポジションにたどり着いたということもあり、そのコトバは重い。翻って、ジェニー。彼女は稀に見る才女で、(アメリカ人としては驚異的な)五ヶ国語を操る、アメリカの教育システムの中ではかなり権威的なキャリアを歩んできたともいえるスーパーエリート、なはずのに、打ち解けたキャラクターはどちらかというと天然系?ま、ナチュラルなのでしょう(++)。そんな彼女を交えて話していた。Sさんが注ぎ足されたエビアンを片手に持論を展開するのに対して、ジェニーは、マイペースでサラダを頬張りながら、「なんだ、あなたの話を聞いていると、あなたの中で答えは出ているみたいな感じじゃない。」。そう、決め切れなくても、コトバの端々に出てしまうらしい。

そう、やはり③で十中八九決まっていた。やっぱ、昔から国際協力とかにきょーみがあって、こんなものとかに惹かれる
自分を振り返ってみても、やはり③かなー、と。③はあまり日本でネームバリューがないので、その意思決定をするのに、何か背中を押してもらう人が欲しかったのだろうな。世間の人から見ると、なんで迷うの?というところでかなり迷う。でも、それは自分なりのヴィジョンと価値基準を持っているからこそだと言い聞かせたい。「やっぱ一般的には・・・だし」という枕言葉を自分の意思決定に使うのは、あまり格好がいいと、僕は思わない。カジュアルサパーを終えてオフィスに戻る間の廊下でそう思いを新たにする。

「出世払いだからさー、大して高くないし。」そんなことを言って、サパー代を払ってくれたSさんと、「話を聞いていると、もう自分で何が欲しいか、分かっているようだけど。」、そんなジェニーの言葉を思い出しながら、オフィスに戻った。

ちなみに、ここはパン屋だったんだけど、勤めて3年半が経つのに一度もディナーをここで食べたことがなかった、意外に美味しいのね、

今のポジションに至るまでの挑戦していた頃のSさんと今の僕を微妙に重ね合わせてくれているようだ、そんなことを思いながらGMAILを見ると、他のボールを投げたいろいろな人からも、それをまっすぐに受け止め、さらに、直球で返してくれる、そんなメッセージをいくつか頂いていた。わお、自分が良く知り、又はあまり知らない人たちとの関係の中で支えられているという瞬間。

はて。まあ、おそらく、③で決まりだろうね。あとは、その方向に決定付ける儀式を行うだけかな。
そう思いつつ、サルサディップを頬張りながら、ビールを飲み、そして、寝た(++)

-3月17日-

とはいいつつ、結構忙しくはあるので、あえなく寝坊。そして、今日は怠惰に二度寝を貪る。でも、ベッドの中で、ちょっと携帯でGMAILをチェック。お、来てる。アドミッションからだ。読む心境はきわめてシンプル。単に何が事実として起きているかを把握するために視線を進めるだけ、そこにどきどきもはらはらも、期待も絶望もない。でも、結局理解したのは、④ここに受かったようだということ。どうやらあまり現実味を帯びないため、とりあえず親にメールしたら、3秒で着信が返ってきた。ふむ。どうやら本当のようだ。それなりにチャンスはあるとは思っていたのだが、ネームがネームなだけに、ま、なるようになるでしょう、というわりとニュートラルな気持ちだったので、どうやら周りほどテンションは上がっていない。しかも、自分のキャラもあまりフィットを感じないためか、他の人が絶対に迷わないところで変にひっかかっている。でも、なんか落ち着かないので、朝ごはんを食べずに家を出た。

途中で買ったうぐいすパンを頬張りながら、オフィスでコンピューターを立ち上げ、仕事をする。でも、寝不足のせいか、気づかずに気持ちが高ぶっているせいか、ちょっと集中力に欠ける。だから、ま、気分を変えよー、ということで、同じ職場のトムをランチに誘い出す。ちょっと遠出をしてみた。いろいろ話す。「やっぱさ、職業の前にさー、自分はトラベラーなんだよねー、少なくともそうでいたいね。」。どうやら僕ら、同じ人種のようだ。少し気分が落ち着いた。

④について話すと、あー、ボストンは日本の都市でいうと、横浜に近いなー。でも、寒いよ。そっか、じゃあ「COLD YOKOHAMA」だね。

COLD YOKOHAMAかー、直感的にはあまり自分の居たい場所ではないかもねー、うーん、どうなんだろ。

直感はベースとなる前提事実によって左右される。果たして僕の前提はあっているのか?話していて、「あなたが何を欲しているか、話を聞いていると明らかなようだけど。」。ジェニーーの言葉がエコーする。そういったトーンも直感も、前提となる認識がずれていたら、少しずつ変わる。アートなようで、それほどアートではない、それが直感の性質かも。

はて、結局、④になりそうな気もするけど、もう少し心の微妙な動きと対話してみたい。普通、両手話に喜ぶべきことだけど意外に冷静なのはなんでだろう??たぶん、どこにアドミットされるかは重要であるものの、結局、自分がもうちょっと先に見ているものに比べると大してエキサイティングではないともいえるし、逆に自分はどんなゲートを通ってでも、そこにたどり着きたいと思うし、きっとその道中は楽しいだろう。そう考えると、どのPathを通るかで一喜一憂すること、それ自体があまり大きな意味をもたなくなっているのかも。そういった意味で、ある意味自分なりの物の見方ができているのかな?

さらに、最近の価値観の変化。どんなに能力が高くても、すぐれていても、それだけではまったくCOOLではないこと。周りに与えた影響とかで、その人がエキサイティングか決まるし、能力が他へのインパクトを抜きに語られるほど、微妙なことはない。頭では昔からそう思っていたけれど、最近、そういったことがふと腑に落ちるようになった。

ペンディングとは、いくつかの可能性に夢を馳せることができる状態のこと。少しばかり目を猫にして、この贅沢を味わってみようと思う。そして、しっかりと次の一歩へ。

一ついえること、こういったことを素直に話せる人たちが周りにいること、これは財産なのだ。



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by sipoftip | 2009-03-18 04:46 | 雑感

「こういう自分」と「こういう自分」と・・・-3月15日-


お蔭様で、少なくとも現時点で、①ここ、②ここ、③ここの選択肢を頂いており、すっごく迷っています。①が有名なのはもちろんですが、テーラーメイドな少人数という意味では②であり、そして、他の分野との学際的な感じを嗜好するのであれば③であり、いずれも魅力的です。

知っている人、知らない人にボールを投げてみると、思いのほかまっすぐに打ち返してくれる人が少なくないのは非常に光栄なこと。ボールが返ってこない人もいるけど、そんなのに凹んでたらやってられないし、そもそもそんなもんなので気にしない、気にしない。

「とりあえず無難」とか「それで決してマイナスになることはない」「つぶしがきく」というディフェンシブな姿勢をなるべく止めたいかな、と。いままで、積極的に選択をしたきた反面、こころのどこかでそういったリスクヘッジ的な考えがあったのも事実、リスクヘッジは大切なことだけど、ヘッジの効用がリターンの効用の評価を曇らせることがあるものも事実。完全な選択肢ってなかなかないわけで、どれかを選ぶと別の選択肢を選んだときに得られたものが失われる。それぞれの選択肢において、「こういう自分」「こういう自分」「こういう自分」(=●●で活躍する自分・・・とかそういうこと)っていうイメージが広がって、どれももらえるものなら欲しいのだけど、やはりそれは難しい。上記①から③の選択でも一つの選択をすることで、一つの「こういう自分」を得られる代わりに、別の「こういう自分」からは遠ざかる。だからといって、すべての「こういう自分」に望ましい選択肢はないから、やはり研ぎ澄ませて、他の「こういう自分」をプライスとして、一番欲しい「こういう自分」に近づけるために選択をするのだと言い聞かせています。

キャリアの進め方という意味で戦略的に考える必要があるけど、でも、直感も大切に。ただ、直感はアートというけれど、多くの場合、直感はそのベースとなる情報によって異なるという意味で完全なアートではないと思っているので、ここのベース部分で誤認がないように慎重に、と。そんな最近です(++)
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by sipoftip | 2009-03-15 17:03 | 雑感

「ジェネレーションX」からはじまった「軽快」な世界-3月9日-



最近、森絵都さんの作品にはまってます(・・)。

最初に手に取ったのは「風に舞い上がるビニールシート」。

外資系投資銀行を辞めた女の子がUNHCRで働く姿を描く作品。

登録しているUNCHRのメルマガで宣伝されていて、あらすじを見た瞬間に即買いしてしまった(・・;)。

無機質に読む本ほどつまらないものはない。本を読むとき、いつも何かの衝動に駆られて読む感じ。多くの場合、何かを得たくて、それがその本を読まなきゃいけないから、その先にあるものに向かって読んでいく。

イメージだけど、多くの場合、僕にとっての読書という行為は、レールを走るようなもの。レールの先にあるものが欲しくてたまらないから、「衝動」という燃料を燃やして、本というレールを走るようなようなものかもしれない。だから、レールに乗らなくても、例えば、ジェット機でいけるならジェット機を使うし、船でしかいけないなら船を使う。だから、動画でなく、人の説明ではなく、本でしか得られないからこそ本を読む。

あまり活字を読むのが好きではない僕にとって、「本を読む」というのは「その先にあるもの」「その先に欲しいもの」のために必要であるからこそやるものであって、そこには一定の緊張感がある気がするなあ。

職業柄これでよいのか?と思う気もするけど、「本を読む」という行為に対する僕のスタンスは、ある種冷徹ともいえる合理主義の上になりたっている、これが僕のデフォルト仕様って感じ。

さて、「風に舞い上がるビニールシート」も、そこに映された世界がどうしても見たくて、それで買いました。はて、それで見たかった世界が少しでも見れたか?

読後、そんな世界がはっきり見えたといえば嘘になる。でも、ふとある昼休みに読み始めた同封された短編の一つ、「ジェネレーションX」を皮切りに・・・・はまるはまる(・・)。

舞台はほんの日常生活に出てきそうなワンシーンであることも多いのに、その登場人物の描写は、ふと混沌とした自分の気持ちのかけらに、ふっと形を与えるものだったり、読むとなんだか細胞が震えるような、そんな気持ちよさがあったり、晴れた夏の空みたいに屈託のないささやかなユーモアがあったり、そこに綴られる日本語の世界を純粋に楽しみ、浸る、そんな感覚を楽しんでいます。

日々の生活ではさ、いろいろと考えなきゃいけないことがあったり、目に見えない形のない将来のことで煩ったり、どうもうまく歯車が回らなかったり、得てして自分の世界が小さく思えたりする。時には意味もなく複雑に見えたり、デッドエンドに来てしまったように思っちゃう瞬間がある。そんな小さな塵のようなものが自分を取り囲む心や体に積もっていくと、気づかないうちに、自分の視野が狭まっていたり、必要なものを見極める感覚が鈍ったり、倦怠的に生じる自己嫌悪と焦りがあったり、そんな症状が出かねないときもあるのだけど、森絵都さんの世界に入ると、少しそういったものから離れて、自分をチューニングできるような気がするような。

先ほど書いたように、言語は媒介であって、その先にあるものを手に入れるために必要だから本を読む、というのが基本的なスタンスなんだけど、こういった作家の本だけは例外。

その日本語で綴られた世界そのものに浸るためだけに読んでいるのです。そこはきわめてフィクションなんだけど、そんなフィクションのなかに、現実よりももっと現実らしいものがある、そんな感じ。

ちなみに、高校生のときにはまった村上春樹以来、あまりこんな風に日本語を純粋に、そして「軽快」に楽しめる作家に出会っていなかった。阿部工房とか三島由紀夫とかも純粋に面白すぎると思ったけど、「軽快」じゃあないよなあ。春樹さんも森さんもそうだと思うけど、語る内容はまったく軽くないけど、その語り口は「軽快」そのもの。その世界は「軽快」な言葉じゃないと紡げないのだろうなー。結構、いや、かなりこういう作家、好き。さささやかに、だけど、かなり嬉しい最近の発見かも。というわけで、ブログにアップしてみました。本当は作品のことも書きたいけれど、書くと妙に陳腐化して、その世界にあるものをぼろぼろと落っことしてしまいそうなので、今回はやめておきます。

↓DIVEの沖津君が飛び込む断崖はこんな感じなんだろーか!?



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by sipoftip | 2009-03-10 01:01 |

ボブマレーがかかると踊りだす国から来たニューヨーカーの言葉-2月28日-

今日はオフィスメートのホームパーティーに行った。

南麻布な上に、なかなかお洒落な家で、しかも家賃がわりとリーズナブル。(彼ら自身は違うけれど)少しだけエキスパットの世界を垣間見る。

気心知れた人々のほか、知らない人達も多少いた。その中で会ったのがジャマイカ人。出身はニューヨークで、ニューヨークの名門大学を卒業後、今揺れている最大手の金融機関に勤め、日本にエキスパットとして来ているらしい。エキスパットって、なんか不相応にお金をもらって優雅に生活をするような勝手な先入観を少しだけ抱いていたけれど、それが崩れた。



ジャマイカってさー、やっぱ、ボブマレー?うちの親父ボブマレー好きだけど、やっぱジャマイカだと、神様的な存在なわけ?

いやー、まあ、ボブマレーは、神様ってわけじゃないけれど、ボブマレーの音楽がかかるとみんな踊りだすんだよ。それは、つまり、ボブマレーの音楽がかかったら、それが道路でも、お店の中でもビーチでも、とにかく今やっていることの手を止めて踊りだすんだ。そんな存在。

わお。そりゃさ、もう神だよ。でも、ジャマイカ、さっき自然が綺麗って言ったけど、東京とかにいるとさー、そういうところに住みたいなってよく思うんだよねー。

そう?確かにバケーションとしてはいいかもしれない。でも、実際、仕事がないんだよねー。うちの家族は、みんなニューヨーク、カリフォルニア、ペンシルバニアに散らばっているけどね。

そっかー、ところで、ニューヨークに行くケースって結構あるの?

うーん、一般的にあるとはいえないけど、うちは両親が子供にどうしても大学を出て欲しかったみたいで、それで何とか大学に行くことができたんだ。

でも、最近は大変だよ。いつ首になるかわからないし。給料日になると、給料がちゃんと振り込まれているか確認してから出社するくらいだから。昔からじゃ信じられないけれど、特に最近はこんな感じなんだ。


エキスパットとして一見華やかな世界に住む彼の世界の裏側を少し垣間見た。
ジャマイカで生まれ、ニューヨークで生まれ育って一流金融機関のバンカーとして日本にやってきた彼の目に、今の世界はどう写るんだろうか。

とべーの話をした。わお、そりゃ、すげークールだ、力を込めてそういってくれた。
まるで自分がニューヨークに出てきて、そこから金融の出世街道を登ってきた過程を思い出しているかのように、少し遠くを見つめたのかもしれない。すぐに視線を元に戻して、言葉を噛みしめるようにまた僕に行った。そりゃ、すげークールだ。力を込めてそういってくれた。


その後、みんなが持ってきた各国の料理をほおばりながら、いっぱいいっぱいの即席英語漫才?をやる同僚に笑いつつ時を過ごす。逆立ちしている人もいれば、ダンスをしている人もいて、こう書くとすごく変なんだけど、平和に時が過ぎた。

そして、帰り際。ジャマイカの彼にまた挨拶をする。
そっか、すげークールだ、本当に一番やりたいようになるといいな。その目には力が込められていた。きっと苦境に立たされているなかで、新しいフェーズに入ろうとする後輩に希望を託すかのように、または少し昔の彼自身を僕の中に見ているのかのように、いずれにしても、彼の中の何かが過ぎってそういう言葉が自然に発されたのかもしれない。

帰路に着く中、すごく些細だけれども、なんともいえない感謝と高揚の気持ちが自分の中に持っているのを感じた。自分もそういう言葉を投げられるようになりたい、素直にそう感じた。


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by sipoftip | 2009-03-01 02:29 | キャリア/コトバ/ロールモデル