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その瞬間~ザトウクジラ(Humpback Whale)+憧れてステップを踏む+知らない自分~5月30日








●Humpback Whale~ザトウクジラ~


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「その瞬間ってどんなだろう?」


よく、お気に入りの緑の迷彩色のラグに寝そべって、横目で上にそびえ立つタビビトノキを見上げて、このポスターをぼんやりと眺めながらぼーっと思いをめぐらせます。ジャンプしているときザトウクジラは何を考えているんだろう、きっと何も考えていないのかな、でも、どんな感じなんだろう、あんなに大きな体をあんなにダイナミックにジャンプさせるのは、なんてことをぼんやりとね。特に答えを求めるわけでもなくぼーっと。休日の昼下がりに街の外れにあるカフェでかかってそうなBOSSA-JAZZなんかを聞きながら。

こうしてブログを書いている間にも、自分とはまったく違った世界でザトウクジラ(Humpback Whale)が写真みたいに飛び跳ねているのだろうなあ、なんて小学生みたいなことを思います。

なんか、僕の日々の生活とあまりにもかけ離れた世界の出来事なので、思わずため息がでてしまう。これは疲れやふがいなさから出るため息とは違う。

僕の日常とクジラが絵の中でジャンプしている世界があまりにも違いすぎていて、でも、そのまったく異質な二つの世界があることは事実。

こう書いている間も世界のどこかでザトウクジラはジャンプしていに違いない。

そんな風に自分の日常からは思いもつかない世界がこの世の中には存在する、ある意味では誰しもが当然にわかっているけど特に気にもとめないことが、この写真を見ると、改めて認識される、そんな感じです。そういったとき、東京の目黒の家で寝そべっている僕と世界のどこかでジャンプしているクジラというまったく異なる二つの世界が目の前に現われて、でも、それはどう考えても交じり合わない。だけど、ふとため息をすることで、その二つの世界がなんとなくつながる気がするみたいな。おそらく、力を抜いてため息をつくことで、自分の前に現われたまったく異質の世界が同時に理解可能なものとして、自分のカラダや細胞に認識される。ため息はそのための儀式みたいなもの。そんなため息をよくついています。

普段の生活における、ちょーーっとした非日常。

さらにいうと、今いる世界だけが世界じゃないんだよなっていうことを、目の前にその姿で見せてくれる。

クジラくん、とっても、とってもいい感じなのです。


↓ざっくり探してみました。クジラのジャンプ。ご興味があれば。

ザトウクジラ①

ザトウクジラ②

ザトウクジラ③




●憧れてステップを踏む



「その瞬間ってどんなだろう?」




いろいろな場面でそう思うことが多い。いや、思い焦がれることが多いというべきか。あるいは、思いをめぐらすことが多いといった方がいいかもしれない。

今までの生き方、というと大げさだけど、いろいろな選択をするにあたって、すごく重要な要素になっていたのが、「その瞬間ってどんなだろう?」という好奇心というかワクワク感なんだと思う。おそらく好奇心は小さいころから人一倍強かったみたい。そういう子供は結構多い。でも、多くの大人は好奇心を卒業してしまうという。でも、僕の場合は精神的にあまり成長していないので(++;)、いまだに好奇心は人一倍強いんじゃないかな、と思う。そして、今でもこれは自分にとって、最も重要なことの一つなんだと思うわけです。

***

自分にとって大切なものは何か?


やはりキャリアを考えるに際して、この素朴な問いかけはすごく大切なんじゃないかな、とつくづく思う。この部分をおろそかにしてしまうと、きっと「自分の人生」の少なくとも半分も生きることはできないのでは?と思う。

でも、自分の中にあるはずの答えを聞き出すのは結構難しい。まわりがうるさくて、気になって、
静かに自分の奥底にあるものに耳を傾ける余裕がないことも多いから。本当は「余裕」という点では「まわり」よりも優先されるべきなんだろうけど、それがなかなか難しい。めまぐるしい日常の中では、まず物理的に仕事や勉強がたくさんあって、情報はネットでも現実の世界でも溢れかえっていて、人間関係も、それぞれの人の思惑も交錯して、それらが入り乱れている。

そして、目の前に現われた出来事を、定型的に処理し、ときに非定形的に処理をすることに多くの時間が費やされる。そんな中で、自分にとって大切なものはなんだろう?という素朴な疑問に対して自分の中に埋もれている答えを見つけ出すのって、ときとして、とても難しいことなんじゃないのかなあ、と思うわけです。まわりが静かにならないと心の声が聞こえにくいかもしれない、みたいな。

しかも、見つかったと思って、実は違いましたーなんてこともままにある。

さらに、頭で考えている際には当然の前提としてた事実関係-それはときに大切な人だったり
するかもしれないし、その人がそのときに置かれた状況かもしれない-それが存在することが前提としてそのうえで自分にとって大切なものって何だろう、みたいに考えちゃったりすることもある。そんな前提をすっとばした場合、前提が消えた瞬間に、それ以前には「大切だと思っていたもの」よりも大切なものがありました、みたいな事態にもなりかねない。

自分にとって大切なものは何だろう、それは、それだけちゃんと応えることが難しい質問なんだと思う。

ちなみに、これはスタンフォードMBAの名物エッセイらしい。

(参考記事ね↓)
http://stanfordmba-lawyer.blogspot.com/2008/05/stanford-mba-8-1.html
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-94.html)。


***

さて、


「その瞬間ってどんなだろう?」
に話を戻します。

いままで、スポーツでもすごくうまい人を見ると、「彼はそのプレーをしている瞬間、どんなことを思っているのだろう?」とすごく興味があり、また自分もそういった状態になりたいなあ、と憧れ、そしてよく練習をした。音楽もそう。

学生時代の勉強とかも、「それがわかったらどんなだろう?」ということが常に頭にあって、わかる人が感じている瞬間を感じたくて、その先の世界を見てみたくて、そんなモチベーションがもてる科目だけよく勉強していたような気がするな、と。その意味で、数学が一番好きだった。普段経験しない世界に行くことができたと感じることができたから。

弁護士になるのも、「法律がわかるってどんなだろ?」「実際に弁護士として働くってどんなだろ?」みたいな好奇心が強く働いたことも勉強が続いた一要因かな。

新しい世界、というか「新しい世界にいる自分がどうやって世界を見ているか」、これを求めていくことが、自分のキャリアにとって、すごくすごく大切なことなんじゃないかな、なんて思っています。今までもそうやってきたし、これからもそうしていきたいなあ、と。きっと、新しいと思う世界に行ったら、また次の世界がみたくなって、そして、そこに行ったらまた次が見たくなって。きっと、そうやってステップを踏んでいければな、と切に思います。


●知らない自分



この間、某大手コンサルの人とランチをした。

「もう自分が2年後にどのくらい成長しているかわからない。次に自分がどうなっているかわからない。そういう意味でまったく予測がつかないんです、だからすごくワクワクして面白い。」

彼は某事業会社から社費でMBAにいった後、退職して現在の職場にいるとのこと。
わりと良く聞くパターンではあるけど、彼が屈託もなく、ランチの席で満面の笑みでそんなことを言うので、ちょっぴり羨ましく、そして、激しく同意していた自分がいた

つい惰性でも流れてしまいそうな日常にいる中で、こうやってさまざまな場所に実は刺激があふれてたりする。

さてさて、次の知らない自分はどんなだろうか?ちょっぴり、いや、とってもワクワクします。

(つづく(たぶん))
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by sipoftip | 2008-05-30 10:34 | キャリア/コトバ/ロールモデル

ベーシックとhighest+プロフェッショナリズム+Thanks anyway-5月27日-

今日は少しだけ、凹み気味のままエントリ(・・;)

●ベーシックとhighest

今日は職場で英会話。最近、ライティングをやっているが、いまいちうまくいかない。

①限られた時間の中で書くものなので、ちょっと複雑なことを限られた時間で書こうとすると、すっと読めなくなることがある模様。


相手にどう読まれるかの視点でシンプルに骨太にロジカルに書くことが大切なのね。気を抜くとちょっとやってしまう。これは仕事のキホンでもあり、司法試験でさんざんやったこと。英語でもさらっとこなしたいところ。はい、反省(++;)

②「a」とか「the」の使い方が非常に下手らしい。

これは喋っているときにはまったく気づかれなかったのだが、ライティングになるとどうもいけていない(F●cked Upだね)、と英会話の先生、Kに言われる。
以下、Kに言われたコトバ。

「a」とか「the」はあまりできていなくても、実は英語でコミュニケーションを取ることにはさほど困らない。だから、とてもベーシックだけど、できないままに進んできちゃう人が多いんだよね。僕のガールフレンドも、英語を喋るのはうまいけど、こういうのを差し置いてもっとカッコいいボキャブラリーとか習得しようとしてるんだな。でも、考えてみてよ、どんなにfancyなコトバで詩を書いたとしても、こういった基本にミスがあると、詩も台無し(ruin)でしょう。

ベーシックだけど、ネイティブとノンネイティブを分ける分水嶺なんだよね。
このベーシックをちゃんとできること、あとはジョークをわかること、これがネイティブとの決定的な違いなんだなー。とにかく、ここが直れば飛躍的に伸びるよ、すごくもったいない


とのこと・・・(・・;)

結構ジョークはわかるつもりだが。。。(**)



***

さて、同部屋の弁護士、OZにクライアント向けのメールを
見てもらったが、ほとんど「a」と「the」だけ直された。

うむむ・・・これは致命傷になりかねないので何とかせねば(・・;)

OZからは

「a」とか「the」とかついてないと喋りにくいじゃんn。
なんかあった方が「better」と感じるんだよね、わかるでしょ。
すべては「connection」の問題。いつも話しているみたいに書けばいいんだよ

と。はてはて、「better」と言われてもねえ。。。といわれて文章を読み返して
音にしてみたら、結構何となくわかったかも。

注意力の問題も結構あると思う。今日、事態の重大さを認識した。

おっちょこちょいは親譲りだとおもうのだけど、この「おっちょこちょいDNA」の御し方を
いまだに十分にわかっていないようです、反省(++)

●プロフェッショナリズム

今日先輩と話していて感じたのが、プロフェッショナリズム。

クライアントからの質問について色々と話していたとき、ふと言われたコトバ。

「それってさ、本当にプロとして責任をもって言えるの?」


ぞくっと来るこの一言。

「たとえば、こう考えられるから、こうやって回答することも考えられますけど、
でも、そうなると・・・・(ぶつぶつぶつ)」

と言ったときに、ぐさっと貫かれた感じ(・・;)

この先輩、異常に仕事ができて、かなり厳しい。僕自身はほとんどつめられたことはないけど、
端々の発言からたまに目が覚める。

この先輩と仕事をすると、「プロフェッショナルとしてサービスを提供する」ということがどういったことか、改めてはっとすることが多い。

ちなみに、このブログでほとんど法律的なことは書いていない。
書きたいと思うこともあるけど、「お金をもらっていないし」という甘えから詰めが甘くなると、本業にも支障を来たしてしまいそうで、こわいから。

普段の仕事は、ちゃんとお金をもらって、その代わり、最大限の精度をもって、業務を進めるよう、わりと全力を尽くしている。その緊張感がこわれてしまいそうで。

友人からの法律相談とかも結構難しい。会社経営をしている友人、法務部で働く友人とかから質問を受けることもしばしば。飲み会の席で法律問題を聞かれるみたいな状況であっても、「ちょっと曖昧なまま答えちゃう」なんてのは、すごく気分が悪いときもある。自分の刀の切れが悪くなりそうだから。

でも、逆に友人の相談とかはできるだけ応えてあげたい自分もいる。だって、せっかく頼られているんだから。プロフェッショナルであろうとするほどに、意外なところでジレンマを抱えちゃうのかも(・・;)でもここは生命線なのです。

●Thanks anyway

OZにメールの添削をしてもらったときのこと。メールから話が飛んで、別の話題について
話していた。

会話のラップアップとして、「とにかく、ありがとねー」というつもりで「Thanks anyway」ととっさに言ってしまった。別の話題からメールの話題に戻すため「anyway」をとっさにつけたのだけど。

でも、これはNGらしい。ちょうど「Thank you for your cooperation」がNGなように。
以前の記事参照)

「Thanks anyway」は、実際に役に立たなかったり、依頼したことをやってもらえなかったけど、それに対する努力・姿勢(effort)に対して謝意を表すときに使うもの。実際に助けてもらったときには「anyway」はつけちゃだめ、とのこと。

もし違う話題に飛んでたときに前の話題について謝意を示すなら「Anyway, thank you for・・・」というべきなんだと。なるほどねー(・・)



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(おしまい)
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by sipoftip | 2008-05-28 04:02 | 英語

教科書に載っていないAussie Englishたち-5月23日-

昨日アップしようと思っていたのですが、思い切り脱線しました。

同部屋のオーストラリアからの研修生、OZによるTips♪


●Fair Dinkum!!
オーストラリアではすごく色々な意味で使われるみたい。

フェアディンカム、と読む。

「俺がシドニーに帰るころには、この部屋の全員がFair Dinkumを使いこなせるように
するぜ!」
とOZをして言わせしめたこの表現。代表的なOZイングリッシュらしい。

①まず、Really?という意味で使われるみたい。例えば・・・

A:Oh! Fair Dinkum!?

B:Yes, fair dinkum.

という会話だと、

:Oh!Really!?

:Yes, that's right.

みたいな感じのやりとりとなる。


まるでアラビア語で

A:アッサラーム、ワレイコム!(こんにちは!)

という挨拶に

B:ワレイコム・アッサラーム!

と返答するみたいなオウム返しだっ。

②さらに、Goodみたいな意味で使うみたい。

例えば、

A:He is fair dinkum broke!

という場合、

A:He is a good guy!

という意味。ちなみに、BrokeもOZ用語です。

●Strewth!

ストルゥース!!

はい、言ってみましょう!

ストルゥース!!

WOW!のオーストラリア版です。


●My stomach is talking to me!

なんか突然、OZが部屋で叫びだした、My stomach is talking to me!
My stomach is talking to me!みたいな感じで(++)

これは、腹減った、という意味らしい。
でも、なんとなく、「可愛い系」のキャラが使うイメージかも。

ごつい人はつかうとき注意(笑)

●My Ear is burning!

寂しがり屋なOZは、日本語で話しているとちょっとつまらなそう。
たまに日本語で「OZって●●だよねー」とか噂をすると、自分のことを話している
くらいはわかるみたい。

そうすると、

My Ear is burning!My Ear is burning!

って言い始める。噂しているのがわかったときにつかうみたい。これも、可愛い系かなー!?

●Dry

日本で「奴はドライだからなー」というと、ちょっと感情がないというか、
「冷たい人」というニュアンスで使われることが多い。

でも、ある人を「Dry」という場合、どっちかというと、シニカル、斜に構えている
みたいな感じ。

去年の同部屋はギリシア人だったのだが、やつは超シニカルだった。
皮肉と鋭いサーカズムで、ちょっぴりブラックなユーモアが大好きな奴だった。

だいたい、朝遅く、11時30分くらいに来て、12時からLong Lunchを楽しみ、14時くらいに帰ってきて、また16時くらいにコーヒーを飲みに1時間くらい消えて、そして、18時くらいにはオフィスから帰ってしまう、「ライフ、エンジョイしてます」を地で行く奴だったなあ。

会話の端々にちょっとした皮肉は結構ぴりりとくる。

あるとき、僕の席に来ていた外国人弁護士が、右翼の街宣車を聞いて、

「彼らは何やっているの?」

と僕に聞くと、すかさず彼が

「They just wanna islands back」

と言い放つ。ギリシア人にしてこのセンス。やるなあ、と。そんな彼は「Dry」



●Funny in a head

これを言われて「君、おもしろいねえ!」といわれていると思ってはいけない。

He is funny in a head!

というのはLunatic、つまりCrazy、ということ。

何か面白いことを言って、

「You are so funny!」

とか言われたら、「in a head」をつけて打ち返してみましょう。びっくりされるかも!

たぶん、英語の試験とかには役立たないけど、良ければ実践してみてくださーい。
備忘も兼ねてアップしてみました。明日はバスケだ、超嬉しいです♪

(おしまい)

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by sipoftip | 2008-05-23 03:18 | 英語

一晩600ドルの夜++3リットルのワイン+地震と雨+フカヒレ・ランチ-5月22日夜-



久しぶりに同部屋のオーストラリア人、OZのオハナシ

やつはすげー飲む。ビールのジョッキをだいたい3口位で飲んじゃうくらいだから(++)

先日の会話。

OZ:「いやー、日本ってさ、飲むとずいぶん高くつくねー。」

た:「そーなんだー、そっか、東京は物価が高いとも言うしねー。」

OZ:「そうそう、だから、お金使いすぎててさー、給料日が待ち遠しいわけさー」

た:「あ、そっかぁ。ちなみにさ、シドニーで飲むと、一晩いくらくらい使うの?」

OZ:「うーん、200ドルくらいかなあ。」

た:(後輩と顔を見合わせつつ):「へ??そりゃ結構高くないかい?」

OZ:「いやいや~~、東京の方が高いって!」

た:(後輩と怪訝な顔をしつつ)「へ?いくらつかうの?飲みに行くと?」

OZ:「この間六本木に飲みに行ったときはねー、6万円くらい使ったよ~?


た:・・・・・・・・・・・・・・・(・・;)・・・・「んで、どんなところで飲んでいるの?」

OZ:「いやー、そのあたりの所に適当に入るんだけどねえ。」

た:(まさか、ぼられている???と思って心配になって聞く。)

  「あのさ、ビール一杯はいくらくらいなの?」

OZ:「酔っ払っちゃうとよく覚えていないんだけどね、600円くらいだった気がするなあ。」

た:(ん?意外に普通ジャンとか思いつつ・・)「一体いくら飲むの?」

OZ:「うーん、よくわからないんだよね。なんか一緒に言った友達に聞いたら、酔っ払うと   他の知らない人にも結構ビールをおごっちゃっているみたいなんだよねー」

た:(後輩と顔を見合わせつつ・・・・・・)「おい!そりゃー、東京が高いんじゃなくて、飲みすぎだ   ろー!と心で叫びつつ!

  「へー、おごっちゃうんだ。やさしーじゃん!You are so generous!(気前いいねえ!)」

OZ:「いやー、I don't wanna be that generous!(そこまで気前よくなりたきゃないよ~)」


まあ、よくある1コマです。


****




そんなに飲むんなら・・・・すっかり飲みキャラが定着したOZ。

意外に可愛いキャラ?おそらく母性本能をくすぐるタイプ?かも。

GWに特にやることがないんだー、という彼を実家に誘ってみた。

両親、妹、親友と僕とOZで団欒。もっぱらOZのオハナシ。

ひじきの説明をしたときに、「ひじきってヘルシーだよ」と説明したところ、
一口食べて、

「そっか、ヘルシーなものって一般的にはおいしくないよね。でも、これは例外だ!」

とむしゃむしゃ食べていたのが母親的につぼにはまったらしく、その後、ずーーっと、笑いが
絶えなかった。GOOD JOBだ、OZ!

そういうわけで、ノリで?↓こんな3リットルワインまで空けてしまいました。



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彼は3リットルワインの3分の1くらいと、ビール5杯くらい飲んでいた。

翌日、彼は事務所を休んだ・・・・・・・・・・・・・(・・;)

「うわっ、やべー、飲ませすぎた?」

と思ったら、彼は翌朝、「頭痛」だったと説明。


「それって単なる二日酔いじゃねえの?」


と心の中で軽く突っ込みをいれながら、よくよく彼の話を聞いてみると、ゴールデンウィーク中、彼は結構ホームシックだったことが発覚。

そっかそっか、そりゃ、今まで親元を話して暮らしたことないんだもんなあ。

といいつつつ、ホームシックで事務所休んじゃったり。可愛いキャラ、過ぎませんか?(笑)


***********



そんな彼はとってもおぼっちゃん。食べ物が美味しいことを「beautiful!!」と形容するあたりからもその育ちの良さの片鱗はうかがい知れる。

母性本能キャラだけあって、なかなか視点が違う。


最近、東京でもぼちぼち地震があるけど、毎回どんな小さな地震でも、翌朝には

OZ:「よー!昨日地震あったよね!」

た:「んー、あったかも。でも、そのときは寝てたなあ、はて、仕事してたっけか?」

OZ:「いやいや、あれは凄かったって!」

た:「そっかなぁ、ずいぶん自身怖がってるねえ。」

OZ:「そりゃそうだよー、だって、シドニーに地震なんてないんだぜ!昨日だってさー、えーっと・・・(ネットで検索して)あったあった!ほら、震度2だ。地震ジャン!」

た:「んー、震度2なんて起きないって(・・;)」


毎回地震があるとこんな感じ。毎回ネットを調べて、いかに前日の地震がすごかったかを雄弁に(高い声で)語る。結構ほほえましい。


****


さらに、最近は雨にも弱い。


OZ:「あー、今日雨だなあ」

後輩の女の子:「あ、なんか今日はね、ママからメールがあって、中国の大気汚染や放射線が   日本の雨に混じってるかもだから、なるべくぬれない方がいいわよって言われたの」

OZ:「えーー!!!!!雨に放射線が!やばいやばい!傘持ってない!」


・・・・・・・・・・・・(++)相当にパニくってました。

以降、毎回雨が降るとパニくっています(**)(笑)

********



先日の昼。パートナーと中華でランチ


た:「Tくん(後輩)さー、ここだとランチは何がおいしいのかなー、知ってる?」

Tくん:「んー、そっすねー、僕は本日のオススメ、マーボーナスにましたけどねえ。」

Tくんの秘書:「んー、結構みんなマーボーナスか麻婆豆腐ですよー」

た:「そっかー、メニュー見せて♪おっ、角煮かフカヒレあんかけご飯か迷うなー、よーし、ひさび  さにフカヒレにしよっと。お願いできる?」

Tくんの秘書:「おっ、新しいチョイスですね~!了解です♪」

た:「OZは何にしたの?」

OZ:「僕は飲茶セットにしたのさ」

た:「へー、好きなんだね。フカヒレとかマーボーナスも結構おいしいと思うけど、好き?」

OZ:「うーん、辛いのはちょっと勇気がないなあ。フカヒレはこわいんだよねー

た:(後輩と顔を見合わせて)
  「フカヒレが怖い??」

OZ:「シドニーではね、サメの尾ひれをみると、みんな一目散に逃げるんだよー(ここでクロールの動作の真似)」

た:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(++;)

  「・・・・・・・・・・・・・まじで?でも、それって海の中でしょ?料理されててもだめなの?」

OZ:「うーん。やっぱり怖いんだよねー」


た:?・・・・・・・・・・・(・・;)おいおい!ラグビー選手でフォワード張ってて、それだけでかいのに
  どんだけ可愛いキャラなんだよ!と心の中で突っ込むっ。後輩のTくんと顔を見合わせる・・・(・・;)




・・・・・・・・・・・あの、本当はOZの使うスラングをアップする予定だったのですが、他を書きすぎたのでまた今度にしますっ!!

(おしまい)
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by sipoftip | 2008-05-22 04:18 | 雑感

枠の外に目線を合わせる+第一人者とおちゃめ-5月17日-




●枠外の目線+肩の力を抜く

今、友人から教えてもらったジャズレーベル、澤野工房にて
入手した山中千尋さんというピアニストのCDを聞きながらこれを書いています。

やっと昨日届いた♪上原ひろみさんとはまた違った感じで、これはこれでかなりいい感じ。これを紹介してくれたのは先週末、ばったりと偶然が重なり出会った修習のクラスメート。

彼女は、某国立大学出身、英・仏に堪能で司法試験も現役合格という、肩書的には典型的なエリート。成績はもちろん、その頭の良さで、クラスでも「やっぱ違うよね」的な位置づけのエース?だった。

だから、修習を終えてから彼女みたいな人がどういう風に進路を進めているのだろう、というのはとても興味があった。指導担当からしても頼もしいに違いない。

詳細には書かないけど、相も変わらずエッジの効いたキャリアを進めていて、とても刺激を受けた。何となく僕の周りをみていると、先輩弁護士がハーバードロースクールに受かって凄いとか、TOEFLがすごくいいだとか(注:それ自体はとっても凄いことですが。)ある意味「枠の中での視点」にとどまっていた。でも、まあ、彼女はそういって僕の周りの優秀な人が英語でやろうとしていることを、わりとあっさり全部フランス語でやってしまっているみたい。しかもそれをさらっとこなしているように見せてしまう。そんな「枠の外の目線」で頑張っている彼女の話は、それはとても刺激になりました。これから裁判員制度の導入や司法制度が多く改革される中で、彼女みたいな人たちがリーダーシップを発揮していくのだろうな、と。

僕の周りにもできる人は多いと思うけれど、「優秀であろうとする人」は「枠の中の視点」に目線を合わせて、その中でどのくらい高みにいけますか?というテーマと戦っているように思える。そして、そこですごい汗をかきながら必死に?戦っている人もいる。もちろん、それはそれで凄いと思う。必死になれることも能力のひとつ。

でも、彼女と話していると、そもそも目線が違う。そして、「汗をかきながら必死に」というわけでもない。卓越したスポーツ選手は、必要な部分の筋肉には、プレー中、すごく負荷をかけているけど、それ以外の筋肉はすごくリラックスしていると聞く。彼女もそういったいい意味で一流のスポーツ選手みたいな素養を備えているようなことを聞いたことがある。

彼女もそれに近いものをもっていると感じた。


ふつーに多趣味で、興味の関心も広いし、それを地で行っているかんじ。まったくがつがつしていない。わりとお茶目。

僕の知る限り指折りの一流の人材と思います。こうやって、優秀な人と話すと、それだけ「サンプル」が増えて、とてもいい感じです。



●第一人者


一流の人材が必ずしも第一人者になるわけではない。第一人者とはすでに達成の域にある人。

うちの職場にも第一人者と呼ばれる人は少なからずいるけど、特に2月末から4月末まで、ある分野にて第一人者とされる職場外の弁護士と一緒に、(それも結構密に)仕事をさせてもらう
機会が多かった。

すごいですね。僕が生まれる前から弁護士をやっているけど(!)、今の年齢でも頭は凄く切れる。経験はもちろん豊富、クライアントのニーズを見つけるのもすごいし、日本語と同じくらい
に英語は使える。すごい仕事もできる。まずびっくり。

弁護士もある程度のレベルに行くと、自分でクライアントをもって事業を行うという意味で、エクイティプレーヤー的な側面が多いかも。ある大先輩が「事業会社は最大のエクイティプレーヤーだ」と言っており、これは主に投資銀行やファンドとの比較という文脈で述べられたものですが、弁護士の場合には勤務先じゃなくて自分がエクイティプレーヤーになってしまう。

しかも、新たな分野を開拓するのはいわゆる「アントレプレナー」的な側面があって、いわば
企業と結構似ている側面があるようにも思う。

その弁護士先生は、その人の立場に立って考えれば考えるほど、「この時代に」「こんな分野を開拓して、ここまで一人者になったのか!」と驚きの念を禁じ得ない。ヴィジョンがあるというか。今の弁護士たちの多くは、それらのフレームを前提に頑張っているけど、フレーム自体を作ろう、という気概がある人は必ずしも多くないのか、または秘めているのか。今の時代に先生くらいすごいMoveをするなら、どんな動きが考えられるのだろう。

でも、そんな人だから、どんな仰々しい人かと思えば意外にお茶目。

仕事ではもちろん厳しいしレベルが高い。しかも、逆にその先生の意見に(自分が弁護士を始めたことには生まれてなかった)僕みたいな奴が反論しても、それが筋のとおるものだとあっさりと引き下がる。このあたりもプロフェッショナル。でも、それ以外はとてもお茶目?で、余計な力が抜けている。そこがまたすごいなあ、と。ちなみに、そういう人の力を十分に発揮しつつ、自分たちのインプットも統合して、一つのリーガルサービスとしてクライアントに提供する、3月、4月はそのプロセスを取り仕切るみたいな仕事をしていました。

仕事では法律論を戦わせ?
ときに電話口で笑いつつも、「弁護士として一つの完成系なんだろうなあ」と日々感じながら
一緒に仕事をさせていただきました。

いずれも、とっても優秀なのに加えて、お茶目、肩の力の抜き方あたりにとってもインスパイアされたのでエントリしました。

(おしまい)

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by sipoftip | 2008-05-18 17:21 | キャリア/コトバ/ロールモデル

行ってらっしゃい-5月13日未明-



少し遅れがちだが、先週末は母の日だったので、ちょっと書いてみる。

昔を思い出すと不思議と父から怒られた記憶はない。でも、母には幾度となく目くじらを立てられた記憶がある。「えー、そんなことで怒るの?」というときもあったけれども、やはり自分に非がある場合も多かったかもしれない。

母を怒らせた理由は無数にあるけれども、例えば、ピアノ。僕はピアノを弾けることがとても格好いいと思っていた。だけど、ドッチボールだったり、ザリガニつりだったり、ドロケーだったり、空き地で基地を作ったり、小学生の僕にはさまざまな魅力的なことが山のようにあって、ピアノの練習はさっぱり。とてもそんなことをしている時間はなかった。毎週木曜日にレッスンがあるのに、水曜日になって初めて課題曲を練習するようなこともしょっちゅうで、なかなか悪い生徒だったと思う。


公園とかで砂をいじったり、水鉄砲で遊んだり、とにかく手を汚していた。そして、遊びに夢中になって、いつもピアノのレッスンに遅刻しそうになり、手も洗わないで、汚れた手のままにレッスンに行こうとしていたこともある。これでは母親が「レッスンに行かせるくらいならそのお金をどぶに捨てた方がましよ!!」とめくじらを立てて怒られたこともあるが、(既に当時から)結構納得。

でも、誤解のないように言う。ピアノに興味がなかったわけではない。繰り返す。
ピアノを弾けるのをすごく格好いいと思っていた。でも、結ばれないものは結ばれないのだ。

そんなこんなで今でも特にピアノはうまくない。でも、とても大好き。これを書きながら聞いているのはジャズピアノ。このブログで友人Kalafから勧めてもらったKeith JarettのKorn Concert。すごくいい。

それはともかく、ピアノ以外のことでもよく怒られた。宿題をやらないなんてのはいつものこと。
おかげで成績もさほどよくないから、そうすると、さらに母の機嫌が悪くなる。

息子への期待が大きいからか、普通のレベルだとあまり機嫌が良くないことが多かった。ある意味で、これは期待と愛情の裏返しなのかもしれないな、それは当時から気づいていた。ときに期待と愛情が大きくなりすぎると、子供を「その期待と愛情で形成された一つの枠組み」に当てはめようとしてしまう、そんなこともなかったとはいわないかも?

まあ、そんなこんなで、幼いころから母親から目くじらをたてられたことも少なくなく、自分が原因であれ、そうでない場合も含めて、母親の機嫌というものにはわりと影響を受けたことも少なくない。

でも、すごい温かみをかんじたこともある。むしろすごく温かみがあって、愛情が深いけれど、それだからこそ、その膨らんだ気持ちを必ずしも器用にコントロールできないことがある、それがかえって人間ぽかった。

どうでもいいけど、何故かハンバーグをもらったシーンを良く覚えている。そのハンバーグは結構僕のお気に入りで、とてもおいしかったのだけど、妹と母と3人で食べたとき、お父さんの分を残していた。だけど、よっぽど「まだ食べたいなー」というのが顔に出ていたに違いない。食べ終わって、なんかとっても物足りない顔をしていたであろう僕にそっとハンバーグを分けてくれた。幼心に、他の人もみんな自分と同じくらいそのハンバーグが当然大好きだと思っていた。また、そのころは家計も必ずしも楽でなく、食事も結構きちきちだったのかな、と気づいていたこともあり、そんな中で、大好物をふと分けてくれるなんて、なんて優しいんだろう、といたく心温まったのを覚えている。すごく小さいワンシーン。

ハンバーグはさておき、ある朝のこと。晴れ渡っているけれど、まだ夏の強い日差しと比べると心持やわらかい光に包まれた朝。玄関は2階にあって、1階までは石の階段を下りるようになっていて、その階段のまわりにはツツジが咲いていたり、柔らかな日差しを一身に受けた木々が茂っていた。

例によって僕は寝坊をし、朝の準備もしておらず、もう理由は忘れてしまったけど、とにかくとても母親に怒られていた。学校にも遅刻しそうで、母親にも目くじら立てられるし、まあそのときはわりと正論だったから「あー、しまったなー」とか思いながらも、学校に行くために着替えを済ませたり、教科書をランドセルにつめていたと思う。その間、ずっと母親は独特の不機嫌なトーンで僕にコトバを浴びさせていて、とっても不機嫌なのが手に取るようにわかった。

そして、8時15分、学校に間に合うぎりぎりの時間。僕は2階に位置する玄関のドアを開けて、階段を降り始めた。不機嫌な母親がいる家に背を向けて、間に合うかぎりぎりの緊迫感と怒られて急かされることからくる少しばかりの焦燥感と反省を胸に、柔らかな太陽が照らす階段を下りていた。

階段を3つくらい降りたところで、母親が言う。

「行ってらっしゃい。」


そのとき、振り返ると、先ほどまでの不機嫌な表情とは打って変わって、すごく穏やかな表情で微笑みかけていた。そういえば、いつも学校に行くとき、母親はすごくハッピーな笑顔で挨拶をしてくれているのを思い出し、階段の途中から聞いてみた。

「なんでお母さんは、さっきまであんなに怒っていたのに、笑顔になったの?」


と。すると、母親は、

「それはね、家を出て学校に行くまでの間に万が一事故があったりして、もう会えなくなっちゃうかもしれないじゃない。そうすると、この「行ってらっしゃい」って言っている時が、こうやって話せる最後の瞬間になるかもしれないの。だから、どんなにあなたが悪い子でも、どんなに怒っていても、家を出るときは、絶対に笑顔で送ってあげたいな、と思うのよ。」


母親は、僕にそう言うと、すごく柔らかい笑顔で微笑みかけて、送り出してくれた。再び玄関に背を向けて階段を下りようとすると、いつにも増して階段を照らす太陽は柔らかった。階段を下りる僕の視界には庭のツツジや新緑が活き活きと映っていた。

ほんの一瞬の会話で、たぶん母親もそんなことを言ったことなどさらさら忘れてしまっている
だろう。すごく昔のことだし、一瞬の会話だった。けど、僕にとっては一生忘れられない会話のひとつ。母親は、他の事については必ずしも器用とはいえなかったし、よく怒られていたりもした。僕にも遺伝しているけれど、感情表現が必ずしもうまくなくて、普段から素直になるのがとても苦手。だからなかなか本当の気持ちがしっぽを出さないけど、その一言をとおして、その中にあるものがすごく温かく、深いものをみた。普段の日常でそんな部分を全面に出せない母親だから、The other side of storyというカタチでちょっとプレゼントしてみました。

(おしまい)



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by sipoftip | 2008-05-14 04:59 | 雑感

お金持ちの発想-5月8日-




以前、すごく金持ちのクライアント(外国人の女性)と話していたときのこと。


普通の人の場合、オフィスの話をすると、大体↓な感じになる。



ク:「いやー、オフィス、なかなか立派ですねえ」

た:「いやね、でも家賃がすごく高いみたいなんですよ~。」

ク:「そうですかー、やっぱり、大変ですねえ。。。私の会社では
   そんな家賃払えないですねえ。。。。」




これに対して、彼女との会話は以下のとおり↓

ク:「いやー、オフィス、なかなか立派ですねえ」

た:「いやね、でも家賃がすごく高いみたいなんですよ~。」

ク:「そうー、ちなみに、家賃はいくらなのかしら?」

た:「うーんと、よくわからないけど、1坪当たり●円位だと思いますよー。」


(それは高くて大変ですねえ、という回答を予想しつつ答える。)


ク:「あら、高いわね。それは素敵。このビルはいくらくらいかしら?」

た:「うーん、、、おそらく●円~●円の間くらいですかねえ、専門家じゃないのでわからないで   すけどね。」

ク:「あら、意外に安いのね。今度買うことを検討しようかしら。」


(++;)・・・・個人のクライアントですよ・・・・ファンドならまだしも。スタートの発想の違いにびっくりしましたw

(おしまい)
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by sipoftip | 2008-05-08 18:39 | 雑感

Englishman in New YorkとUnion(その2)-5月6日-

前回の続き・・・・


2.次に、Union

Black Eyed PeasのUnionはこちら


Englishman in New Yorkはわりと聞き取れるものの、
はっきりいって、こちらの歌詞の聞き取りは、結構難しい(++;)

まず、この曲の冒頭にインタビュー場面がある。

南アフリカの障害児に対するチャリティ・コンサートをやったみたい。この援助に対して聞かれた際に、

「This is special thing for us, coming south africa, performing
in front of them, 4000 people, free concert, peole in public street areas」


(これは僕たちにとって特別なことなんだ。南アフリカに行って、4000人の前で演奏して、しかもそれがチャリティーだったんだ・・・)

と回答した後に、

「You know it is very important to me to be able to give back to what was given to me.」


と答えた。自分に与えられたものをこういう形でお返しできるってことは僕にとってとっても
重要なんだ、ということ。これに続いて、

「This kids out there, have no way out of the situation. Maybe they need to be surrounded by people that made their dream come true」


とあり、こういった子供たちは、今の状況から脱する術がないんだ、きっと、彼らこそ、夢をかなえた人々に囲まれるべきなんじゃないかって思うね、という意味(だと思う。)



わお。ここまで赤裸々にテレビの前でこういったことを言えるミュージシャンって、あまりいないような気もする(仮にそういうキャラを演じたとしても・・。)。

インスパイアされるなあ。こういったことを本気で思って、南アフリカでフリーでコンサートをしてしまう。本気で、そういった国の子供たちに夢を与えたい、というつもりでやっているのだろうか。

成功のカタチには色々あるんだろうけど、アルバムが●枚売れました!チャートで●位になりました、というような「他人にわかり易い方法での自己確認」に満足せず、もっともっとモチベーションの源泉になっているものがあるのかな、と思った。

もともと黒人のルーツはアフリカにあるって教わっているかな。だから、「夢を与える子供」として
アフリカの子供を選んだのだろうか。

いずれにしても、自分たちが成功したら、そういった子供たちに夢を与えることが「最高にcool」という位置づけなのだとしたら、それはものすごく格好いい。

日本でそんなダイナミックなモチベーションをもっている人ってどのくらいいるのかな?

よく「日本を変える」とか、「業界を変える」そういった目標を掲げる人は結構いて、
それはとてもスケールの大きな目標で、みんなぜひとも頑張って欲しいのだけど、どちらかというと、単に抽象的に日本を変えたいといっている人よりも、↑の発言みたいな方が、もっともっと具体的でリアルで、それでいてとてもわかり易く、そして、少なくとも僕の心には響く。

しかもさ、楽しそうじゃない。


いずれにしても、そういった「超まじめ」なことを、臆面もなくテレビの前で堂々といえてしまう、これってアメリカ文化の特徴の一つかもしれないけど、アメリカのそんなところが結構好きです。




***

ちなみに、Black Eyed Peasは前作で、Where is the love?(楽曲はこちら。これも良い曲だと思います。)という曲をリリースしていた。

すごくざっくりいうと、「なんか世の中おかしいよね。Where is the love?」
というテーマの楽曲。これもものすごくまじめなテーマをこんな軽快に詠っちゃうのね、とただただ感心。

そして、「union」という曲は、この問いに対するメッセージなのかもしれないな、とちょっとシンクロ。


*****


というわけで、ちょっと歌詞を見てみます♪



(One for all, one for all)
(It's all it's all for one)
Let's start a union, calling every human
It's one for all and all for one
Let's live in unison, calling every citizen
It's one for all and all for one


↑は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」、というのが直接的な訳語になるのだろうか。

このコトバは、チームプレイのときに良く使われたり、古くからは三銃士に使われたりする。でも、この場合、one for allといったときのallってだれを指すのだろう?後の歌詞とかもみると「世界のみんな」を意味するんじゃないか、なんて思います。

世界のために、ひとりひとり生きているみんなは、何ができるのだろう?そんなく超まじめなテーマを真正面から歌っているように思うのです。



We don't want war- can't take no more
It's drastic time for sure
We need a antidote and a cure
Coz do you really think Mohammed got a problem with Jehovah
We don't want war – imagine if any prophet was alive
In current days amongst you and I
You think they would view life like you and I do
Or would they sit and contemplate on why
Do we live this way, act and behave this way
We still livin' primitive today
'Cause the peace in the destination of war can't be the way
There's no way, so people just be a woman, be a man
Realise that you can change the world by changing yourself
And understand that we're all just the same
So when I count to three let's change


ここは、ざっくりいうと・・・・今の時代って結構大変なときで、仮に預言者が生きていたとしても、彼らは同じように考えるか、理由を探求するかわからない。けど、いずれにしても、このまま生きるってことはとても原始的だし、戦争の行く末に平和って途はない、だからみんな変わろうよ、みんなで団結しましょ、みたいな感じ。

一歩間違えると怪しい宗教?とも思われるような歌詞、だけど、歌詞の中では「music」が宗教になれば、世界を一つにできるのに、と歌っている。


Got no time for grand philosophy
I barely keep my head above the tide
I got this mortgage, got three kids at school
What you're saying is the truth that really troubles me inside


ここからスティングのさびが始まる。ふたたび、みんな「戦争をやめて団結しようよ」みたいな崇高な理想を掲げる。けど、子供も3人いて、ローンもあったりする。だから、歌っている内容は真実だけど、それだからこそ心が痛む。なるほど、ここだと普段人々をしがらみに陥れているものがあって、だからみんなばらばらになっている、これがこの歌のテーマ、unionの対立軸なのね、とちょっと思う。

この子供3人とローンというのも結構リアル。「本当は世界のほかの人のこともケアしたほうがいいなー、だけど、普段の生活が・・・」という心境とすごくまっちする。

I'd change the world if I could change my mindIf I could live beyond my fears
Exchanging unity for all my insecurity
Exchanging laughter for my tears


最初の部分は、初めて聞いたとき、ぞくっとした。
「I'd change the world if I could change my mind」というのは、それだけみるとすごくいろいろな解釈が可能かもしれない。もし心意気を変えたら(「if I could change my mind」)、世界を救えるのかもしれない、ということ。

これは、仮定法を使っているところからすると、前の部分も受けて、いかに自分が世界を変えるのが難しいかということも暗に意味しているのかな?と思う。

一度自分の世界に慣れてしまい、そこで、家族や住宅ローンのことが自分のしがらみになってくると、すぐにmindを変えることはできなくなってくる。だから、みんな世界の他のことに無関心、だからこそ、mindをかえることで、世界を変えることができないのかな、というような振りも前提にあるのかもしれない。

mindを何とかchangeすることができれば、世界を変えられる、みたいなラインでもあると思います。



I don't know, y'all, we in a real deposition
In the midst of all this negative condition
Divided by beliefs, differences and religion
Why do we keep missing the point on our mission?
Why do we keep killing each other, what's the reason?
God made us all equal in his vision
I wish that I could make music as a religion
Then we could harmonise together in this mission

Listen, I know it's really hard to make changes
But two of us could help rearrange this curse
Utilising all the power in our voices
Together we will unite and make the right choice
And fight for education, save the next generation
Come together as one
I don't understand why it's never been done
So let's change on the count of one


宗教とか文化とかの違いとか言って、重要なものを見落としているんじゃないか、結構難しいけど、音楽を通じてみんなまとまればいいのに、将来の子供のためにもそうしよう、まあ訳の意味としては、こんな感じでしょう。

前の記事にも少し書いたけど、「世界を変えなきゃいけないよね、でも現実には何もしてないよね。」という部分について、ホテルルワンダのワンシーンを思い出した。ルワンダの現況がテレビを通じて世界に放映されても、なかなか支援が集まらない、そんな状況に落ち込んだ主人公に対してある男が言うせりふ↓

They would say "Oh,it is horrible." And they keep eating dinner."

(彼らはその惨劇に驚くかもしれない。だけど,彼らは,そう言った後,
,また夕食に戻るんだよ。)


決して悪意はないけれど、自分の周りのこと意外にはなかなか意識を向けたり、さらに行動したりすることって難しいよね、ということをわりと端的に表した台詞と思う。

It takes one, just one
And then one follows the other one
And then another follows another one
Next thing you know you got a billion


ここは、意味としては、一人が協力して、もう一人がそれに続いて、そしてそうやって続くと100万人のチカラになる、という流れ。この韻の踏み方、かなり好きです。初めて聞いたとき、わお、と思いました。


People doing some wonderful things
People doing some powerful things
Let's change and do some powerful things
then you could be a wonderful thing


ここも気持ちよく韻を踏みながら歌が終わっていく。

***

映像のクリップにはネルソンマンデラ(と思しき人)も登場。

くそマジメな歌詞と共に、「Love&Peace」を標榜しているバンド、ということで評価が分かれるかもしれないけれど、僕自身は結構好きです。

わりと歌詞が面白かったので、ちょっと見てみました。

(おしまい)
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by sipoftip | 2008-05-03 01:50 | 音楽

It's all about your character-5月2日-

It's all about character. Watch your thoughts; they become words. Watch
your words; they become actions. Watch your actions, they become habits.Watch your habits; they become character. watch your character; it
becomes your destiny. -Frank Outlaw


最近、こんなコトバ↑を見つけた。


thoughtがwordになり、wordはactionsになり、actionsはhabitsになり、
habitsはcharacterになり、characterはdestinyになる。



そこで、ウィキペディアで、character(→「Moral Character」で検索)について見てみたけれど、


Moral character or character is an evaluation of an individual's moral qualities. The concept of character can imply a variety of attributes including the existence or lack of virtues such as integrity, courage, fortitude, honesty, or loyalty or of good behaviors or habits. When someone is a moral character, it is primarily referring to the assemblage of qualities that distinguish one individual from another. Psychologist Lawrence Pervin defines moral character as '“a disposition to behave expressing itself in consistent patterns of functioning across a range of situations”


とある。様々な性格(タフさ(fortitude)とか美徳(virtue)とか、正直さとか)の集合をもって
キャラクターというらしい。

確かに、自分のキャラって、自分のコトバだったり、思考だったり、嗜好によって形成されていると思う。

だから、もうちょっと素敵なキャラクターになりたい、とかこういったキャラクターの人に憧れるとかいうことになると、自分の思考やコトバから変えていかないとね、というメッセージだよな。

逆に自分のキャラがいやだなー、と思うとき、普段の考え方、コトバから見直していこう。



次に、destiny

「運命」と訳されることも多いけど、曖昧なのでウィキペディアでみたところ、


Destiny refers to a predetermined course of events. It may be conceived as a predetermined future, whether in general or of an individual.


とある。

要するに、予め決まっている(Predetermined)イベントを意味するみたい。


さて、ここで冒頭のコトバに戻ると、destinyはキャラクターによって決まるとのこと。


でもさ、「予め決められた」(predetermined)というコトバの定義と、destinyは自分の思考(thought)によります、という冒頭のコトバはあまり整合しない、というか矛盾しそう。

(*但し、thoughtがpredeterminedという立場をとれば矛盾しないがそうすると冒頭のコトバのメッセージが意味を成さなくなるので、これは深入りしない、念のため)。

だけど、「destiny」の定義はもちろん前提とした上で、それでもあえて冒頭のメッセージを唱えているかな、と思う。

別に矛盾しているから悪いというわけじゃない。

正直言うと、冒頭のコトバもそうだし、色々なことわざって、それ自体は客観的に正しいか疑義がある場合も多いと思う(だって、どうやっても変えられない運命だってあるでしょう、戦争の子供とか見ているとさ)。

でも、コトバって、それ自体の正確性に価値があるんじゃなくて、そのコトバをテコにして
他人のココロを動かしたり、他の物事に影響したりだとか、その影響力に価値があるんじゃないかな
、とよく思います。

いずれにしても、It is all about characterって何か響きがいいので、備忘代わりにメモってみました。

(おしまい)
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by sipoftip | 2008-05-02 19:25 | キャリア/コトバ/ロールモデル