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A walk into my life


(以前の記事「LearningとStudying~夜のヒルズでのディスカシオ~」の続きです。)


僕は高校生のとき、一年間アメリカに交換留学をしました。かねてから海外に留学することには憧れがあったのですが、家にあった「留学経験者の体験記」みたいなものを読んでいたうちに、
だんだん思いは強くなり、ある日それが直感的に確信に変わりました。両親は多分僕を実家から離したくなかったことからくる一時的な感情的拒否反応と、学年が一年遅れることへの抵抗などもあって反対されていましたが、(何とか?)説得の末、留学にこぎ着けました。

その一年は間違いなく僕の人生を変えています。
そこはワンダーランドでした(笑)。まったく別の家庭で、日本人が一人もいないなかふつーのアメリカ人と同じように高校に行き、クラブ活動をし、友達をつくり、遊ぶ、ということをしたその一つ一つが新たな世界への飛び込みでした。しかも、その一つ一つについて「どうすればいいか?」
を戦略的に考え、一定の成果を出せたことが自分の中の成功体験になっていますし。

でも、アメリカでの一年は怒濤の一年であり、自分の中で何が変わったのかも把握しきれないままに、変わったということだけは認識しつつ、その後、生きてきました(笑)。

●First Walk~Curiosity~

以前の記事にも登場しましたが、ついこの間、研修期(Secondment)を終えて本国に帰って行ったジャストン(仮称)という韓国系カナダ人の弁護士とも、

「キミのなんか英語が他の人よりもnaturalな気がするけどなんで?」

「いや~アメリカに行ってたんだよ~~、高校生のときの1年間だけどさ。」

「へ~そうなんだ。どうだった?アメリカは?」

「いやー、素晴らしかったよ。僕の人生を変えたんじゃないかな、って今でも思ってるよ。」

「へ~」・・・と話している途中で、別の人が会話に加わるか何かでその会話は終わりました。

ちなみに、ここまでは他の人ともよくする会話です。

彼とは、オフィスが同じビル内でも離れていたので、あまり話さなかったのですが、1ヶ月後くらいに、たまたまに別の機会に彼と話したときに、

「You said a year in the US changed your life. But how? I wanted to ask.」(キミはアメリカの一年が人生を変えたといっていたじゃない。それはどうやってキミの人生を変えたの?聞いてみたかったんだよね。)

と聞かれました。それまであまり話したこともなかった人に、しかも1ヶ月後くらいに話した会話を憶えているなんて!たぶん、「人生を変えたよ」という(半ば大げさな)フレーズが心に残ったのかもしれません。驚き半分、うれしさ半分で会話を続けたのは言うまでもありません。そう、別に可愛い女の子じゃなくても、自分がすげーと思っている人が自分の人生にステップインしてくるのは嬉しいものなのです。


●Second walk~Credit~


その後、彼とは結構仲良くなりました(つもり)。彼は結構な結構な豪邸に住んでおり、以前の記事(ホームパーティーで出会ってみた(世銀編))にも書いたホームパーティをやる際にも、「是非キミには来て欲しいから、いつが駄目か予め教えて!!」と当初からスケジュールを聞かれました(そんなに重要じゃないなら、スケジュールを決めた後に誘われるはずなので。)。30人くらい来るホームパーティでオフィスの席が結構離れている僕がそういった形で呼ばれるとは思ってもいませんでした。後で聞くに「You always have the best conversation」とのこと。果たしてそんなに俺の話は面白いのか?と自問しつつも、そうやって、クレジットをおいてくれるのが素直に嬉しかったです。まあ、ウィットの感覚という点で僕と彼には似たものがあったのだと思います。


英語で「Credit」というコトバがあります。へーすごい、キミにクレジットをあげる、みたいな感じで使われます。「一目置く」、「すごいと思う」、「感心する」、「認める」など、いろいろな略語がありますが、いずれも若干語感が違う気がします。

たぶん、「その人に価値を認める」という意味をカジュアルにしたようなコトバだと思います(ますます分からないか・・)


●Walk Away

短いようで長く、長いようで短いいままでの人生で思ったことは、それがFriendsihpであれ、恋愛であれ、familyの関係であれ、その関係がうまく行くかは、お互いに①興味を持ち、②クレジットを与え合うということにかかっているのではないか、という点です。

こちらがどんなに興味をもって、クレジットを与えたとしても、相手が自分に興味を持ち、クレジットを与えなければ、いい関係は決してあり得ないと思います。だから、自分が近づきたいと思った人には、できるだけ、①興味、②クレジットをもってもらえるように種を撒きますし、そういった人がステップインしてきたときには、絶対につなぎ止めたい。ちなみに、デートとかでも、相手の会話で、①自分への興味、②自分へのクレジットの点でどうか?という点を考えると、わりと客観的な観点から、その後うまくいくかという感触を推し量ることができるような気もします(笑)。

言うまでもなく、一度人生にステップインしてもらったのに、こちらからの反応が足りずにwalk awayされてしまったこともあります。こういうときは、すごく後悔します。

留学から帰ってきたばかりの高校のクラスでは、僕のほか、もう一人留学から帰ってきた奴がいました。彼は僕と比べるとどちらかといえば、「無骨」で「ごつく」、人当たりもさほど良くない(人見知り?)、でした。おそらく彼は僕だけに心を開いていました。でも、彼は他のクラスの人から少し距離を置かれているようでもあり、他のクラスの人が彼をからかうように(小馬鹿にするような)発言をして周りの人が笑っており、私もつられて笑っていたところ、たまたまその彼がその会話を聞いていました。そのときの彼は無言でしたが「失望した。キミがそんな奴だとは思わなかった」とはっきりとカオに書いてありました。その後、幾度かの試みもむなしく、彼との関係が元に戻ることもなかった。

それからです。「人の好き嫌い、うわさ話、陰口」の類においては、絶対に自分の信念(principle)に反することはしないと誓ったのは。たまたまそのとき周囲に同調してしまったから、あらぬ誤解を与え、思わぬ所でせっかく自分の人生にステップインしてくれた人を失ってしまったけど、もう絶対にこんなことはないようにしよう、と。あの瞬間は今でも忘れることができません。ささいなことが誤解を生み、それが修復不可能な関係の破壊につながることもある、と。


●Asset

冒頭でアメリカでの留学で人生を変えた、How?という問いについて改めて考えみましたが、まったく違うワンダーランドの中で自分から積極的に色々な人の人生にステップインしたし、逆にステップインもされた。そうやって、お互いにクレジットを与え合う関係を築けたこと、それが一番の体験だったんのではないか、と思います。

確かに、アメリカで頑張ったことで(*1)、アメリカ人の1.5倍くらいクラブ活動(スポーツとか)をこなしつつ、現地の高校を成績優秀者として卒業するという小さな成功体験を得たし、それがなければ、その後、高校・大学を首席近い成績で卒業し、司法試験に受かるということはなかったかもしれませんが、(その後のレジュメ的にはプラスではあれ)それらはあくまでツールであり、最終的に、どれだけの人が自分の人生にステップインしてくれたか、又は自分がステップインしたか、それによって、築き上げた人間関係の方がよほどの貴重な財産(asset)だと思います。キャリア、スキルはあくまでツールであり、より面白いことをやって、面白い人と会うことができる方がよっぽど重要だと思うのです。だって、もうそんなに長く生きられないかも知れないけれど、その際に自分のキャリアがどれだけすごいかという点は、死ぬ際の自尊心の慰みにはなるとしても、それ以上のものではない気がします。自分の財産(asset)になった人がたくさんいた方がいい。

それでは、せっかくステップインしてくれたジャストンにメールを書くことにします♪



(*1)以前の記事にも書きましたが、「この地には1年しかいない。だから、1年たつと、自分は過去の存在になって忘れられちゃうかも知れない。それって、全く新しい場所で、1年間といういわば「短い人生」のようなものを生きているみたいじゃない。じゃあ、その限られた中で、できるだけ多くの人に、できるだけインパクトを与えるようなことをしてみたい。そうすることが、自分にもきっと刺激になるし、何たって自分がどこまでできるか見れるなんて、とてもスリリングじゃないか。」なーんて思ってました。
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by sipoftip | 2007-12-30 12:48 | 雑感

心臓外科医のプロフェッショナリズム



ええ、またまたクリスマスらしくないエントリです。

好きなサイトに国連職員NOWというサイトがあります。

国連をはじめとする国際機関で活躍する日本人にスポットを当てた企画であり、別に国際機関で働きたいと思っていない人でも、是非見て欲しいサイトの一つです。

いわゆる典型的な「エリートコース」を歩んでいる方から、必ずしもそうといえない人まで様々な人をピックアップしていて面白いです。これだけの人たちが世界を少しでも良くしようと頑張って活躍している!というのは刺激になります。

そのことについても書きたいのですが、忘れられないのが平林国彦さん(国連児童基金=ユニセフ:東京事務所副代表)のコトバのこの部分(↓)です。



「心臓外科医の仕事を始め10年ほど経った頃、その後の人生の方向性について悩む時期がありました。まず、思ったことは、心臓手術はスーパードクターが行うべきだということでした。もし、わたしが手術して95%の成功率で、ほかに99%の成功率の医者がいれば、迷わず後者に手術してもらうべきであり、そこはプロフェッショナルとして妥協すべきでないと思いました。自分自身はベターではあったかもしれないけれど、ベストではないと思っていたのです。」


心臓外科については医龍などのマンガ(→ちなみに結構お気に入りのマンガです。)で知っている程度なのですが、特に気づいたのは、①心臓外科医が極めてプロフェッショナリズムが必要とされる職業だな、という点と、②平林さんがとてもプロフェッショナリズム溢れる人間だということです。


●まず、①(心臓外科医が極めてプロフェッショナリズムが必要とされる職業である点)について。

もちろん、どの職業にもプロフェッショナリズムは必要とされます。弁護士になったばかりの頃は特に、そして今でもなお求められるプロフェッショナリズムの高さには日々緊張し、冷や汗を流しながら仕事をしています。最初は、扱う案件が何百億円単位だったりすることもざらであり、また、会社が意思決定をするにあたって法律面で常に的確な「ファイナルアンサー」を出さなければならない、つまり逃げられないというプレッシャーにさらされているため、なんてリスクの高い仕事なんだ、と思ったのを今でも憶えています。

でも、心臓外科医のリスクと要求されるプロフェッショナリズムは質が違うと思いました。スーパードクター(しかも読む限り平林さんも極めて優秀と思われるのに、その人がスーパードクターといえる人)しか心臓手術を行うべきでないということであり、そのプロフェッショナリズムの高さはハンパないと思いました。もちろん、患者の生命を考えれば当然なのですが、これを考えると、法律家がどんなに間違えても人が即死することはないですし(*1)、その立場に立つだけでゾクっとします。

(*1)但し、やはり弁護士のミスで無罪になるべき人が有罪になったり、つぶれなくていい会社がつぶれたり、救済されるべき人が救済されなかったりするわけで、その意味でやはりリスクは高いと思うし、相当のプロフェッショナリズムをもって心して臨まないとキビシイと思います。その意味で、心臓外科医のそれと単純に優劣をつけたりするのは避けます。

●次に、②(平林さんがとてもプロフェッショナリズム溢れる人間であること)について。

心臓外科医として成功すればアメリカでは年収数億円を超えることも十分に可能と聞いたこともあります。いっぱしの心臓外科医になってもなお「あるべき心臓外科医」の姿と自分の姿を見比べて(すごく優秀なのにもかかわらず)「自分より優秀な人がいたらそのドクターにやってもらう」という点は、達観しているとさえ思われます。自分が手術をして経験を積んだ方が自分の価値も高まるし、それなりに優秀であれば自分に自信を持つものです。でも、そういた私利や目先のことにとらわれず職業倫理に従うことができる(*2)、おそらくこういう人こそ一流なんじゃないかな、と思いました。


もちろん、みんなが心臓外科医のプロフェッショナリズムをもって妥協しなかったら、ほとんどの人は働けなくなってしまうわけですが(笑)、少なくとも仕事に対する姿勢について示唆に富んでいると思います。

(*2)ちなみに、弁護士の場合、腕が悪いと客がこないだけで、別に人は死なないので、もっぱら公的目的のために働く医師とビジネスという側面を併せ持つ弁護士では違いがあります。ただ、それを差し引いても、上記の「真摯であること」は示唆に富んでいると思います。



「そこに人生の転機が訪れました。1994年1月のニューヨークタイムズに掲載された一枚の写真が私の人生を変えたのです。それは当時、内戦と飢饉に見舞われていたスーダンで小さな女の子が禿鷹に狙われているように見える写真でした。これは世界から大きな反響を呼び、ピューリッツァ賞も受賞したこのカメラマンは3か月後に自殺してしまいました。わたしはこの写真を見て、必ずしも自分は心臓外科医である必要はないと思いました。できれば、こういう子どもを助ける仕事がしたいと思ったのです。」



ちなみに、その後、平林さんは、↑のように考えキャリアを転換します。この転換の仕方も、自分のケースを考える上でとても参考になると思ったので、クリッピングの意味を込めて引用してみました。


(おしまい)
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by sipoftip | 2007-12-26 03:43 | キャリア/コトバ/ロールモデル

日々ささやかなhappyを感じつつ「to be」へと向かいたいものです

先日あるセミナー(マルチとかではありません、念のため)に行ってきた際にもらったTips


「キャリアゴールってよくわからない。でも、自分がいいなーと思うロールモデルをいくつか思い描いてその人達のようになるにはどうすればいいかを考える、というのも一つのアプローチかも知れない。」


「大きな目標も大切だし、それに向かって必死に努力することもすごく大切だと思う。だけど、例えば、英語で「You made my day!」とかいうように、日々のhappinessも大切だと思う。また、人間って仕事だけじゃあなくて、プライベートとか、その他の面も含めトータルで魅力的かどうかで決まると思う。そういう意味での魅力的な人間になりたいな、と。」



「as isとto be、つまり現在の自分と将来あるべき自分、将来なりたい自分を考える。そして、その距離を埋めるには何をすればいいかということを考えればいい。」

いずれもどれも自分で考えたことあったり、実践したことのあるものでしたが、人からコトバという形にしてもらうとより意識できると思いました。

今の職場を選ぶときだって、他の事務所で会った弁護士で「この人すごいな」とか「この人魅力的だな」と思った人がみんなうちの事務所だった、とこともありました。

さて、ロールモデルは誰だろう?と考えたこともありますが、「自分とぴったり重なり、崇拝するロールモデル」みたな人がいないかもしれません。逆に、いろいろな人の良いところ、尊敬できるところなどを自分なりに吸収して、よりよい自分になれるにはどうしよう!?と考えるアプローチをとってきたと思います。

でも、一番どんな仕事がやりたいかと言われれば、以前の記事にも書いたWHOの進藤医師だと思う。

こうやって日々人からコトバをもらったり、インスピレーションをもらって生きていることに乾杯し、新たに「ロールモデル/コトバ」というカテゴリを設けてみました。

あまりクリスマスっぽくないエントリでした、じゃんじゃん。
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by sipoftip | 2007-12-24 23:57 | キャリア/コトバ/ロールモデル

鮮やかに裏をかくこと/「とりあえず」の危険



●裏をかかれた


先日、サークルの忘年会でN先輩が政治の世界に入る形で動いており、具体的に選挙への出馬を踏まえて、着々と準備を進めているということを知りました。

その感想は、「えーー!びっくり!まあ、でもあの人ならあり得るな」というものです。

N先輩はサークルの創設メンバーのリーダー的存在であり、大学卒業後、某大手家電メーカーに入社後、社内ベンチャーに参加し、その後、自分でネット業界で起業していました。

その先輩が起業するとき、社内ベンチャーで培った人脈をフル活用し、社内ベンチャーでの成功でブランディングしたという風に聞いて、「なるほど、社内で法務から企画に転向したときの最終的なエグジットは起業だったのかー」と眼から鱗が落ちる思いでした。


●「とりあえず」の危険

その起業の話を聞いたのは、別のサークルのT先輩の結婚式でのことでした。当時、弁護士になって1年ちょいだった私は、日々の業務をこなすのにも精一杯であり、その先の何を求めているのかということをそこまで真剣に考える余裕はありませんでした。さらに振り返ると、司法試験を受けるということを決めるにあたってはすごく考えましたが、司法試験受験を初めてから受かるまでの2-3年間は、「国際的な舞台(*1)で活躍できる専門家になる」というような抽象的なイメージはあったものの、具体的に突き詰めた自己分析はしていなかったように思います。

そういった意味で、「とりあえず」弁護士になった、ともいえます(*2)。

この「とりあえず」って、一つの有効なコマの進め方ではありますが、非常にコワイと考えています。これって、法学部のまあまあ優秀な学生が「とりあえず」弁護士になり(or日銀や国一)、その他比較的優秀なヒトが「とりあえず」コンサルや投資銀行に行く、という流れもそうでしょう。ある程度優秀な高校生が「とりあえず」医者になる、なんて場面も多いと聞きます。

だいたい、「とりあえず」のところって、お金も結構いいし、相応の能力が要求されるという意味で知的にもある程度面白いし、女の子受け(?)もいいし、という魅力があるところが多く、近視眼的にみれば、「つぶしがきく」とか「あとで役に立つ」というおなじみのキャッチフレーズの業界が多いはずです。

こういった「とりあえず」の業界は、どれも仕事が非常に大変なことが多く、それゆえに日々の業務に忙殺され、「とりあえず」としてモラトリアムを設けたものの、その次が見えないままに時を過ごすひとも多いんじゃあないかな、と思います。そのうち当初持っていた志も忘れてしまう人も多いんじゃないかと思います(弁護士業界も同じだとおもう。)。

これってすごく危険なことだと思います。だって、たとえどんなに優秀だとしても「とりあえず」
その仕事をやっている人と、「どうしてもやりたくて、面白くて仕方ないから」その仕事をやっている人だと長期的なコミットメントでは(そもそもの素養で後者が劣っていたとしても)どうしても差が出てくると思うからです。後者が勝つんじゃないでしょうか。単なる競争という意味でもそうですし、人生を満喫するという意味においてもです。


自分がそんな「とりあえずの罠」にはまっていたとき(*3)に、そういった起業などの目標に向けて道筋をつけてキャリアを展開されているとの話を聞いて、ずいぶんと自分がちっぽけな存在に思えたのを良く憶えています(*4)


(*1)国際的な舞台といっても、地域はアフリカから欧米まで色々あり得ますし、国際金融から国際協力までさまざまなことを念頭に置いていました。これは、自分が従来から興味が広いタイプだったこともあり、それならば弁護士とかは使えるかも知れないと思ったという打算もありました。


(*2)もちろん、弁護士になれば自分の可能性は広がるだろうという打算はありましたし、とりあえず司法試験を受ける以上、弁護士になるというステージに立たないとお話にならないと思っていたので、それなりに目標はありました。でも、その先に何があるかを「クリアに」イメージできていなかったという意味で「とりあえず」弁護士になったと言われても仕方ない側面もあるかもしれません。


(*3)司法試験はやはり相当なエネルギーを使うため、受かること、弁護士になること自体が
目標になってしまう人をよく見かけます。自分はすごく気をつけていたものの、少なからずそういった悪しき(?)傾向が身にしみてしまったのかもしれないな、と思いました。


(*4)チキンなので、すごい人をみると、必要以上に自分が小さく見えてしまうという初期症状が出ます。その後、よーく分析し、ばらばらにし、自分の肉としますので、その意味ではチキンでなく、したたかなハイエナのようでもありますが(笑)。今の自分はこういって受けた刺激の積み重ねによってできていますし、これからもそうなのでしょう。



●再びとても鮮やかに裏をかかれた。

N先輩から起業の話を聞いたとき、「そうかーやはりビジネスマンやってると自分で起業したくなるんだな~、いずれは上場して、ということを考えているのかな」なんて思っていました。

でも、今聞くと、そのときの起業って、選挙資金との関係も視野に入れていたみたいです。また裏をかかれました。かなり鮮やかに一本取れられた気分です。

N先輩の経緯をみてみると、サークル創設に始まり(*1)、すごく行動力があって、まさにMBAとかでいうアントレプレナーシップを素でいっているような人だと思いました。はてはて、自分もそういった素養をまねしたいな、そして、次の一手を打ちたいなと、最近強く思います(実は仕込み中ですが(?ホントか?)、GOALを見据えるのに異常に時間がかかっています。。。)


(*1)そのサークルは、アメリカやヨーロッパでは法学部生のネットワークとなる団体があるのに、アジアじゃないのはおかしい!是非作ろう!ということで作られ、現在は創設時には考えられない形で継続的にかつ順調に発展してきています。すごい!!


●裏をかく方の視点から

裏をかく人は、最初から最後を見据えていて、そのプロセスを小出しにしている(またはプロセス毎に見せている)だけであり、全体が一つのつながったストーリーになっているはずです。

だから、きっとN先輩の目には政治家になってからどうするかという点も見えているのかもしれません。そこに至るプロセスで、今では起業→政界参入という驚きがあったですが、次に何がくるのかすごく楽しみです。

逆に自分もそうやって楽しまれる人物に是非ともなりたいものです。東京という日常でも、日々アンテナを強く持たなくては~~。

そう思った今日の忘年会のヒトコマでした。

(おしまい)
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by sipoftip | 2007-12-23 03:39 | キャリア/コトバ/ロールモデル

メモ用にもう一つブログを作ってみた~情報管理ツールとしてのブログ~




実はもう一つブログを作ってみました。

職場の英会話の復習とかもこのブログでエントリしていましたが、
「こんなの誰も読まねーよ!」とか自分でも思ってました(・・;)。
英会話で生物学の「五界説」とか物理学とかやって復習をしようと
思っても、テーマ的に毎回面白いものが書けるわけでもなかったですし。

さらに、「エントリをするにはまだ整理されていない」ことでも、
ちょっとメモしておきたいことや、ちょっと「勉強したいなー」と
思っているテーマ(経営・経済、普段の業務であまり使わない法律など)
のメモにもこのブログを使うのは適切じゃあないなー、と思っていました。

というわけで、梅田氏の「ウェブ進化論」にもあったのですが、
「完全な私用のメモ帳」という位置づけでブログを作ってみることにしました。
(アドレスは内緒ですw)

①●●法
②英語の復習
③●●学

とかカテゴリづつ、情報を整理して適宜編集していく感じで。

さて、うまく行くでしょうか??(みんなやってるのかなあ。)

もっといい情報管理法をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい♪
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by sipoftip | 2007-12-22 04:46 | 雑感

BayAreaの想い出(その2)

(前回のつづき)

●サンフランシスコ、BayAreaを南下する


~モントレーまで~



飛行機でおりたったのはサンフランシスコ。Sさんという日本人の知り合い(多分駐在の方)に案内してもらったり、(そこで100%のオレンジジュースを飲んだをなぜかとても鮮明に覚えているのだ。)、フィッシャーマンズワーフにいって市場の違いに驚いたり、そこで「エビマヨネーズ」が入ったサンドイッチとクラムチャウダーを食べて、めちゃめちゃおいしかったのをよく覚えている。なぜか食べ物が多いw

当時、すごく綺麗だったサンフランシスコが今でも綺麗かは分からない。路面電車から町を見るのもすごく新鮮で高台から町を見たとき、「ここは結構将来住みたいかも」なんて思ったりもした。今、サンフランシスコ、と聞いてもこのときの情景がぱっと浮かび上がる。

その後、サンフランシスコから車でロスに南下。カーメルで一泊。非常に綺麗なホテルだった。プール付で全体的に赤茶の色味がかった屋外の通路には、蔦みたいな植物が通路の屋根代わりに植えてあり、そこからずいぶんと太陽がまぶしかった気がする。ちなみに、ホテルってオトナが泊まるところで、子供の分際でこんなところに泊まっていいものかと若干居心地が悪いかも、と思いつつもずいぶんと満喫してしまった気がするwわかいわかい。

16マイルロード(16かは忘れた・・・)という道を通って南下するのだが、そこでは豪邸ばかり。びっくりしたが、それほどまで惹かれなかった。モントレー、一度ウェスタンな感じの古き良きアメリカみたいなカフェでチョコレートをまとったりんごを食べ、「せっかくあまいのにリンゴがすっぱくなるし、なぜこうやって出すんだろー」とか思いつつも、それを頬張りながらモントレー水族館に行く。屋外で鯨がいると言われたものの、特に見えず残念がっていた。


~グリーンピース~

途中、グリンピースの売店に立ち寄った。当時、ロシアが日本海に核廃棄物を投棄していたところに「虹の戦士号」を派遣していた。そこで訴える人達は最高にクールに見えて、将来はああいった熱い仕事をしたいなあ、と思っていた。そんな中でグリンピースの販売店に行き、若干薄暗い店内で色々見て回ったのを覚えている。結局そのとき買ったバッジは実家に大切に保管してある。

グリーンピースといえば、高校生になって、インターネットというものが広まってから、グリーンピースのHPを見たら、採用情報の所に、普通の人は寄付をお願いします、ボランティアも歓迎、その他自然科学、法律などの専門家の方の支援を必要としています、という記載があり、「やっぱ寄付じゃなくて、具体的に貢献するには専門家のスキルが必要なんだー」と妙にドライ(当たり前だけど)な世界を感じ、「やっぱ専門家にならなきゃな」と思った。

その後、国連職員になるためにも専門性が必要で、しかも、流動性が高い業界なので、「民間でも公共でも使えるスキルが良さそうだ」と思い、また、「どうせコミットするならば市場価値が高く、かつ、色々な場面で使えるものがいいな。」と考え、司法試験が盲目的に「日本で一番難しい国家試験」などと揶揄されていたこともあったので、それならば市場価値も高かろう、などと考えて司法試験の勉強を始めた。こう考えると、今の自分のルーツ(の一つ)をこんなモントレーのグリーンピースの売店での想いまで遡ってしまうなんて、ちょっと感慨深く、また、不思議な気がする。

~LA~

そして、車をハイウェイでずっと運転して、夕方、いや、むしろ帳がおり始め、車がライトをつけだした頃にLAに入った。結構疲れていたので、車では結構がんがん寝ていた(・・;)
LAは正直、シアトルやサンフランシスコと比べて、東京っぽく、また交通量が多くて、そこまで好きにならなかった。父の友人に会ったり、云々。

父は大の車好き。そういった意味でも、「息子と二人でアメリカに行き、BayAreaを南下するなんて、なんてSpecialなんだろう」たぶん、もし自分が父の立場にいたら、絶対にそう思うだろう。小学生のときから、仕事で夜は顔も見ることが少なく、また週末もしょっちゅう働いており、あまり息子との接点がなかったからかもしれない、この度には母親はこなかった。

父親のエゴといってしまえばそれまでで、それはそうかもしれない。でも、普段から息子と接する母親とは違い、あまり一緒の時間を過ごすことのない父が、息子が大きくなって擦れてしまう前に(→まるで今のように)、一緒に時間を過ごし、想い出を共有し、そして、自分のルーツになった人に合わせたり、「自分の世界」を見せたかったのかも、今思うと、この度は父親じゃないと味わえない何かこうspecialなものがあったのだろうな、と。自分が父親になっても、方法は違えど、こんなことができたら父親冥利に尽きるかもしれない。当時はそんな観点からこの度を振り返ったことはなかったけど、今思えばそう。

そんな父親のエゴを快く許した母親も偉いと思う。きっと、母親がその旅に来たら、それはそれで大切な家族の想い出になったかもしれないが、やはり違っていただろう。普段か時間を共有する、息子ー母親、父親ー母親、というペアでない部分、つまり息子ー父親、というあまり時間を物理的に共有できないつながりにとって大切な旅だったのかも知れないし。

父親は、普段の子育ての雑多な面倒に煩わされずにそういった「おいしいところ」だけ持っていく、と不満に思っても仕方のない旅だったけれど、そんな父のワガママを聞き入れたんだから。

思い出せる範囲で詳細に書いてみました。なんとなく、帰国後も、写真とかは見せたし、一通りの話はしたものの、この旅についてあまり母親に話したこともなかったし、日本で待っていた10日間にはこんなことが起きていたのだよ、ということをすごーく遅れてですが、今更ながら伝えておこうと思い立ち、エントリしました。

(おしまい)
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by sipoftip | 2007-12-20 03:57 | 旅行

Bay Areaの想い出(その1)



今日は父の誕生日ということもあり、いつかは書いてみたいと
思ったテーマをピックアップしてみます。

●初めての海外と異文化へのあこがれ

中学2年生の時、父と二人でBayAreaに10日間ほど旅行に行きました。これが初めてのアメリカ。

海外という意味では幼稚園のときにサイパンに行ったことがあったものの、それ以来、初めての海外。ちなみに、サイパンのときは、はじめて見たすべり台(チューブみたいなやつ)にあまりに感動し、旅行中ほとんどすべり台で滑っていたのを今でも覚えている。あとは、あまりに日焼けしたためにお湯のシャワーが痛いほど肌にささったことや、米軍の砲台をみたりして、シャイだったわりに随分とはしゃいでいた気がする。

特に覚えてるのが、アメリカ軍から逃げるために、日本人の民間人(シビリアン)が、サイパンの崖からつぎつぎと飛び降り自殺を図ったと聞いたとき。それまでの想像していた世界とは全く違う世界のことがで、人々がまったく違う動機でまったく予測不可能な行動をすることにいたく驚いた。

そんなサイパンを除けば初めての海外。それがアメリカに西海岸、BayAreaだった。東京からシアトル、シアトルからサンフランシスコ、そこからレンタカーでカーメルという都市を経由して、ロサンゼルスへ。父子、珍道中といったところかw

小さい頃から、ずっと地球儀を眺めていて、母親に対して(自称)「首都当てクイズ」を持ちかけ、ヨーロッパのメジャーな国からアフリカの超マイナーな国まで「さて、この国の首都はどこでしょう?」と数え切れないほどクイズを出したり、また、クイズを出すように強要(笑)したりしていて、そのたびに「この国にはどんな人が住んでいるんだろう?」なんて思っていたガキでした。

きっとこの頃から異文化に興味がある点はずーっと変わらないので、まあ成長していないのかもしれません。人はそれを「ルーツ」なんていうこともありますが。

●シアトルに降り立つ

シアトルではCさんというファミリーの家に泊まった。Cさんは日本文化の造詣も深く、父とは逗子でお隣さんだったらしい。初めて話す外国人は、とても優しかった。みんな背が高く、特にCさんの息子さんはすごいハンサムで、びっくりした。テレビでは西洋人を何度も見たことがあったけれど、みんな骨格や背の高さ、表情、肌の色などが全然違うのに、同じ人間なんだ、とリアル外国人を見て、ある意味衝撃を覚えたのを今でも覚えています。

Cさんの家は、アメリカの郊外にあり、敷地の入り口から家の玄関まで300メートルくらいあったかもしれない。そこまでは、広い野原みたいになっていてその中間地点にはハンモックが
あった。その家の前に広がる黄緑色の野原でキャッチボールをしたり、遊んでいるうちに夕日が暮れ、黄色っぽくなったっけ。ちなみに、夕日が落ちて暗くなるのはサマータイムのおかげで
夜九時を回っていて、とても新鮮な驚きを覚えた。家の脇にはジャグジーがあり、そこから空をぼーっと見ていたのも、その中でハンサムなCさんの息子さんと話したり、話そうとして英語の教科書を頭にうかべながらほとんど喋れなかったり、ちょっと話すと父が「うまいじゃん」というものの、「もっとしゃべれるはずだぜ」とか心の中で思っていたことも、すべて懐かしい。


(確か)Cさんの兄弟?の家に行き、湖が見えて緑が萌えるキャンプ場で、キャンピングカーを初めてみたり、スポーティーな凧を揚げてみたり、山をハイキングしてみたり。日本の山でも結構遊んでたけど、シアトルの山の方が緑が青々として、日本の方が落ち着いているな、なんて思ったりもした。

あと、なんとかという法律事務所に行き、オフィスに入った、そのビルの屋上でビルみたいな名前の人を紹介され、話したことも未だに覚えている。

***

そんなことが思い出されるシアトルだが、今こう振り返ると、いろいろなドラマがあって、面白い。

父は、幼い頃からCさんの家によく遊びに行っていたらしい。Cさんからみると、シアトルからはるばる逗子に来たところで、隣の家の坊やがよく遊びに来ていたと思ったら、その坊やは東京で大学を出て結婚し、そして、子供まで連れてきた、これって結構ほほえましい話かもしれない。

父からみても、自分が昔よく遊びに行ったアメリカ人の家に行く、それも息子と一緒に。父も幼い頃から外国好きで、今でのその関係の仕事をホント楽しそうにやっている。そんな海外好きはきっと、逗子のお隣さんだったCさんから来ているのかもしれない。そして、ビートルズか。

おそらくそんな父と幼い頃から接触したことで、そのDNAが継承されたのかもしれない(?)。もしくは、地球儀で遊ぶ息子をみて、なんとなく自分が幼い頃によく遊んでいたCさんと引き合わせることが、父の中では何かとってもいいことのように予感してたんだろう。つながらせること。今思うと、自分の息子を誰かに紹介するだけでも嬉しいだろうに、それを昔良く遊んで懐いたアメリカ人の人に紹介するなんて、もし自分が父親でも相当やりたいことの一つに入るだろうと思う。しかも、それが息子に知らない世界を見せて、息子がひょっとしてそこで何か感じて、刺激を受けてくれたりするかもしれないし、そんな可能性があることをやるなんて、父親としてこれ以上の楽しみはなかったのかも知れない。

なーんて、昔は自分のスコープからしか見えなかった世界を振り返ると、そこはすごく興味深く
ほほえましい世界でした。

(つづく)
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by sipoftip | 2007-12-20 03:53 | 旅行

スペイン逃亡記(最終回)~そこは決して楽園ではない~



ずっとずるずると更新してきたスペイン逃亡記ですが、(一応)
諸般の事情より、今回を一応の最後回とします(*1)。

(*)但し、折を見て写真をほかのエントリに流用するかも知れません。また、突然思い出したエピソードを載せるかもしれません。
なお、以前のエントリ、携帯とクレジットカードが破綻したと書きましたが、今度はノートPC破綻→ノートPC内のIpodその他のインストールしたものも全てアプリケーションが死亡するという状況に追い込まれております。そう、物事は、ときとして理由が必ずしも明らかでないまま破綻するのです。破綻したという事実だけは皮肉なほどに明らかなのに(・・;)


●スペインのパラダイス的イメージ

行く前は、イタリアと並ぶラテンの国でありすごく陽気な国だと思っていました。すごーくアーティスティックな人やほんの一握りのエリートを除いては、みんな「アモーレ・モンジャーレ・カンターレ」(注:愛し、食べ、歌う)しか考えずに生きているんじゃないか、と思ってました(すごーいステレオタイプですが。)

だから、「ひょっとしてひょっとするとスペインとか留学して、そのまま仕事見つけて数年住んでみてもいいかなー」とか密かに思っており、その調査?という意味もありました。実は。

例えば、朝9時位から働き、昼にはゆっくりとランチを食べ、夕方に仕事を終えたらビーチでサッカーをして夜はバーやクラブに飲みに行く。スペインの情熱的な夜を過ごす。そして、もうちょっとゆっくりしたいときは、古い町並みのカフェで物思いに耽ったり、読書をしたり、書き物をする。古き文化を日々感じながら生活する、そんな生活です。

フィジーやタヒチもパラダイス的ですが、もう少し多様な文化が交錯しているという意味で、長くいても新鮮な発見が続きそうだ!という意味で、相当期待してました(*2)。

(*2)フィジーやタヒチにも歴史はあるし、サマセット・モームの「月と六ペンス」やゴーギャンを語るまでもなく興味深い文化があります。野蛮といっているわけではないです、念のため。

●朝、通勤する人のカオ。みんな現実の中で生活していた

マドリッドで朝地下鉄に乗ると、人々はみんな険しいカオをしてました。あえて色にたとえると灰色。表情は厳しく、寒いせいもあってか必ずしも浮かれていませんでした。

バル(bar)にいっても、人々は予想以上にさわがない。みんな「はっはっは!」とか言いながら笑って飲んでいるのかと思えばそうでもない。歌い出しているんじゃないかと思いましたが、そうでもない。

しかも、道行く人々の服装などを見る限り、私の感覚(=全く当てにならない)では、おしゃれ度、お金のかけ方ははるかに日本人の方が上で、マドリッドのそれは、だいたい北京と同じくらいだと思います。

カフェで話をしたウェイトレスやバルのお兄さんも「底抜けに明るい」というわけではなく、日々稼がなきゃいけないし、そこまで経済的に豊かではないけれども何とか頑張って生活してる、みたいな人の多くのスマイルが「底抜けに快活」といいきれるかといえば結構微妙だと思いました。「微笑みの国」であるタイでは、おそらく収入とかだと全然貧しいのに「微笑みが底抜けに快活」である場合があり、本当に感銘を受ける場合がありますが、そういった衝撃的な体験はありませんでした。


町のテンションとかは、確かにバルセロナの一角とかは銀座みたいに賑やかだったりします。ピカソが青年時代に足繁く通った「クワトロガッツ」(四匹の黒猫)というカフェがあったり、なかなか「芸術的にハイセンスな都市」という面もあるのですが、やはり全体としては、「人々は日々現実と向き合って暮らしている」ということを肌で感じました。

旅行に行くと異文化に触れてすごく刺激を受けるし、それが大好きなのですが、みんなそこで現実と向き合って生活してる。だから、仮に自分が海外にいってもその現実から逃れられるわけでもない。むしろ、そこに向き合うことも含めて異文化なのであって「異文化楽しかったねー、じゃんじゃん」という単純なイメージどおりに話はおわらないのだ、なーんて思いました。

●おまけ~スペインワイン~

やはりヨーロッパといえば、ワインの本場であり、スペイン人も結構色々とうるさいのかと思いましたが、全然違いました。バル(bar)では、せいぜい白ワインと赤ワインが2~3種類ずつかな。しかも、別に魚介類に赤ワインを合わせてみたり、肉を白ワインで合わせたりするし、「とりあえず、ワイン」という感じでした。フランスやイタリアはわかりませんが。これは、「とりあえずワインがあれば楽しめるスペイン気質!」というとらえ方もできますが、経済的に必ずしも裕福でないことなども影響しているのかも。そういうと、「やっぱスペイン人はワインなら何でも楽しめて、さすがだねー」なんていう気軽なコメントでは、ちょっとずれているのかなーとか思ってしまいます。


このような経緯から、私の中での「楽園スペイン移住計画」は軌道修正するかもしれません(でも、やはりバルセロナは魅力的な都市なので、やはり実行するかも知れませんが。)(・・;)
まあ、それを割り引いてもすごく刺激的な旅だったし、いろいろ感じることがありました。もうこの旅行の時間が戻ってこないと思うとやはり切なく、それだけに旅行の1シーンずつがとてもかけがえのないですが、そんな時間を過ごせたことに感謝してますw
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by sipoftip | 2007-12-17 02:42 | 旅行

LearningとStudying~夜のヒルズでのディスカシオ~

某六本木ヒルズのスタバで僕は抹茶ラテ、Kさん(日本人)はコーヒー、そして、Jは「何とかモカ」(笑)を飲む。

彼は、あと10日位で本国に帰る予定。僕の職場に1年ほど研修に来ていたが、そろそろ帰るのでフェアウェルを!と思っていた。そこに、「日本にいる間にJazzBarにいったことがないから、是非一度言ってみたい」というリクエストがされたので、Kさんと二人でとあるJazzBarに連れて行き、帰り際に立ち寄ったカフェでのこと(JazzBarは別の機会にエントリしますw)

Jは言う。

「Kさんは、大学時代、カナダに留学していたけど、いつも夜はバーとかクラブに行ってた。でも、他の留学生と違って、彼にはたくさんの友人がいた。彼はその留学という一年をとてもuniqueなものにした。その意味で、彼は、right choiceをしたと思う。

人によっては、ずっとライブラリに籠もって勉強する人もいる。でも、異文化にいるんだから、それ以上に大切なことがあるんじゃないのかな。

自分が日本に来る前、ボスに言われた。『うちの会社からも日本に派遣しているが、現在まで、そこまで「successful」だったとはいえない、と。今まで日本に派遣される人はずっと仕事だけに時間を費やすことが多かった。だけど、異文化にいるということの目的は単なる仕事だけじゃない。友人を作ったり、他の文化を色々と体験したり、まさにそういった違いの中でその文化の人とやってみる、ということも重要じゃないかと思う。その意味で、君には今までよりも「successful」な体験をしてきた欲しい』と。」


そうボスから言われて私の職場に送り込まれた彼は続ける。

「だから、自分は色々なことをしてきた。職場でもより多くの人とコミュニケーションをとってきたし、それなりに自分をこの異文化の地、日本で表現してきたつもり。最初からここでの生活は1年間だとわかっていたから、それだからこそ、できる限りのことをやり、そして、楽しもうと思った。だから、あと10日位で日本去らなきゃならないと思うととても寂しい。

もちろん、自分がlazyじゃないことは示さなきゃいけない。でも、それだけじゃなくて、色々大切なことがある。

僕がカナダにいた頃、Kさんじゃない日本人の留学生でも、ずーーっとライブラリに籠もってた人もいたっけ。もちろん勉強は大切だし、そのattitudeも大切。

だけど、ライブラリでずっと本を読んでいる、それを彼らは「studying」というけど、それは単な「reading」でしょ。もう自分たちは「adult」じゃないか。だから、本当の意味での「Learning」がそういったライブラリに籠もるだけで得られないんじゃないかな。それは、特に異文化にいる場合、いろいろな人と友達になって飲みに行ったり、Jazz Barに行ったり、そういったいろいろなことを通じて、人から得るもので、そういうのを「Learning」ていうんじゃないかと思うんだ。」


誤解を招かないように断っておくと、Jはすっごく優秀だし、Kさんもとても賢いだけでなくコミュニケーション能力に長けたオトナ。わたしよりもわりと年上(→失礼!)上だけど、なぜかつるんでいるのですw

もちろん留学中、必死に勉強する必要はあると思うし、ある程度は割り引いて考える
必要があるかもしれない(つまり、彼が相当根はマジメなので、バランスをとるために上記のような考え方をとっているのかもしれない。)。それを考慮しても、何のための「Learning」(*)なのか。それは本当に「Learning」なのか。実際に学術の知識や経験を積むことはもちろん「勉強」ではあるけれども、それは「Studying」。でも、人生という意味では、「Learning」の方が遙かに重要なんじゃないか。特に、そんなに残された人生も長くないことを考えると特にそういえると思う。

結局、死ぬときに残るのは「Learning」(=何を得たか)であって、その多くは友人、恋人、家族その他自分が会ってきた全ての人からすこしずつ「Learning」しているんじゃないかな。現時点までの自分は、「Learning」の積み重ねたものなのかもしれない。

おそらく死ぬときに「Studying」のことを思い出すわけではないだろう。たとえ研究者でもどんなに勉強や研究が好きでも、そこで「Study」したものではなく、それを「Learn」した瞬間を思い出すんじゃないかな。

そんな思いを巡らせながら、Jの話を聞いていた。

(*)ちなみに、ここで「Studying」といっているのは、「学術的により長けること」などを目的としてそのスキルアップをする行為を指し、「learning」ってもうちょっと「自分が人間的に成長すること」を意味するという前提で聞いていた。間違っているかもしれないけどw

****


そういえば、僕がアメリカに高校生のとき、アメリカに留学していたときも、まったく同じことを考えていたっけ。

「この地には1年しかいない。だから、1年たつと、自分は過去の存在になって忘れられちゃうかも知れない。それって、全く新しい場所で、1年間といういわば「短い人生」のようなものを生きているみたいじゃない。じゃあ、その限られた中で、できるだけ多くの人に、できるだけインパクトを与えるようなことをしてみたい。そうすることが、自分にもきっと刺激になるし、何たって自分がどこまでできるか見れるなんて、とてもスリリングじゃないか。」


と、そう思ってた。

そうやって1年が経ち、帰国間際には、かなり彼の気持ちに近いものを感じていた。そんな意味でも懐かしくもあった彼のコトバ。そういえば、彼は別のフェアウェルのスピーチでこんなことも言っていた。

「そう、だからいつもタクシーで家まで帰ったりすることも結構多かったんだけど、最近はあえてなるべく帰るようにしている。あと少ししかこの国にいれないと思うとタクシーに乗るのがもったいなくて。ゆっくりと歩いて、今まで気づかなかった日本の一面で少しでも心に刻み込むようにしているんだ。」


帰国間際には、それまで当たり前だったことが、「極めて限られた時間の中でのもの」であったという当たり前だけど意識的に「認識」するのを避けていた現実に直面する。仮にどんなに「時間」というものが有限なものであると認識し、意識していても、よほど感性を研ぎ澄ませて生活しない限り、やはり日々の日常の中で忘れる。そして終わりになって気づくのだ、ああ、もうほとんど残りが無いじゃないか、と。そして、今まで自分が得ていたもの、身にまとっていたもの、当たり前だと考えていたものが失われゆくからこそ、わずかばかりの抵抗を示すため、または失われてゆき、残りわずかばかりとなったものを、できるだけ自分の中に刻み込もう(internalize)と感じて、感性を最大限にとぎすませる。まるで、水がどうしても溢れてこぼれてしまい、それを手で止めることはおおよそ無理だとわかってはいるけれども、それでもどうしても水が溢れ出るのをふせごうとしてその溢れ出る水の出口に手をのばすような状態なんだとおもう。

ちょっと一瞬思ったこと。こういうのをどこかにつなぎとめておかないと、知らない間にどっかに流れていってしまい、忘却されちゃうので、ブログにつなぎとめてみたw
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by sipoftip | 2007-12-15 05:01 | キャリア/コトバ/ロールモデル

アートとしてのエネルギッシュなコトバ、それは暴力的ですらある~8mile(その2)~

(前回の続き)

前回はラップのバトルが表現の自由市場でありまして、云々。

今回は、ラップのコトバが暴力的になる、というアートな本質と、表現の自由の内容規制はある程度認めなきゃコスモポリタンなTOKYOにはなれないぜ、という考えの衝突を備忘代わりにメモメモ



●コスモポリタンな社会では内容に踏み込んで規制しなきゃいけない場合もあるかも


この間のエントリでも少し触れましたが、ドイツとかヨーロッパではホロコーストの反省を踏まえてネオナチやファシズムに対する規制が厳しいです。テレビ番組、インターネットサイトなども禁止されているようであり、ネオナチのような政党を組成する自由も認められていない、という風に習いました。

これって表現の自由の「内容」に踏み込む規制で、日本ではすごくハードルが高いんです(=規制がすぐ憲法違反になる)。

日本の憲法は、「世界の中で何が正しいかわからないね」(価値相対主義)という前提に立って、「みんなで考えを交換し合ってもっと良いものを求めていく」という発想に立っています(表現の自由市場)。だから、「ファシズムを標榜する政党」「やはりヒトラーは神だとあがめる政党」も表現の自由の一環として認められるべきであり、その思想をどう思うかは、みんなで決めましょう(=民主主義)という発想です。これは、いろいろな思想を批判し、評価し、よりよいものを作っていくだろう、少なくとも国民にはそういった能力がある、という極めて文化水準の高い、ハイレベルな国民像を前提にしています。

実際に日本国民がそこまでレベル高いかどうかはさておき、「たとえファシズムの政党だって表現の自由の一環として認める」というのは、これを禁止するドイツ憲法よりも進んでいるんじゃないか、そう思っていました。

ただ、最近、以前のエントリにも書いたとおり、それは単に日本が(比較的)単一民族国家であり、ある意味でコスモポリタンな文化に達していない、ある意味でプリミティブなレベルに止まっているから可能な憲法の設計であり、その意味でドイツの方が進んでるのかも、なんて思ったりもしてました。

だから、表現の自由であっても、人種差別に係るものを禁止するとか、ベーシックなルール(=規制)を設けるのが必要なんじゃないか、と感じていました。



●でも、お上品な文明社会を目指すとついつい忘れてしまうコトバの側面

もちろん、これは総論において間違っていると思っていませんし、「議論」の場面では特にそうだと思います。

でも、この映画を見るまで、すっかり忘れてました。コトバって「議論のツール」であるほか、「アート」(*3)なんですね。内に秘めたエネルギーの爆発によって外に出たコトバって、まさにアートで、コトバって本質的に暴力的な要素を含む(少なくともその可能性を含む)ものだということを。

きっとラップのフリースタイルをやっているMCが「このコトバは使うとまずい」とか「このコトバ使うと訴えられちゃうかも」なんて思っていると、変に萎縮しちゃってお上品になっちゃうかもしれない。でも、アートってそんなものじゃなくて、もっと爆発するものなんじゃないかと思うんです。

だから、総論的には一定の限度で表現の自由の内容規制をすることに賛成なんだけど、そもそもアートとしてのコトバが発せられる場面においては、必然的にコトバが上記規制をやぶってしまうこともある、仮に規制が望ましいとしても根本的にそういった表現を撲滅することはできないし、あってはいけないかも。

そう考えると、特にアートなコトバが問題になっている場面での表現の自由の規制って難しい。アートだったら何でも許されるのか?逆に許されないとして規制したとしても、アートである以上その規制を破った形で表現されるアートが必ず出てくるという本質があること、など、すごーく難しい。机の上でお上品に考えているだけじゃだめだよね、と改めて思いました。


(*2)相手を罵倒するようなラップをアートと呼ぶのに抵抗があるかもしれないけど、「アート」って、人がうちに秘めたエネルギーを何らかの形で人(自分も他人も含む。)に認識させるために行ったアウトプットだと思っているので、やはりアートなんじゃないかと。あと、何がアートかを決める行為自体も恣意的になってしまうので、はなから「あんなものはアートじゃない」と決めつける態度には疑問を感じざるを得ません。


●エミネムの目つき(おまけ)

映画で一番心に残っているのが、エミネムの大きく見開いた目つき。どんなに相手方にぼこぼこにされても、変わらないし、むしろそれによって闘志が燃えているような感じがした。

8マイルロード(*4)を渡ろうとするからこそ生まれるこの目つきかもしれない。

最近、こんなハングリーさがなくなったな、とふと思った。そういった目つきをしているとき、自分という人間が持つ能力はもっともっと引き出されていくんだよな、とも。

ちょっと就職して、ある程度稼げるようになって、そうした小さな安定が生まれるようになると、ついつい意識してても忘れてしまう。8マイルロードを渡ったら、エミネムのあの目つきは優しくなったのだろうか。

そういえば、司法試験受けているときとか、ちょっと映画に出てくるエミネムみたいな目つきをしたかも。ああいった目をして一つ一つコマを進めていくとき、全神経を集中させていて、ある意味でともて気持ちが良い。スリリングであり、また、自分の中にエネルギーを感じることができるからかもしれない。

いろいろと考えること、感じることの多かった映画でした。


(*4)ウィキペディア(「8miles」12月10日)参照↓
「ミシガン州デトロイトには都市と郊外を隔てる境界線がある。
「8マイル・ロード」。この道は富裕層と貧困層、そして白人と黒人とを分けるラインになっている。」

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by sipoftip | 2007-12-11 04:54 | 映画