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人を駆り立てるもの-10月30日-


先日親と食事をしたときに聞いたオハナシ

おばあちゃんは、薬局をやっているんだけど、今年で82歳くらいになる。
それでもって、クスリの登録販売者の試験に合格したたらしい。

登録販売者??僕も知らなかったけれど、こういう制度↓(Wiki:「登録販売者」)


登録販売者(とうろくはんばいしゃ)とは、医薬品の店舗販売業者等において、
第二類および第三類一般用医薬品を販売する際に、2009年4月より必要となる資格
(都道府県試験)である。第一回試験が東京都等で2008年8月12日に実施された。ドラッグストアなど、薬局・薬店で一般用医薬品の販売を薬剤師とともに担う。既に薬種商として営業している者は登録販売者としてみなされる。



制度ができた経緯はざっとこんな感じらしい↓

2006年の薬事法改正で薬種商制度が廃止され、登録販売者制度が創設された。これは実務経験等の条件を満たせば誰でも受験できるものであり、免許も個人に与えられるものとなった。また、一般用医薬品の95%以上が第二類および第三類医薬品に指定されることから、ドラッグストアチェーンなどが社員を大量に受験させ、店舗網の拡大や24時間販売に利用するほか、薬剤師のいない店舗を設置して人件費抑制につなげようとする動きもみせている。このほか、ドラッグストア業界以外の異業種が参入するのではないかとの見方もある。



さて、「ドラッグストア業界以外の異業種が参入するのではないかとの見方もある。」
とありますが、82歳のおばあちゃんが参入するとはさすがに予想外でしょう。


冗談はさておき、自分が82歳になって、新たに勉強をして、必ずしも合格率が高いとはいえない試験に挑戦するだろうか?周りにいるほかの82歳の方を見ても、そんな人はなかなかいない。

まったく脱帽である。。。。(・・)。ちなみに、おばあちゃん、よく勉強会とかにも参加しているし、
非常に勉強熱心、というか勉強好きなのだ。


「えらいねー。」


うん、僕もそう思う。はて、でも何がえらいのか?


見習いたいものです、それはそうだ、だけど、ちょっとそれは月並みなコメントだろう。





だから、少し視点を変えてみる。




何がそんなにおばあちゃんを駆り立てるのか?


そこに興味があったので、少しそちらに視点を移してみようと思う。



おばあちゃんは、戦争世代。時は1940年代半ばに遡る。


おじいちゃんは、あまりカラダが強くなく、赤紙が来るのが遅かった。



それは今の僕らの世代からみれば幸運なことだけど、御国のために戦争にいけないというのは
かなり心苦しかったらしい。やはり天皇に仕えて命をささげるものが英雄だったのだろうか。
少なくとも、おじいちゃんはそういった陽の当たる場所からは少し遠いところにいたようだ。



けれど、そんなおじいちゃんにも、ついに赤紙が来た。


海軍に招集されたらしい。



早期に戦争に招集された体の丈夫な輝かしいワカモノに比べれば遅れをとってしまい、遅めの出陣ではあったけれど、おじいちゃんも軍艦に乗って出港することになった。



しばらく待機が続く。出港すれば、なかなか生きては帰ってはこれない心境の中、待ち続けたらしい。出陣することが誉れだけれども、行くと帰ってこれる保証はまったくない。



そんな状況はどのような感じなのだろう。



きっと、周りのみんなが思うように誉れを待っとくすべく、早期の出陣を望む一方で、カラダに
染み付いた死の恐怖が本能的にそれをとどめるのだろうか。


そんな宙ぶらりんな時を過ごしつつも、ついに出港の命令が下ったらしい。


出港が決まる。晴れ晴れしい舞台に向かう青年として送られたのだろうか。もう会えないかも知れない家族との別れも済ませ、ついに出港の日が来た。



出港当日




船に向かって港から船につながる階段を登っているとき、まさにその瞬間に終戦のアナウンスがされたんだとか。





以上に述べた、おじいちゃんが結局戦争に行かなかったという話は小学校のときに母親から聞いた。





そんな時代



おばあちゃんはその大きな声でよく言ったものだ。





「新宿にはよく狸が出てたわよ!」




そんな時代、勉強どころではなかったに違いない。





おばあちゃんは、当時の女性としては珍しく、大学を出ている。これはすごいこと。だけど、きっと、それでもなかなか勉強をする機会が得られなかった幼少時代の勉強への渇望が今でも続いているのかな。それとも、今は亡きおじいちゃんがその薬局に宿っていることが、クスリへの勉強のドライブとなるのか。

実際に何が自分を駆り立てているかって、失ってみないとなかなか形があるものとして認識できないことが多いから、きっとおばあちゃんに聞いても明快な答えは返ってこないかもしれない、また、仮に答えが返ってきても、実はそれ以外のおばあちゃんも気づいてない何かがある可能性も大いにある。だけど、今度会ったら何かのタイミングで聞いてみよっと。


ちなみに、おじいちゃん、これまた非常にエスプリの利いたインテリだったらしい。僕が1歳のときに他界してしまったけれど、一度会ってみたかったなあ。おばあちゃんを通じて、何かかの形でその片鱗に会っているのかもしれないけれどね。





いつでもできるや、と思いつつ、それが当たり前でないと気づくのは、それを失ったとき。


かなりの場合にこれは当てはまるけれど、おばあちゃんの話も例外ではない。


戦争の話とか、昔の話とかも、いつでも聞けるや、と小学校のときから思いつつも、いまだに聞いていない。



聞くばかりではない。逆もまた然り。


いつでも伝えられるや、と思っていても、気づいたときに残された時間は思いの外、少ないものだ。


きっと、だからこうしてブログを書いているのかな??










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by sipoftip | 2008-10-31 00:52 | 雑感

一枚隔てた向こう側-10月29日-



いつもは光が入ってくると眩しいから、ブラインドはおろしているのだけれど、
閉ざされた空間に幾許かの心地悪さを感じてふとブラインドを上げてみた。

その広がりは、こちらとまったく違う世界。

ブラインドをほんの一枚隔てた向こうには、まったく違う世界が広がっていることもあるようだ。

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ちなみに、こうして書いている今の時点では夜の帳が下りている。


きっと、意識的に、あるいは気づかないうちに、自分の世界の周りにも色々なブラインドをおろしているに違いなくて、そのブラインドの外にある世界もめまぐるしく変っているのだろうな、と。
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by sipoftip | 2008-10-29 17:51 | 雑感

Muzzle-10月23日-



きっと誰にでもあるもの




それは血肉になった音楽





その音楽が鳴っただけで、当時が蘇り、細胞の一つ一つが反応してしまうような、そんな音楽




きっと、父親にとってそれはBeatlesであり、母親にとってのそれはユーミンなような気もするけれど、きっと僕にとって、Smashing PumpkinsのMellon Collie and Infinite Sadnessというアルバムがそれに当たるかな、先日、Youtubeでたまたま見つけてしまって、すっごく細胞レベルでエキサイトした。


ウィキペディアによれば、「a symbol of the cycle of life and death」ゆるいコンセプトになっているとのこと。

Mellon Collie and the Infinite Sadness is a loose concept
album, with the songs intended to hang together conceptually
as a symbol of the cycle of life and death
.[8] Billy Corgan
has said that the album is based on "the human condition of
mortal sorrow
".[13] The sprawling nature of the album means
that it utilizes several different diverse styles amongst the
songs, contrasting what some critics felt was the
"one dimensional flavor" of the previous two albums.[1]



たぶん、誰しも経験することなのかもしれないけれど、小さなときから死というものに敏感だった。

死とはコンセプチュアルなようでいて、とても身近。日常生活の中でも、すべり台とかで、「あ、ここでこうやって落ちたら死ぬんだ。そしたら、どうなるんだろう。」とかよく思っていたし、その頃はすごく純粋だったからか、死というものを自分なりに深く深く感じていたような気がする。

死というものをはじめてリアルに認識したとき、はじめはおびえ、逃げようと考え、何かアウフヘーベンできないかと模索したりしたけれど、結局、逃げられない。そこで、諦めるのか、限界の中で何かを求めるのか。求めた先に待っているものリストから死をはずすことはできないのだけれど。

でも、よくよく考えたら、仮に今死ぬとしても失うものは自分だけじゃないか。悲しむ人はいるかもしれないけれど、それは死んだら僕の世界からは消えてしまう。そして、ほとんど人生を生きていない僕は、結局、死んでも自分以外を失わないかな。じゃあ、あまり失うものはないってことか?

てことは、自分は、ほとんど生きていないじゃないか。命に代えるほど大切なものもない。そうすると、仮に僕が死んでしまっても失うものはないんじゃないか。

でも、それってちょっと悲しいかもしれない。少なくとも死ぬときに何かを失ったと悲しめるほど何かを得たいなあ。何かリアルなものを。

ピュアだった(・・+)小学生の低学年時代、死の恐怖感を感じながらも、ぼんやりとこんなことを考えていた。それがいつしか、恐怖感は日常に流され、忘れ去られていく。人はそれを成長と言う。


でも、日常の過程で表には現われないものの、どうやらそのときの感覚は僕の細胞に鋭く切り刻まれているらしく、死というものが身近に感じられるという点において、あまり成長はしていないようだ。

そんな折に、出会ったのが、このアルバム。


アルバムは、

①Dawn to Dusk

②Twilight to Starlight

という2枚アルバムで構成されていて、これで夜明けから星明かりまで、一日のサイクルが、まるでreincarnetion(輪廻)のようにカバーされている。


Rockなのに、こんな綺麗なイントロで始まり、




そして、曲はDawnからDuskまで、とてもMelancholicというよりは、Mellon Collieなものがちりばめられている。


そんな中、ウォークマンでこの曲のイントロの歌詞を聴いたとき、背筋がすごくぞくっとした。そして、何となく、何かわからないけれどとても大切なものがその歌の言葉に隠されているような感じがして、歌詞の英語が聞き取れるまで、何度も何度も聴いてみた。それがmuzzle↓




(つづく)
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by sipoftip | 2008-10-24 02:27 | 音楽

二歩目のシャープネスはオトトイ来る--10月17日



今日、バスケをした。わりと久しぶりなので、すごく楽しい。





でも、ちょっと違和感。






完全燃焼していないのだ。





うーん、久々だけあって、どうも動きがよろしくない。






少なくとも、カラダの本来持ちうるポテンシャルをうまく活かしきれていない気がする。







特に二歩目。






「やっぱ、ブランクがあるだけあって、特に二歩目が安定してないね。二歩目がぶれれて
シャープじゃない。








うむ、忌憚なき意見。だが、多分当たっている・・・・





しばらくバスケ、というかスポーツを放置していた自分が
悪いのだが、やはりイメージより体が動かないというのはどうも気分が悪い。





失って初めて気付くが、少なくとも僕の場合、体のシャープネスと頭のシャープネスとの間に相関関係があるように思われる。




はて、体のシャープネスは鈍った気がする。研修生のときはサッカーのチームで誰よりも速かかった、それだけが取り柄だったのに、それが失われつつある。それに伴って頭のシャープネスが失われたのかな。客観的なパフォーマンスは変わらないけれど、それに伴って感じる快楽が違う。なんか、この意味でとっても大切なものを失ってしまったように感じた。






快楽・・・・・そう、おそらくシャープであることは、快楽の一つに違いない。






週末にジョギングしているけれど、それは持久力の維持には資しても、その他の瞬発力とか
反射神経とか、かつて研ぎ澄まされたものを維持するには到底不十分であるとつくづく感じる。










なんか、体のシャープネスが、全体的なパフォーマンスの限界を画するような気もして少し怖い。








そんな肉体と精神の相関関係を感じた金曜の夜。







でも、逆に言えば、体のシャープさが戻れば頭やマインドのシャープさが戻るのかな。





ヘルスのためにはなかなか頑張れないのが人間だけれど、快楽のためには頑張れるかな。







ちょっと、そんな仮設を立ててみた。検証してみようと思う。




ちなみに、僕の周りには体の動きは到底シャープじゃないけれど、頭の回転はめちゃくちゃシャープな奴も結構いる。彼らと僕を単に違う人種とらえるのか、それとも頭のシャープさを戻す要因はカラダの他にあるのだろうか。直感的には前者な気もするけれどよく分からない。








バスケの後、そんなことを一人で思いながら、メンバーとどうでもいい話をしつつも、ひさびさに居酒屋に直行。「わみん」こと「ワタミ」。ひさびさだ。





ビールをさくっとあけた後にひさびさの焼酎を渇望する。





次々と会話の上に焼酎が空いていく。会話のおかげで焼酎のアルコールが揮発しているのか、はたまたそれは酔った幻想なのか。ただ、どんどんと瓶が空いていくことだけがその場での事実。






そんな中、オーストラリア人とアメリカ人のバスケメイトにSuper Offensiveな日本語は何かと聞かれる。



ここでは到底書けない様々な英語表現の豊かさを教わり、逆に日本語の奥深さを教えた。言語の深さとは書面にならないところにあるのかもしれない。なるほどね、どこの国も無駄なことを考えるのは一緒なのね、切り口は無数で、それでいてユニークで面白い。それが素直な感想。今度同部屋のOZに使ってみよう。









一つ質問があった。









「たとえばさ、映画館で後ろの人の足が当たっている場合、なんて言えばいいのかな?ちょっと文句ありげな雰囲気を出したい。足はちょっと下げて欲しい。でも、「KO・Ro・Su・ZO」みたいなSuper OffensiveなものはToo Muchなんだけど、何か良いフレーズないかな。」







なるほどね、そんなのどこで使うんだよー、と思いながら、ある意味ではGood Question.




いつ相手にけんかを仕掛け、どうやって挑発し、どうやって嘲笑するか。これをとてもElegantにやることが時としてどれだけSophisticatedなことか。意外に深いテーマ。若干酔っ払いながらそう思った。









そんな中、色々と無意味に会話は飛びまくった。色々教えたけれど、一つ面白いのが






「オトトイキヤガレ!!」





直訳すると「Come back the day before yesterday!」




ごく使い古された表現だけど、改めて考えるとNon senseだ。まったく意味をなさない。けれど、非常に表現がユニークだね。だって、絶対あり得ないじゃん、オトトイ来るなんて。しかも、Japanオリジナルっぽい。きっと僕が外国人でそのコンセプトを初めて聞いたら、怒るというよりも、あまりのナンセンス
さに笑ってしまうに違いない。






奴らも同じ反応。






「オットットイ、キヤガレィ!」





もう僕らしかいない居酒屋で外国人たちが練習を始める。そのさけびが、エコーしてたっけか。発音が自然じゃないからFunnyだよ、と言ってみたら、お互いにもっと練習していた。なんか変なとこで律儀だな、こいつら。





そんな空間を仲間と共有する。そしてただひたすら空いてゆく焼酎のボトルが横に転がっていたっけか。まあ、こんな夜があってもいいかもしれない、Viva Life。そんな金曜の夜でした、お疲れ様ー♪さて、シャープネスを目指しますか♪





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by sipoftip | 2008-10-18 04:34 | 雑感

A Planned Surprise-(DOU-A-GE)--10月15日-



Birthday party has to be like this!
Good night with good blokes



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by sipoftip | 2008-10-16 01:50 | 雑感

IQとキウイ-10月14日-




あるKiwi(キィウィ=ニュージーランド人)との会話




K:「最近、日本人によるノーベル賞の受賞をきっかけとして、人材流出や教育などがさかんに議論されているようだよねー。実はニュージーでも人材流出が問題になっているんだよー。」

た:「へー、そうなんだ。」


K:「基本的にオーストラリアに流出しているんだよね。一般的にさ、人口が流出すると
国の経済力が低下するから国にとって悪影響が出るって言われているよね。確かに労働力の低下という意味ではニュージーランドでも深刻なんだ。


でも、深刻な側面はありつつも、典型的な人口流出のケースとは異なって、良い効果(Side Effect)もあるんだよ。


なんかさ、人口流出によって国民の平均IQが上がっているみたい。だから、人材流出といっても、比較的IQが低い層が流出している点ではさほどの悪影響はないという評価も可能かもしれない。

さらにね、ニュージーランドの国民の平均IQが上がったという現象だけでなく、オーストラリアの国民の平均IQも上がっているみたいなんだ。」








さて、これをOZに話したところ、机をどん!と叩いて「出て来い!」と言ってました。そこで、
「AussieはどうやってCome Backするのさ!!!???」と聞いたところ・・・・・・・・・?






OZ:「いやー、大学の同窓会があってさ、みんなで久しぶりに集まったんだよね。
10年前だからみんな変わっているんだろうな、結婚した奴もいるだろうしね。


まあ、それで同窓会に行ったら、ニュージーランドからの留学生だった奴も来ててさ、
奴も結婚していたよ。奥さんも同窓会に連れてきてたんだけど、隣を見るとさー、



めぇ~~~(羊の鳴き声風)」









とまあ、こんな感じらしいです。個人的にはKiwiネタの方が切れ味がいいように思われますが、
そう伝えたところ、



「いやいや、もっとレパートリーは多いんだよね。でも、その多くが羊とのUnhealthy relationshipに関するものだから、残念ながら、ちょっと女性がいるこの部屋では披露できないなー。」




とのこと。んー、なかなか良いリカバリー。

ちなみに、同部屋の女の子、英語は堪能なのにおっとり天然系で、この種のネタにはうとく、ぽけーっとしていましたとさ。



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さて、少し視点を変えます。



AUSとNZはこうやってお互いを馬鹿にできる。だけど、これはあくまでFriendshipベースがあってこそ。アジアに置き換えてみよう。なかなか思いつきません。例えば、キムチばかり食べている奴に「お前さー、韓国人じゃないんだからさー」とか突っ込みを入れることがあっても、それを韓国人に対して言うことは少しリスキーな気がします。

オリンピックを見ていて中国強かったですねえ。半分ひがみも入って揶揄する場合、「いやー、やっぱ共産主義で訓練されると、スポーツのマシーンになっちゃうからねえ、よくやるねえ。」とメダルをとりまくった中国に対するひがみも込めたコメントをしてみたときもありました。そんなことは日本人同士では特に問題ない。でも、ラーメン屋で餃子を食べながらオリンピック状況について話そうとしたとき、そのグループに中国ルーツな奴がいたので、中国のオリンピックでの強さをそうやって半分からかい混じりに話すことはできなかったことがあります。発言の直前に気づいてのど元で、はっと発言を飲み込んだんですね。あれは危なかった。



もちろん、仲がいいからといっても限界点はあるとは思います。でも、そこの境界線を越えない限りで馬鹿にしあうのはじゃれ合うようなもの。仲がいいんだなあ、ちゃんと理解して心が許しあって、境界線も見極められないと、冒頭に述べたようなエスニック・ジョークは難しいですね。



一見、何気ないですが、相手からすれば「こちらが無害であること」を信頼しなければこういったジョークは成り立ちません。相手の信頼の上に成り立つジョーク、これはお互いに相手に対してかなり理解していることが前提になるんだと思います。さらに両者の間には共有する何かも必要かもしれない。



だから、こういったジョークをみていると、AUSとNZの間にあって、日本と韓国、日本と中国の間にないものを見た気がしました♪いつか日本と韓国もそういった仲になれるのかな。


さらにいうと、これって少なからず個人の関係にも少なからず当てはまるように思うんですよねー、様々な形で普段の人間関係にも現われていると思います♪


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by sipoftip | 2008-10-15 02:42 | 英語

冬だからビアガーデン~Getaway in Asia④~

カオサンの夜が更け、朝が来た。

昨夜の騒然とした様子が嘘のように静かな朝のカオサンストリート

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パンガン島に飛び立った美容師の彼と別れ、一人で朝日のまぶしいカオサンストリートを
散歩する。屋台でタイ風ヌードルのようなものを食べ、一服する。



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そして、バックパッカーに有名な旅行代理店に行き、チケットを取った。


バンコク

ネパール(カトマンズ)

インド(バラナシ)
↓(陸路)
インド(カルカッタ)

バンコク

インドでの入国地と出国地が異なる(ちなみに、これをオープンジョー(Open Jaw)という。)。
(航路の形をみると、あごが開いているみたいでしょ。)


***


大学生のときにサークルで知ったタイ人の同業、スキィと連絡をあらかじめ取っていたので、
彼の職場の同僚たち数名とビアガーデンに行く。タイのポップソング?がライブで演奏されていた。



「最近は、寒くなってきたからビアガーデンがいいねえ!」



なんて言っていた。「???」と思ったけれど、「夏は暑くて外でビアガーデンをやるなんてとんでもない!」らしい。へー、お国柄が出てますねえ、と思いつつ、彼の同僚と話していると、アメリカに一年交換留学していた会計士の友人がいるという。


「あー、僕もね、タイ人の友達がいたよ。アメリカに留学したんだけれども、行き先のはずだったホストファミリーの母親がガンになってしまって受け入れられなくなって、現地でホスト先が見つからなかったわけさ。そこで、ナンシーおばさんっていう人の家に最初の1週間は居候してたんだけど、タイからの留学生がまったく僕と同じ境遇で居候していたんだ。名前はナッティだったかな。」


彼女が目を丸くした。。。。「彼の名前もナッティよ!・・・what a small world!」





ちなみに、その後、まったく別ルートで、ナッティは僕の職場にメールで連絡してきた。わお、元気?ってさ。


そんなナッティは、現在バンコクじゃなくて、オーストラリアに住んでいて、ある有名な会社に勤めていた、だから、それを同部屋のOZに伝えたら、「Fair Dinkam!」だって。彼はその会社のCEOを知っているんだとか。

さらに、余談だけど、しばらく連絡を取っていなかったスキィには、タイの同業を見つける必要があり、メールアドレスに連絡したがmailer-daemon.....そこで、googleしたら、facebookにいるじゃないですかあ。そこで、今日はじめて登録して、スキィに連絡をとれた。ちなみに、ナティイも発見。わお、Viva google&facebook!




そんな彼らは同業であり、わりとお坊ちゃま&お嬢ちゃま。インドに行きたい、なんていうと「わお、Coolね。それはアドベンチャーよ!!」と何故か励ましてくれた。。。(・・;)


まー、そんな平和な彼ら。平和ぼけしているんじゃないかと疑ってしまうくらい、人がよい。タイ人って「癒し系」な人が多いと思う。サークルの討論では「知的財産保護と南北の経済格差」みたいなま考えても背丈を越えた大それたテーマのディスカッションをファシリテートしたのですが、マレーシア人が「Fair enough!!」と言いまくり、喋り倒し、シンガポール人が「ちょっと待って!」と切り返し、インドネシア人が「そうは言うけれど・・・・・」と超激論を交わしていました。僕はそのハンドルに四苦八苦していたものの、タイ勢は、そんな応酬を終始笑顔で見守って、たまに渋いコメントをするみたいな、親近感わく系な人々だったなあ。そんな平和な奴ら。結構スキです。


そんな彼らにはタイボクシングに連れて行ってもらったり、色々とお世話になった。


初めてのバックパックでインドに行ってしまうわけだけど、フライトまでの期間、バンコクで平和でのんびりとした日々を過ごしていた。なんか、やはり試験勉強で凝り固まったからだがほぐれ、砂漠にいて水を渇望する人のように、さまざまな知らない世界を求めている、そんなジブンに新しい世界が次々と入ってくる、そんな心地よい刺激をゆっくりと噛みしめるように楽しんでいた。この感覚は、いまでは懐かしくもあり、それと同時に昨日のことのようにすぐに思い出せるのです。


(つづく)
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by sipoftip | 2008-10-08 02:26 | 旅行

戦友たちとの夜-こんな一夜があるのもまた果実-10月3日-



「お!おまえ!元気か!!??」




おっちゃんは、僕の顔をまじまじと見ながら、驚いた表情で僕に問いかけた。



きっと、数年前を遠く思い出していたのだろう。


淡々とお店で焼き鳥を焼いていた仏頂面から湧き出たようなオドロキの表情を見せる。



「おー!元気っすよ!おっちゃん!てかさー、覚えてくれたんじゃん!嬉しいこといってくれんじゃん!」









そう、これは渋谷某所での焼き鳥屋でのオハナシ。


周りにいた友人の「くらげ」からは、


「そりゃーさー、お前のカオはなかなか忘れないぜー」


とコメント、その隣の友人、「ふくすけ」からは、





「でもすげーなー、てかあのおっちゃん、俺らのこと、みんな覚えてんじゃん!」



そこで、おっちゃん、すかさず隣の「さくら」にも、


「おー、おめーも受かったか!」



なんて話しかけている。もう受かったのは結構前なんだけどさー・・・とか思いつつも、おっちゃんが
顔を覚えていてくれたことに少し感激




少し前になるが、9.11に発表のあった司法試験で、昔の戦友たちが次々と受かった。




一緒に渋谷某所で勉強しただけあって、「同じ釜の飯を食った仲間」的な「戦友」。

「ゆるいつながり」でいろいろな人と知り合ってネットワークが繋がるのもすごく面白いけれど、
こういった濃い戦友たちと会うと、まるでホームに帰ったような気分だ。





9月11日、戦友たちの合格報告を聞き、さっそく僕らは「どっかで祝賀会をやるしかないね!」と相談。



色々考えたけれど、




「やはり初心に帰って渋谷で、しかも、よく肉味噌弁当を食べた、あの焼き鳥屋で!」



ということで、くらげが予約を取り、金曜の夜、懐かしの焼き鳥屋で、懐かしのメンバーで飲んだ。




ちなみに、その焼き鳥屋さん、こいつら戦友たちとは別の件でも飲んだことがあった。実は現役で論文に落ちてしまった翌日にも、ゼミの先輩といったことがある。現在、裁判官として活躍されているY氏をゲストに迎え、オトコ3人で飲んだっけか。励まされたけど、あまりの落ち込みように気遣ってくれた先輩の優しさを今になって思い出す。次はおまえの番だからな、と。そんなこともあったかなー、と戦友が周りでわいわいやっているそばでしみじみと思い出す。





さて、かつては一緒に戦ってきた戦友たちだけれども、その半数は結婚し、その半数はなんと子供も授かる予定。みんな人生のステージはばらばらだけれども、それもまた面白い。






さて、次々と仕事を終えたメンバーが到着。かつては入った飲み屋さんのすべてから苦情を言われ、その半数から出入り禁止を食らうという伝説を残した僕らだったけれど、今回はおっちゃんのおかげか、出禁も苦情もなかった(笑)。






夜は更け、二次会に。



雨振る中、「どこにしよっかー。」といってたら、誰かが



「魚民?」





と言った。魚民、これはオカネがなかった受験生時代に、みんなで模試の後、はじめて飲みに行った飲み屋。いやー、そのときは盛大にさわいだねえ。いまでもどの席に座ったか覚えているし。





豪雨の中、魚民で引き続き宴は続く。Nothing fancyだけれども、そこにはとても活き活きとした何かがあった。





戦友といっても、徐々にグループから合格したものは抜けていくので、なかなかキビシイのが現実。




今回の9月11日の発表でわれらがグループのほとんどは業界入りしたことになる。




これってなかなか爽快。あのときの焼き鳥屋や魚民では、オカネも、地位も、何もなかったけれど、なんかエネルギーに溢れていたなあ、と。ちなみに、僕らのグループの某国立大のヒトはいない。そんなアウトローな感じもまた然り。



アウトローではあったけれど、晴れて受かったふくすけとかは、「ローでの生徒のベンキョのレベルもそうだけど、いつもお前らのレベルが頭によぎっていたから、たとえローでどんなに周りの奴らよりできたからって、先に合格ってたおめーらのレベルを知っていたから、まったく手が抜けなかったぜー。」とのこと。普段はアウトローだったけれど、お互い切磋琢磨しあっただけあって、なかなかのものだったようだ。

まー、たしかにめちゃくちゃ勉強したもんねえ。そんなことを思いながらも、次々と焼酎のボトルは空いていった。。






気づいたらほぼ明け方





渋谷の空が徐々に明るくなっていた。



こんな一夜があってもいいかもしれない、


人生の果実の一つかもね、



タクシーに乗る直前、空を見上げ、ふと素直にそう思った。



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by sipoftip | 2008-10-04 02:40 | 雑感

信心深き人のためのソープオペラ-10月2日-



引き続きイスラム絡みのネタですが、今回はこの記事↓

As Arab television audiences grow, so does criticism from conservatives
http://www.iht.com/articles/2008/09/27/africa/arabtv.php

アラブ人の方々も娯楽としてのテレビ番組が普及してきている模様です。

●まず、番組の内容は以下のとおり。

内容はいわゆる「Soap Opera」的なものだそうで、イスラム教徒が夕食時にワインを飲んだり、premarital sexをしたりする場面もあって、さらには中絶の場面もあるみたい。わお、結構ご法度っぽいですね。

また、かつてアラブのテレビ番組ではある程度正式な言葉が用いられていたようですが、上記娯楽番組では専ら「口語のアラビア語」(*)を使っており、イスラム教の権威の方から「品位」の観点から批判的なコメントがなされている模様です。

(*)アラビア語には文書等に用いる正式なコトバのほか、日常生活で用いられる口語のアラビア語もあるそうです。読み書きができない人たちは、専らこの口語を使っているようです。正式なバージョンは文法なども難しいそうですが、口語の方は比較的マスターが容易らしいです(と、かつてヨルダンに旅行したときに教えてもらいました。)。



●そんな大衆的な内容の番組ですが、インパクトはかなり大きな模様です。


番組の制作自体は、比較的リベラルな(?教義の規律のゆるいと思われる)シリアやエジプトなどの国で行われているようですが、視聴者の多くはサウジアラビアだそうです、そう、比較的厳しいことで知られるイスラム国家です。


「中東におけるテレビの市場」がサウジアラビアであるという構図は面白いですねー、ちなみに、9月はイスラム教の断食(Ramadan)の季節なので、そのおかげもあって、上記番組の視聴率は相当なものになっているようです。

番組では、「妻がFashion Designerとしてのキャリアを目指しており、それを支える夫が描かれている」ことが原因で、サウジアラビアの封建的な夫婦の間には離婚(divorce)騒動が起きているケースもあるみたい。そのインパクトの大きさが伺えます(><)。

イスラムの権威の方々はこのような番組を放送中止にしたり、いろいろな火消しに回っている模様です。ミッキーマウスも"soldier of Satan" who should be killed"と呼ばれて焼かれているようで、ちょっと新鮮です。



●さて、雑感。。チャイを飲みながら考えてみた。






サウジの一般市民は鳥篭にいるのでしょうか。イスラム教を否定するつもりはさらさらありません。おそらく、サウジのイスラム教の権威者たちが火消しに回っているのも、その国も問題なので、特に他の国がどうこういう話ではない、という整理になると思います。これは国家レベルのお話。


でも、個人レベルのお話はどうなのでしょうか。これは、「そういった世界がある」ということを知らないままに情報を制限されてしまっているとしたらどうなのでしょう?というお話。


別の世界を知っていても、なお自分はイスラム教徒であるとして信心深く生きるのであれば、
特に違和感は感じません。でも、そもそもそれ以外の世界を知らないままに信心深く生きていく
人たちに、違った世界を知らせる番組を見せない、というのには少し違和感を感じるかも。
(情報制限という構図だけみると少し北朝鮮と似ていると議論することも可能かも。)


一人ひとりが十分に情報を受領できて、はじめて選択の自由が生まれ、自由を謳歌できるんだとすればちょっと人権の観点からは問題があるのかな?でも、表現の自由とかこういった情報受領の自由がどこまでFundamentalなものとして認められるかは議論がありうるところかもしれません。


この番組を見て「別の世界を見てみたい!」と感じてサウジ国民自身が改革を求めるのであれば別ですが、それ以前に他から口を出す問題ではないような気もします。でも、「情報制限されてるのは不本意だけど、権威者に立ち向かうのはタブー」という状況にあるのであれば、そうやって片付けることができるか議論の余地がありそうです。民主主義の強制がどこまでできるかという問題にも関連しますが、「民主主義」が常識になっている頭だけでいくと間違いそうな問題ですね。


まったく異質だけど似た構造をもつケースと比べてみます。

例えば、内紛があった場合に被害者となる子供や女性を助けるといって外から介入するのも、
「本来国家がケアすべきことに対する外からの口出し」ということが可能であり、これはある程度
認めるという見解がつよいように思われます。では、生命の救助のための口出しと表現の自由・情報受領の自由の確保のための口出しとどう違うのか。これは生命という身体的な自由がどれだけFundamentalなものか、表現の自由・情報受領の自由がどれだけFundamentalなものかという点をどのように理解するかによっても変ってくるかもしれません。やはり人の命が危ないなら介入したほうがいいけど、それ以外はさすがにねえ、というのがおそらく「穏当」な結論っぽいですかね。

生命の自由より表現の自由の方が文化的要素が絡んでくるため、他からの介入を正当化しにくいと思います。だからといって「異文化の尊重」ですべて片付けていいかどうかは議論の余地がひょっとしたらあるのかもしれません。「文化」「国家」「自由」「民主主義」、抽象的にはわかるのですが、現実のケースで調整を図るのって難しいですね。

まあ、現実的には、「情報のグローバル化がイスラム圏でも進み、そこからどう変革が生まれるか長い眼で見る」というソフトな展開に落ち着くんじゃないかなー。でも、信心深いイスラム教徒もSoap Operaが好き、というのに少し人間の普遍的な側面を見た気がしました♪

前回のエントリでDubaiについて書きましたが、イスラム社会も変革していますねー、ダイナミックです♪♪

(おことわり)

おそらく上記は国際法、国際人権法を踏まえて書けばよかったのでしょうが、あくまで直感と雑感でのエントリです。。。問題を精査するにはこれら↑も踏まえる必要があるように思われますので、ご了承くださいませ。



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by sipoftip | 2008-10-03 02:57 | 雑感

こっちの世界に来た若者のコトバ-10月1日-



僕はエジプトのカイロの旧市街に生まれた。

生まれたときから僕の運命は決まっていたんだ。
お父さんのようにホテルの管理人になるっていう運命。まわりのみんなも僕が父の後を継ぐだろうと思っていたね。


僕が生まれたカイロの旧市街は、信心深いイスラム教徒がほとんどで、社会の規律(social norm)を守り、教義を誠実に守ることが善しとされていた、そんな世界だったんだ。

僕は大学でsocial workを専攻したんだけど、卒業後に待っていた仕事はどれも月収100ドルに満たないものだった。僕はここに来る前、近所の女の子と婚約した。近所の友達がみんなそうだったように。そのとき思ったね、たとえその仕事が十分に満足いくものでなくとも、結婚によって、働く目的(something to work toward)を持つことができると感じたんだ。

そのとき、僕はその後どういった人生を送ることになるのか、何となくわかってしまったんだ。




そんな折、こっちで働く友人に、「こっちで働いてみろよ、面白いぜ。」と誘われた。
僕にとってはまったく新しい世界だったけど、飛び込むことに迷いはなかった。

働き始めたときは大変だったよ。周りはインド人だらけ、アラブ人がいなくてカルチャーショックも
受けたし、友人とアラブ人が集まるたまり場に行ったなあ。

確かに仕事は大変だけど、ここはまったく違う世界。
イスラム教の国ではあるけれども、その信仰をどうやって実践(practice)するのかは、その人次第とされている。モスクも24時間空いているし、イスラム教の教義がベースとなっているから、僕みたいな人間がとてもフィットしやすいんだ。でも、カイロよりもっともっと自由がある。
アルコールも飲むし、娼婦だけどロシア人の彼女もいる。
ここではさまざまな機会があるし、未来がある。

きっと、ここはイスラム教の国のあるべき未来の姿なんじゃないかな。



一度、故郷のカイロに戻る機会があった。
友人はみんな僕に言ったよ、「君はお金を稼ぐようになって変ってしまった。」という風にね。
ひょっとしたら、ひがみもあるかもしれない。僕から見れば、彼らは今いる世界に足をとられて(stuck)、そこから動くことができていないのかな。ちなみに、前の婚約は破局したよ。


故郷を懐かしいとは思うけれども、やはり戻りたくないな。こっちの世界で僕は生きていくんだと思う。



++++++

数日前に読んだ記事(*)を覚えている限りでざっくり物語風にしてみました。面白いのでお時間があれば是非原文を読んでみてください。上記で「こっち」というのはDubaiです。ちなみに、「エジプトのカイロの旧市街」には遊びに行ったことがありますが、カイロの市街地とは異なり、
ひっそりと人々が古いレンガの家で、チャイを飲みながら慎ましく暮らす、古き善き地域といった感じでした。

Dubaiという国が、古典的なイスラム教の国にとってどのようにインパクトがあるのか、それは古くからのイスラム教国の人しか語れないはずであり、その意味で興味深い記事です。でも、それと同時に、「エジプトのカイロの旧市街」と「ドバイ」を様々なコトバに置き換えることで、自分たちの周りの世界にも少なからず当てはめることができるのではないか、といった点で興味深いと思いましたー♪


(*)参照記事
A free-wheeling new Muslim culture grows in Dubai
(http://www.iht.com/articles/2008/09/22/mideast/dubai.php)

(おしまい)
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by sipoftip | 2008-10-01 23:44 | 雑感