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Planned Happenstance Theory(計画された偶然性理論)の効用とジャパニーズスルメ-1月26日-




Planned Happenstance Theory(計画された偶然性)という考え方がある(プランドハプンスタンス、と読む。)。

これは、スタンフォードの心理学のクランボルツ教授によって提唱された考え方。

思い切って概略する。

かつてのキャリアカウンセリングの業界では「ヴィジョンが見えていないとは自分が分かっていないことだし、そんな相談者はちょっと問題じゃ。どちらかというとカウンセリングの問題児じゃ!みなさん天職・ドリームジョブに向かって進むべし。」という意見が主流だった。

でも、そこで「でもさー、よく見てみると、成功している人のキャリアの積み上げ方を見ていると意外に天職を目指していた人って少なくない?どんなに精密にキャリアカウンセリングをやっても、その後に目の前に降りかかる偶然性に左右されているし。だから、天職を設定して、それにどうやってたどり着くかの目標までのルート設定するっていうカウンセリングだと、あんまし偶然性に対応できないんじゃん!?偶然性にどう備えればよいかというのもカウンセリングの重要な要素として取り入れるべきじゃ。」

という口調でいったかどうかはともかく(・・)、要するに、「一定の明確な目標に向かってどうやって進ばよいか」というアプローチが合わない人もいるし、「はっきりとやりたいことが見えていない」人のマインドを否定するんじゃなくて、それに応じて各人をエンパワーしましょ、という発想。

でも、「何やりたいか分からなーい」と言っているだけではだめで、次の要素が重要とされる。

①好奇心(Curiosity):新しい学習機会の模索
②持続性(Persistence):めげない努力
③柔軟性(Flexibility):スタンス、状況を変えていく。
④楽観主義(Optimism):新しい機会を「実現可能」と捉える
⑤リスクテーキング:予想できない結果に対してリスクテークする



振り返ってみると、結構、色々な偶然性に左右されつつ生きてきた気がする。

でも、自分の場合、全く前に偶然に左右されてきたわけではなくて、かなり昔から自分のバックボーンにあるものは変わらない。きっとこれを人は信念(principle)といったりするのかもしれない。但し、好奇心だけは少年並み!?(苦笑)な気もするし、実際に自分のバックボーンにあるものを世の中とどうつなげるかという点でかなりオープンだと思う。だから、きっと自分はSemi Planned Happenstance的な人間なのかもしれないが、どうなのだろーか(・・)。





とまあここまでくると、やっぱ、Planned Happenstanceだよねー、うんうん、さすがクランボルツ、さすがスタンフォード、と言って終わりたいところだが、そうもいかない。


自分のキャリアの進め方はPlanned Happenstanceだし、考え方にもほぼ全面的に賛成なのだが、一つ落とし穴!?があると思う。


自分をどう「タグ」するのか、という関係で訴求性が弱いのだ。


だって、「ぼやっとした、でも確たる何か」があるけれど、それが何かはよく分からない、でも、今ある興味に沿って、偶然的な事象が現われたら、それを高いチャンスでものにするために普段から準備しましょ、というのがPlanned Happenstanceの基本的な発想だと思う。

そして、実際、興味あることに日々近づこうとしている人は、(何もしていないより)遥かに高い確率でそれに遭遇し、そして、それをものにする。これは本当だろう。

だけど、目の前に偶然が現われたとき、それを昔から明確なヴィジョンとして掲げていた人と、Planned Happenstanceな感じでそれに飛びつく人と、どちらが強い情熱を示せるだろうか。

Planned Happenstanceの中の「柔軟性」というのは、「目の前に実際に現われた偶然じゃないといけない。あなただけよ。」という強い意志を示さなければいけない場合にマイナスに作用しうる。

だから、たとえ、自分の中の本当のストーリーとしてはPlanned Happenstanceだとしても、目の前に現われた偶然のチャンスをものにするには、あたかもそれが「昔から明確に目指してきた目標」かのごとく振舞うべきなんじゃないか。

自分をタグするとかプレゼンするとかそういったレベルにおいて、Planned Happenstanceな自分をどういった形でプレゼンしていくのがいいか。キャリア理論という自分と向き合う場面で有効なフレームワークが別の場面であまりよく機能しない。そんなこともあるのだ。


ちょっと思うところが去年あったので、あえて他の人とは別の観点からPlanned Happenstance理論を洗ってみました。

でも、個人的にはすっごく好きな考え方です。





これについては割とよく読むブログに関連記事があるので参照しておきます♪

①「Planned Happenstance」
http://hbslife.exblog.jp/3557754/

②「続・キャリアを考える」
http://nedwlt.exblog.jp/6744824/


↓全く関係ないけれど、ジャパニーズ・スルメ、すげー美味しそうだっ。日本の文化って感じです。

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by sipoftip | 2009-01-27 02:24 | キャリア/コトバ/ロールモデル

エフィーの選択-1月16日-




帰り道、ipod nanoにはドリームガールズのサントラが入っているんだけど、シャッフルしていたら、たまたまその中の一曲が回ってきた。

ふと思い出したのが、メインボーカルがもともと歌唱力のあるエフィーからビヨンセ(ディーナ)に変えられてしまう場面。

ドリームガールズというユニットにいる方が大舞台に立てる。きっと大舞台に立つっていうこと自体が歌手にとってはドリームシーンなんだろう。だけど、そこに残るとバックコーラスのまま。今まで自分の歌唱力を拠り所に生きてきて、スターダムを駆け上がろうとしたところで、自分の実力とは必ずしも関係ない理由で思い描いた夢が閉ざされてしまう。そして、周りにいた家族同様の友人たちから「君はメインには入れない、だけど残ってくれ。」と言われる。

きっと、自分が何をどこまで譲れるか、という問題なんだと思う。

自分の周りにいる家族同様の人たちの切望に応えるか、それとも、やはりリードボーカルが譲れないのか。本当は喉から手が出るほど両者ともに欲しいのにそれができない。さらに、自分の声で音楽を表現したいのに、それを受け入れてくれる場がない。こんなに切ないことはないだろう。

エフィーは、(見ようによっては)なりふり構わず叫び続ける。私の方が歌がうまいじゃない、だからボーカルにして!と。きっと、エフィー自身も、叫んだところで事態が変わるわけじゃないということは頭では分かっていたはず。だけど、叫ばずにはいられなかったのだ。何故か分からないけど、エフィーに何が起きているのか、痛いほどにすごく良く分かった。

結局、エフィーはドリームガールズを去り、地元のバーで毎晩歌う。それは自分の歌唱力だけでリードシンガーになる、という意味で一つの表現の場なのかもしれない。なんとかもがいて、挫折と向き合って、そしてやっと手に入れた場所なはず。それはもちろんある意味でスターダムと等しく素晴らしい場所といえるのかもしれない。でも、エフィーにとってそれは、自分にとって譲れないものと向き合って必死になってやっとたどり着いた場所に思える。エフィーのたどった道が端々に垣間見えるようで切ない。

こんな一見すると不条理な構造。でも、現実には沢山起こっている。

なぜだろう。すごく古典的な問題提起だけど、それだけに深く鋭い問題提起のようにそのときの僕の心には刺さったのだ。


そんな瞬間から、早いもので1年が経った。

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by sipoftip | 2009-01-17 03:29 | キャリア/コトバ/ロールモデル

米粒からのイマジネーション-1月12日-



いつも食べてる白いご飯。

この間、ふとした拍子に、茶碗にあるご飯の白い粒を見て、
すがすがしく晴れた日の田園の光景が思い浮かんだ。

もちろん、稲がどんな形をしていて、田園の風景がどんなであるかは
知っていたし、そこからどうやって精米になるかも知っていた。

だけど、その瞬間は何というか、目の前の米粒と田園の風景がつながったのだ。
頭でつながるんじゃなく、感覚としてすっとつながる感じ。

何というか、目の前にある白い米粒の一つ一つがぴちっとエネルギーを発して輝くものに姿を変えた。大げさにいえば自然の息吹を感じた、というところか。きっと頭の中に別々に保存されていたデータが何かをきっかけにつながったのだろうか。今までの人生で、これだけ米を食べてきてこんな瞬間が来たのは初めてだっ(・・;)

目の前にあるものが、イマジネーションでここまで変わるのかと、正直びっくり。
食を楽しむって事は、グルメなだけでなく、こういった瞬間に隠れているのかもしれない。

ただ、こういったイマジネーション、肉には使いたくないけどね(・・;)

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by sipoftip | 2009-01-12 18:34 |

細胞マネージメントとストライキ-1月10日-

細胞って正直だと思う。

やらなきゃいけないと思っていても細胞がやる気を出してくれないと仕事も何でも全然進まない。頭では理解していても、細胞が生理的に受け付けないと言っているものは受け付けない。

逆に、細胞が元気なときには色々なことができる。

その意味で細胞は体の構成要素に過ぎないけれど、逆に細胞の方がイニシアティブを持っているみたい。

実際に経営者の方がエライ地位にあるとされつつも、やはり従業員に気持ちよく働いてもらわないと何もできないというジレンマと似たようなものなのだろうか。




じゃあ、どうやって細胞に刺激を与えて活性化するか?



僕の場合、面白い(かつシリアス系)のマンガを読むと、細胞レベルで奮い立って頑張ることが
できるのだ。不思議な現象。その意味でマンガは僕にとってメンタルな食べ物のような存在かもしれない。



さて、年始はめちゃくちゃに忙しかったー。10時ー10時半までには出勤しているのに、初日から4時、3時、4時、7時という帰宅時間(・・;)

まー、業界的にはしばしば起こる突発事故みたいなもんだけど、不景気の最中、意図に反してまったく逆の方向に流されてしまった・・・・・(・・)

たまに、「そんなに働けますねー、集中力続くんですか?」とか聞かれるけど、もちろんアップダウンはあるし、実は15分位は昼寝とかしている。組織体としてはゆるい感じの体質(但し、結果に対しては当然ゆるくない。)が、長時間労働によるストレスをいくばくか軽減しているのかなー。

あと、自分が今やっていることがサービスのコアバリューを形成しているなー、失敗したりここでクオリティが下がったら取り返しがつかないなー、という責任の重さに対する緊張感と恐怖。そして、これまだ誰も検討したことがなさそうだなー、これがやったら今よりもうちょっと世界が違った視点で理解できるようになるかなー、とか、そのタスクが知的にチャレンジングであること。これらがあって初めて相当のモチベーションを持って働けるような気がする。


逆に、ほんの少しの労働時間であっても知的に面白くない仕事とか、あまり意義を感じられないと(細胞が)判断した仕事については、頼んでもなかなか細胞は頑張ってくれない。でも、多少きつくても、その仕事が自分にとって魅力的な経験になりそうだったり、新しい世界へのドアを開いてくれそうなものだったり、まだ誰もやったことがないような性質のものだったりすると、細胞はかなり頑張ってくれる。ちなみに、ヴィジョンがないと細胞はまったく僕に協力してくれない。結構要求が厳しいのだ。僕の細胞マネジメントスキルが足りないのか。
なんか、ぐーたらなようでわがままな奴らだ。飼い主に似たのか(・・;)。

でも、今週は細胞に頑張ってもらいすぎたので今日はストライキされた。うーん、色々やりたいことはあるんだけど、とりあえず、ビールでも飲みながら映画でも見るか、先日、自分の誕生日プレゼントに買った(笑)澤野工房のジャズでも聞くことにしようかな、と(++)

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by sipoftip | 2009-01-10 22:44 | 雑感

ちょっとしたバックパック気分ー1月5日ー






あまり人気のないビルの2階にあるネパール料理屋

「maya Nouvelle Nepail kitchen」、英語とフランス語が混じってるじゃん、とか思うと、日本語がぺらぺらな店員さんが扉を開けて、一人で立っていた僕を招き入れた。

一瞬躊躇したけど、まっいっかー、と店に入るとそこはまるで別世界のよう。がやがやしているのだ。みんなで新年を祝っているのだろうか。チベット人のグループとネパール人と思しきグループが大きなテーブルを占拠して、わいわいとやっている。

なんとなく雑然としている。お洒落な人はいない。まるで東南アジアにバックパック旅行をして、
地元の人たちが行くレストランに迷い込んだ気分だ。

店内に入った瞬間、一瞬みんなの視線がちらちらと僕に向けられているのに気付いた。
日本人が珍しかったのか、風貌が日本人ぽくないから同じ人種と思ったか、それは定かではないけれど(・・;)。

気分はまるで旅行者だ。ちょっとした非日常を地元の目黒で味わう、これはある種の贅沢かな。

改めて周りを見回し、ふとい気付く。周りでわいわいやっているネパール人やインド人がこうやって集まる社会と僕の日常は接点がないよなー、と。

同じ社会に生きているのに、まるで違う世界に住んでいるようだ。どちらかというと彼らの方が少しアンダーグラウンド?。あまり裕福な人は多くないかもしれない。でも、とても楽しそう。底抜けに活き活きしていた。異郷の地で心を許せる数少ない場所だからだろうか。当たり前だけど、一つの社会に生きていると思っていても、あくまで自分が見ているのは平面。自分が見ている社会や世界ってのは、一つの切り口に過ぎない。そんな当たり前のことも、日々のルティーンの鎖の中にいると気付かなくなってしまう。自分が思った平面が実は奥深い立体であることをちょっぴり実感。

自分の切り口と違った切り口を見たときに、ちょっとだけ世界がいつもよりダイナミックに見える。

そんな瞬間が好きだ。

会計のとき、お兄さんに言ってみた。昔、ネパール行ったことありますよ、カトマンズとポカラとチトワン。すごい良かったです。お兄さんは微笑んだ。

入り口の「maya Nouvelle Nepail kitchen」は相変わらず英語とフランス語の混じったあべこべな表示だったけれど、その店内の雑踏の余韻を感じつつ、また、いつもの都会へと戻っていった、そんな日曜の夜(・・)





http://r.tabelog.com/tokyo/A1316/A131601/13025150/


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by sipoftip | 2009-01-06 04:49 | 雑感

感覚を研ぎ澄ます-1月4日-




感覚を研ぎ澄ます、これが今年のテーマ。



これは随分去年から意識してきたけれど、引き続き今年も意識しようと思う。5歳児じゃーないけれど、次から次へと色々なことに興味が沸き、目移りしてしまうことが多い。仕事でも次から次へと降ってくるし、目の前に溢れる情報の処理・消化に終始してしまいがち。時として近視眼的になってしまう。



でも、目の前に起こる偶然を楽しむスタンスはとっても好きだから外界をシャットダウンっていうのもつまらない。忙しいなー、と思っても旅行に行ったり、異業種の方と会ったり、自分のComfort Zoneにいるとちょっと億劫になりがちなことも、外に出てやってみると、収穫は思いの外に大きかったりする。そんな冷たいプールに飛び込むときは「さぶ!」って思い、ちょっと嫌だけど、入ってしまうとめちゃくちゃ楽しい!みたいな感じは忘れたくないな、と思う。



じゃー、どうするか?

やはり自分の軸を持つことかな、と思う。
マクロには自分の軸がしっかりしているつもり。だから、大きなところではあまりぶれないと思うのだけど、それを日々のミクロな瞬間瞬間にどうやってちゃんと落とし込めるかなー。逆に日々感じ取ることを自分の大きな軸にフィードバックし続けることも大切だろう。
そのためにも軸をしっかりして、感覚を研ぎ澄ますことが重要かな。



どうやって感覚を研ぎ澄ますかって?

それ難しいけれど、それが自分にとってどの程度大切かは、自分の死に照らしてどのくらい重要かということに尽きると思う。スティーブジョブズのスピーチでもあったけど「僕は毎朝、鏡の前の自分に問いかける。もし自分が明日死ぬとしても、今日自分がやろうとしていることと同じことをやるだろうか、と。もし答えがNOという日が続くようなら、何かを変えなければならない。」。ちょっと自分の軸に自信がなくなったときや自分の状態を診断するためにこの質問を使っている。というか、使わずにはいられないといったところだろうか。

最近、ぶれないなー、と感じたことが一つ。それは、人の心を打つ瞬間に触れられる仕事がしたいな、と。そういったことに自分がすごく価値を置くことに気づいた今日この頃。

こういった軸を見据えて限られた自分のリソースをどうやってうまくマネージできるかな、といった思いを込めて感覚を研ぎ澄ませたいですね。




さらにもう一歩。

「感覚を研ぎ澄ます」というとシャープな感じだけど、そんな静的なものではなくて、もう少しダイナミックに捉えてみたい。ドライブ(原動力=Driving Forceみたいな感じかな)って先天的な能力とかに比べて全然重要じゃん、特に年齢を重ねるごとにその傾向は顕著だと思う。自分の研ぎ澄ませた軸がないと、ドライブもモチベーションもあまり沸かないかなー。少なくとも僕はそういったステージではないし、それは嫌だな、と。




じゃあ、何がドライブするのかって?

これは一定のビジョンに向かいたい!って思う情熱と、現状への危機感!みたいなものなんじゃないかと。これはきっと言葉ではうまくあらわせないほどのどろどろとしたもので、そういったものに意識を強く向けたいな、と。このどろどろとしたものこそが、感覚を形成し、自分の軸を燃え立たせているんじゃないかと思う。



きっと、今年も色々な情報に囲まれ、様々な思惑の中で生きることと思うけれど、その中でふと自分を忘れそうになったらこのエントリを読み返そうかな、と。


さて、今年もよろしくお願いしまーす!




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by sipoftip | 2009-01-05 00:24 | 雑感