カテゴリ:法律( 5 )

正義とお金のオトナな関係



最近、ちょこちょこと弁護士になりたいとう学生とかに会うことがあります。その中には「人を助けたいから」、「人権のために」という人も結構多いように思います。それ自体はホントに素晴らしいと思うし、その想いは大切にして欲しい。

ただ、それについて思うところがあるので、ちょっと書いてみます。

●はじめてお金をいただく

それは確か秋が深まるくらいのことだったと思う。午後の早い時間に、当番弁護の呼び出しを受けた。お昼ごはんは、当番弁護士のマニュアルのようなものを再度読み返しながら済ませ、さらに、友人とかにも「当番行ってこうだったら、どうすればいいんだっけ?」ということを確認して
みたりした。

ただ、その時期は(その時期も?)、事務所の仕事がわりと切羽詰っていて、日中はそれに追われていたため、日中に接見に行くことはできなかった。それでも、まだ事務所に帰って片付けるべき仕事はたくさんあったのだけど、「当番弁護で呼び出しを受けたときは必ずその日に行く」という信条(というか常識?)のとおり、事務所を飛び出した。

再度、被疑者を最初に接見するときの説明事項や、ポイントなどを思い返しながら、電車に乗り込む。

そして、警察署にいって被疑者に会う。名前は、田中さん(当然仮名です!)。

「どうされましたか?」

「まさかこんなことになるとは思いませんでした。あれは三日前のことなんですが・・・」


そうやって田中さんは、捕まるきっかけになる事件の経緯、捕まってからのこと、捕まってから
いかに自分が不安かということ、家族のこと、会社のこと、そしてどうやったら出られるのかということ、せきを切ったように話し始めた。彼は、不当に長く捕まっていることや刑事さんたちが自分の納得いく対応をしてくれないことにすごく不安を感じており、またそのまま放置されることになっていた仕事や家族のことが心配でたまらないようだった。

田中さん、弁護士をつけるかどうかもちょっと迷っていたけど、やっぱり事がことなので依頼したいと意向を表明された。

事務所の仕事が結構立込んでいたのでちょっと迷ったが、何とか早く出してあげたい、との思いもあって、受任することにした。

いつもは事務所の仕事をして、事務所からお金をもらう。最終的な仕事の成果(プロダクト)は
パートナーのチェックが必要だし、いわば専門知識のあるサラリーマン。自分の仕事を自分が貰うお金が対価関係に立つことは十分意識していたけれども、お金と仕事の関係は間接的だった。

でも、この瞬間は違った。

「この人からお金をいただく。そして、その対価として弁護士として、つまり法律のプロとしてサービスを提供する。」


お金と自分の仕事があまりにもはっきりと目に見えるほど直接的だった。
背筋がピンと伸びた。

「お金をもらってやる以上、それに見合ったレベルのプロとしてのサービスをきちんと提供することが必要、それも自分の責任で。」


考えてみれば、すごく単純なことだ。でも、それはその単純さとは裏腹にすごい緊張感を伴う。
大げさに言えば、ポーンと一人で舞台に立たされたような感じかも。準備はできているのだけれど、広い舞台に突然立たされた感じだった。大都会の雑踏の一角で起きた小さな事件に
過ぎなかったけれど、そんな小さな世界であっても、それは僕にとって、すごく緊張感の伴った舞台だった。


誰かが言ってたっけか。弁護士って、事務所に入って数年働いても、ボスからは未熟者と見られることも多いかもしれない、だけど、世間の人から見れば一年目でも十年目であっても弁護士は弁護士だ、だから、弁護士は、通常の社会人と比べても、すごいスピードでプロとして振舞うことを求められる、と。


●正義のためにがんばってみる

高揚感もさることながら、早速作戦を練った。もちろん、事務所に帰ってたまっていた仕事を深夜まで片付けていたけれども。

その後は、その事件において弁護士としてできる限りのことをやったと思う。土曜日だった翌朝の朝からはじまった奥さんの携帯での質問攻め(*)の対応にはじまり、再度の接見、被害者との示談の段取り、検察官との交渉準備、記録の精査にはじまり、刑事弁護としてその事件でやるべきことはぜんぶちゃんとやったと思う。

(*)これはとても気持ちはよくわかります。

いろいろと司法試験や修習で勉強している知識があってこそ、今自分がどういう弁護をするためにそれを行っているかもちゃんと理屈をもって行動することができており、自分が勉強したことをこういった形で活かすことができていたのは嬉しかったし、何よりも、自分のやっていることによって、捕まっている人が早く社会復帰できて家族にも早くあえるんだと思うと、すごく小さな事件ではあったけれども、その中で小さな正義が実現されるような気がして、なかなかのものだった。

接見にも数日間のうちに、何度か行った。その度に家族の様子を聞かれたし、こちらからも、奥さんからの伝言も伝えたりした。

「この場所から早く出たい。何とかお願いします。このままずっとここにいると仕事もクビにならないか不安だし、いつまでここにいなきゃいけないかと思うと、とても不安です。」


会う度に、彼は僕にこう言っていた。その度に、いま手続きとしてはどの段階にいて、そこから早く出れるためにどのようなことをやっているか、それについての進捗状況の報告などをしていた。手続きなんかは、田中さんも最初の説明でわかっていたはずだけど、それでも不安だったようで、何度となく同じ質問し、僕はその同じ質問に何度も答えたりしていた。

事務所の仕事は、企業法務であり、それなりに面白くはあったけど、このような形でより具体的に正義が実現するような刑事事件は事務所の仕事とはちょっと趣が違っていた。



   *   *   *


最終的に、被害者とちゃんと示談もできたし、検事との面談もして、最終的に釈放にもっていくことができた。

その事件の事情から考えられる一番早いタイミングでの釈放だった。釈放の連絡が入ったとき、正直ほっとした。おそらく大丈夫だと思ったけれど、その大丈夫をより確実にするために、小さなことでもひとつひとつやってみた。感覚としては、「これだけやったから大丈夫だろう、そうであって欲しいけど結果が出るまでは不安」というテストの成績がよかったと知らせを受けるようなものに近かったかもしれない。

もちろん、事務所の仕事がたくさんあったし、釈放されればそのまま家に帰ることはでき、弁護士としての仕事はそれで終わりではあるのだが、田中さんが東京の地理に疎いということもあり、また、不安だから来て欲しいと言われたこともあり、警察署に迎えにいった。

警察署に着いたのは午後8時くらいだっただろうか。誰もいない待合所で待っていると田中さんが出てきた。それを見て立ち上がって、田中さんに近寄った。「出れましたね!かなり早く出れたし、よかったですね!」そういって、田中さんが拘置所の生活から解放されたときの喜びと安堵の顔を見て、握手し、家族にもよろしくお伝えください、といって、駅から送り出すんだろう、大袈裟だけど、小さな正義であっても実現してよかった、そう思いたい、そんな場面を頭の片隅にイメージしながら。でも、田中さんは僕を見るなり、こう言った。

「先生、報酬の件ですが、やっぱり減額してくれないかな。思ったよりも早く出れたみたいだし、意外と大したことない事件だったみたいだし。刑事さんも早く出れたんだから、弁護士報酬を減らしてもらえば、なんて言っていましたよ。」



   *   *   *


●正義は思っているほど無垢なものではない

この発言を聞いたときは、最初、耳を疑った。最初に「ありがとうございます」の一言もなく、いきなり報酬を減らしてくれとは。。。。小さな事件だけど、その中で被疑者がしかるべき待遇を保障され、小さくても正義が実現されるようにがんばっていると思っていたのは一人よがりだったのか。接見のときに先生しか頼りになる人がいませんといって感謝しているといってくれていた田中さんのコトバはいったいなんだったんだろうか、という思いが一瞬にして頭をよぎった。

たぶん、その日は特に事務所の仕事で疲れていたからかもしれないけど、すごく衝撃を受け、こたえたのを今でもはっきりと憶えている。そして、そのとき、小さな事件の中の小さな正義のなかではあるけれど、はじめて正義というものの知らなかった一面を見たような気がした。

正義のために働きたいと思う人の正義って、あくまで自分の脳の中に描かれているものに過ぎない。

正義のために働きたいと思って、プロとして働くと、必ずお金が絡んでくる。プロだからお金が絡んでくるのは当然であり、むしろそうあるべきだと思うけれど、そうなることで、必ず緊張関係が生まれる。そんな緊張関係があるから、正義って、実は思っているほど無垢でもない。無条件に心をオープンにして、手放しで喜んでいると、僕みたいに後ろから刺されることもある。小さな事件だったから、刺された僕の傷も小さなものにとどまることができたけど、常にそうでもないはず。もっと大きな傷を負っている弁護士も数知れずいると思う。

ここで書いたことはすごく当たり前だけど、ついつい忘れてしまいがちなこと、それは理想が高い人にこそ起こりうるのかもしれない。

単に自分が実現したい正義、つまり、自分の脳の中に描かれている正義を実現したいのであれば、ボランティアになったほうがいいかもしれない。また、正義とお金の緊張関係がそこまで直接的ではない、公務員とかの方が仕事の意義を無条件に喜べるかもしれない(*)。

(*)もっとも、公務員も、税金を使っている以上、本質的には緊張関係があるはずですが、弁護士ほどリアルに直接的ではないかな、というくらいの意味です。

昔思っていたほど正義とは無垢なものではなく、正義とお金って、もっともっとオトナな関係なんだな、と感じたのです。

(*)もちろん、弁護士報酬が普通の人にとっては安くないものであることは認識していますし、田中さんの方からすれば、自分が捕まっており、その中で色々やってくれて(拘置所から)出してくれたけれど、やはり支払いは安くとどめたい、という気持ちも(田中さんの立場に立ってみれば)わからんでもないです。田中さんの視点から見たこの事件のストーリーはひょっとするともっと違ったものなのかもしれません。だから、別にこのエントリは、田中さんを非難するものでも否定することを意図したものでもありません。むしろその発言を所与の前提として、背景にあるものをみてみる、ということに主眼があります。
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by sipoftip | 2008-01-22 03:14 | 法律

「DVDと自白の任意性」を題材として(その2)

(前回のつづき)

そんなわけで前回はDVDによって自白の任意性が否定された
ことについて書きました。今回は視点を変えて,「自白」
そのものに焦点を当てたいと思います。

↓も関連トピックです。
カナダ人から日本の警察の取調に突っ込みを入れられた

●自白をとりにいく理由(その1)

一つは法制度上,「そのときどういうつもりだったか?」
を立証しないとだめな犯罪もある。

旦那(奥さん)さんがいるのに,別の男性(女性)とゴハンを食べに言ったとする。

それ自体がまったくアウトな行為かは議論があり得ますが,
そのとき「どういうつもり」でゴハンに行ったかというポイントは,
それが「犯罪」にあたるかの判断に重要ですね。

日本の刑法ではそんな感じで(!?),自白偏重を被告人の内心を立証
しなければならない。だから,自白偏重になりがちなのも
それなりの理由があるのかもしれません(それが正当化
されるべきかは別問題として)。

●自白をとりにいく理由(その2)

多くの犯罪は検察庁から裁判所にあげられる前にスクリーニングされます。

つまり,実際に犯罪をやったとしても,裁判所に送られないケースがある。
(軽い犯罪とか)

実務上,「こりゃ裁判所に行かないでしょー」という軽さの犯罪もある。

でも犯罪は犯罪。ちゃんと反省してもらわないと困るので,ちゃんと反省させる
ために自白を取りにいく。

ある検事さんが言っていた。

「彼らが今回やった犯罪は,殺人とかレイプに比べると,そこまで
悪くないかも知れない。でも,だからといって,彼らがしらを切りとおして
街に出て行ったとしたら,それでいいの?

今回に味をしめるかもしれない。犯罪ってやっても大丈夫ジャン,と思うかも知れない。
でも,そういった彼らが次に犯罪を犯したときは,もうアウトなんだよ。

だから,最初に捕まったときに十分反省してもらいたい,それが彼らの
社会復帰にとっても必ず役に立つと思うから。

だから不合理な言い訳は許さない。」


これも一理あると思う。きっと,そうやって「反省」するのも
日本人の特徴の一つかも。

でも,どんどん国際化が進む中で,こういった古き(良き??)取調も
変わっていくのだと思います。


●検察官もワルモノじゃない(検察官への基本的な視座の一例)

検察官だって弁護士だって

・悪い奴は処罰する
・やっていない奴(orその証明がない奴)は罰しない


という目的は一緒のはず。

取調の可視化が議論される場合には,

・警察・検察官はやってもいない奴を有罪にしようと
 密室で取調を行っている。とりあえず,起きた犯罪に対して
 誰かが罰せられればいいと思っている!

・刑事手続の適正は,近代国家では認められた憲法上の権利。 
 それが実質的に認められてないにも等しく,なんて野蛮な国なんだ。
 官僚・検察は頭が固すぎる!


といった(時には感情的にも思われる)議論が展開されることもあります。

でも,検察官だってバカじゃない。(組織の論理で動いているという一面が
あり得るにせよ)彼らだって,それなりのスジ(principle)をもって
行動してる。

刑事訴訟法の世界では,

「疑わしきは罰せず」

という有名なフレーズがあります。

「100人が捕まっているが,その中の1名だけが真犯人であることまでは
突き止めているとする。しかし,そこからの特定ができない場合,どうすべきか?」


という問いかけに対して,刑事訴訟法的には,

「『ひょっとすると犯罪をやってないかも』という合理的な疑いが残る場合には全員無罪」

というのが模範回答となります。でも,ある検察官が言いました。

「われわれは,必ず100人の中から1名を見つけ出し,その1名を罰し,
その他の99名を釈放する。その両方を実現させるのがわれわれの使命だから。」


検察官の発想をよく表していると思う。

取調の可視化の問題を本当に解決するには,単に可視化をするだけじゃなくて,
それを踏まえて刑事システムをどうまわすか,そういったマクロな調整が絶対に必要だと思う。

そのために,弁護士が声を上げつつ,裁判所や検察で共同して体制を作っていく必要があり
まさにその準備中なんだろうな,と。

あえてこてこての弁護士的な立場じゃない観点からエントリしてみました。

(おしまい)


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by sipoftip | 2007-11-16 04:00 | 法律

「DVDと自白の任意性」を題材として(その1)

最近めっきり刑事弁護の実務から離れがちですが,
時代は進んでいるみたい。

福岡のベンチャー弁護士さん
のブログで取り上げられていた↓のニュース。画期的だと思います。

録画から「任意性に疑い」と調書却下、大阪の殺人未遂公判


要するに,裁判官が取調の過程をDVDにとったのを見て
「殺すつもりがありました」という自白調書は信用できないと
判断したということです。

取調の可視化は勿論素晴らしいことだと思います。
でも,ポイントを浮き彫りにする意味も込めて,
敢えて視点を変えることを試みます。

●検察官はそのDVDを出さざるを得なかったのか。

記事によれば

「「西田裁判長は「殺意を否定しようとしたのを無視し、調書に沿う供述を
するまで質問を続けた」と指摘。「高齢で聴力が著しく低下しているのに早口
で次々に質問し、被告に不利な内容を押しつけていた疑いがある」などと批判した。」

(一部抜粋:2007年11月15日3時8分 読売新聞))

らしい。ここで,ふと沸く疑問。なぜ検察はこれを法廷に出したのか?

この調書が法廷に出る過程で,法廷及び水面下でどのようなバトルがあったかは
興味があるところです。

この調書を出せば,自白の任意性が否定されるリスクは検察官も分かっていたはずじゃないかと思います。少なくとも,殺人未遂で起訴する段階で,このDVDが法廷に出た場合において,
殺意の認定に及ぼす影響はぜったいに吟味したはずです。

そう考えると,検察は,もっと殺意の認定に有利になるDVDだけ裁判所に
提示し,最後まで弁護人が気づかせないという裏技もあり得たように思えます。

勿論,このようなリーディングケースで,意図的にDVDを選別し,その他の不利なDVD
の存在を開示しないなんてことをすれば,検察への信用はがた落ちでしょう。だから
開示したのかも。


そんな理由を差し引いても,もし検察がすべてのDVDの存在の開示をしていたのであれば,それは今回のように

「自白調書の任意性が否定された」

ということと同じくらい意義があると思います。

●別にまだ無罪が決まったわけではない

検察もバカじゃないので,調書を見て殺意が十分に認定できると踏んでいた
わけではない可能性も(十分に(*))あります。
調書の任意性が否定されたとしても,無罪と決まったわけではありません。

((*)もっとも,裁判官としては,任意性は認めつつ,信用性の問題として
総合処理することもできたのでしょうが。。。)

諸々の理由でDVDは全部出すとしても,その他の事情によって
殺意が認定できると踏んだのかもしれません。

例えば,

刺す部位,深さ,角度,凶器の種類,凶器の持ち方

などから,

「この刺し方をするなんて,実は死んでも構わないと思ったんじゃないの?」


という認定に疑義が生じるかが判断されます。なので,

調書の任意性が否定+有罪

というのもあり得るシナリオかも。

そうすると,勝負は

客観的な証拠をどう評価するか?

というのが主戦場になるはずです。

「本当にやるつもりだったのか?」

というのを,自白調書だけでなく,色々な客観的な観点から検討することで,
より多くの人が納得する判決・判断が得られるのではないでしょうか。


取調の可視の内容・影響を具体的に考えてみると,上に述べたようなものなんじゃないかな,
なんて思います。

●まだまだ課題はありそう

①本当に全部出しているのか?

検察が自分に有利なDVDも不利なDVDも全部出してくれれば
問題ありません。そして,検察がそうすると信じたい。

でも,それを検察がちゃんとやっているというのを
どうやって担保するか?


すべての取調にDVDがとられているかを確認するには
そもそも,取調の回数,時間等のどのような取調が
行われたかが分からないと困るはず。

あと,特に逮捕直後,取調の初期って,結構リアルに色々
話してくれます。だんだん刑事さんとかと話し,検事さんと話す
という段階になると,供述が「洗練」されてきて,迫真性
に欠けてしまうのかも

初期から一貫してDVDをとること,これを外部的に担保
することが必要なのかなと思います。

②改ざんの危険は?

取調べの最初から最後まで撮影されているか。

途中で不都合な部分が生じた場合,カットされるとすごく困る。
DVD-Rだと改ざんできないとも言われますが,
本当に本当に技術的にあり得ないのか?この点の疑問に
ちゃんと答えられるようにする必要があると思います。

ちなみに,外国人犯罪なんかだと、さらに映像の重要性が増す気が
します。

(つづく)

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by sipoftip | 2007-11-16 03:55 | 法律

NOVAの会社更生にM&Aがどう絡むか


NOVAに会社更生開始の申立がなされて
しばらく経ちました。

会社更生法(かいしゃこうせいほう)とは、「経営困難ではあるが再建の見込みのある株式会社について、事業の維持・更生を目的としてなされる会社更生手続を定めるために制定された日本の法律」をいい,過去にも結構,適用を受けた企業はあります。例えば,↓

あしぎんフィナンシャルグループ
シーガイア
ハウステンボス
マイカル
吉野家

ですね。個別の企業については別途書いてみたいです。

以下では,会社更生の手続の中でM&Aがどう絡むかという
視点について,以下,おさらいです。



<<会社更生の進み方>>

(参考:中野通明『ビジネス法務大系ⅡM&Aジョイントベンチャー』)
 
0.(スポンサーの選定★1)

1.更生手続開始の申立て

↓←保全処分(保全管理人の選任)
 (例えば,NOVA

2.更生手続開始の決定(1ヶ月)

①財産の調査・確保(←否認権,役員の責任追及)
②債権の届出・調査(→確定のための裁判手続)(★2)
③更正計画認可前の営業譲渡(←担保権消滅請求)
(★3)

3.更正計画案の作成・提出(11ヶ月)
↓新株・社債・減資・事業譲渡
↓株式交換・株式移転等(★4))

4.更正計画案の決議


5.更生計画の認可(13ヶ月)


6.更生手続の終結決定(★4)




<<Note>>

★1:プレパッケージ型
 申立て前にスポンサーを決める。
 (事業の劣化が早い場合,実質的な競争がなされ,
 手続が公正・透明であればいいという見解が有力です。)

→NOVAは違いますね。
(申立ての時点でスポンサーは決まっていなかったので。)
 今回はベルリッツやAEONとかに水面下でアプローチしていなかったのか
興味があるところです。

★2:債務の遮断
偶発債務が遮断されるので投資家のリスクが減る

→要するに,NOVAを買う人(投資家)が知らないところで
 債務が発生しているリスクが減ります。要するに
 聞いてないのに払わなければならないリスクが減ります。
 
 給料を払われていない行使や授業料の返還を受けてない
 受講者はここで言う債権を届け出るのでしょうね。大変だこりゃ。

★3:更生計画前の事業譲渡
・資産の劣化前に事業譲渡が可能
・債権者,担保権者,労働組合は反対の意見を言える
(株主の反対の決議をすることができるものの,
 債務超過の状態にある場合には株主の手続参加
 が制限されるので,問題になりにくい。)

→再生手続で民事再生手続開始前の事業譲渡は
 認められない(もっとも,2週間で出るなら
 特に問題ないという整理(らしい))。

→今回のNOVAでの手法ですね。残りは売れるのでしょうか。管財人がどう動いているか興味深いです。

★4:会社更生で用いられる代表的なスキーム
①100%減資+増資
・雇用・組織形態に変更がないので便利
・既存債権の消滅を対価とすることでDES(Debt Equity Swap)
(注)再生手続でこれはできないので,
 会社法に基づく債権の現物出資という方法で行う。
・再生手続の場合は100%減資をせず,
 オーナー(事業者)に株式を持たせることもある。
・株式譲渡制限がある場合にも,総会の特別決議なく
 第三者割当て可能

→NOVAの大口債権者またはそこから債権を買う人がいればDESを利用した
 NOVAの再生が可能になります。借入先とかどんな感じなんでしょうね。

②事業譲渡
・(投資家にとっては)いいとこ取りができる
・債務免除益課税の回避
・(破産手続においても事業譲渡は可能。まとめて
 売った方が高く売れるので)

★5:民事再生との比較
①債務者の自主再建(DIP方式)
→監督委員の監視
②担保権は別除権
→中止命令・担保権消滅請求による制限

→結構どの手続を選ぶか迷います。 
 上記述べた差異も結構重要で,いずれの手続を選択するか
 で争いが生じることもありますし。

 NOVAでは,自主再建がムリと判断したのでしょうか。
 NOVAの破綻に招いた元凶が経営者であるのなら,民事再生でなく
 会社更生が正解なように思われます。

(次は別の角度からNOVAを取り上げようと思います。)


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by sipoftip | 2007-11-15 04:54 | 法律

事案のスジ

「この請求は立ちますでしょうか?
請求が立たない可能性もあると考えていますが,その可能性が
どの程度のものかについて,「感覚」を教えていただければと思います。」

今日,ある事件でアドバイスをもらいにいった。

きわどい判断が必要なとき,高名な法律家に「感覚」
を聞きに行くことがある。

事案の背景と質問の概要・今までの検討結果を簡潔に
まとめた上で「感覚」を聞きに行く。

細かい金融規制の知識などテクニカルなことに長けていることにも
バリューはある。だけど,法律家として最も重要かつバリューの
ある資質が,この「感覚」だと思う。

いわゆるリーガルマインドともいうべきか。


   *   *   *


早速お伺いをたてる。

概要はメールで説明してあったのだが,案件について
いくつか質問を受けた。それは,質問の対象となる
法律問題には関係ないようなことばかり。


「それで,君は,結局,この事案でどっちに正義があると
考えているの?」


突然の質問。即答できなかった。

しまった。その事案に関する法律論などの細部にとらわれていたた。
日々の業務に忙殺され,しかもテクニカルな条文操作等に
関する仕事が多く,ついこの感覚を忘れていた。

「裁判所はね,人々や社会がどっちに正義があるか,という
点を判断して結論を出すんだよ。細かい法律論も必要ではあるけれど,
裁判所ってのは,最終的にはその正義に反する判断はしないものなんだよ。
その正義があるかないか,それが事案のスジってやつだ。」


法律家としてトップクラスのキャリアを経た人のコトバだけあって
重かった。

「スティールだって,正義がなかったから負けた。それだけのことだよ。」

それだけなのか。。。。!?まあ,そうかもしれない。


   *   *   *


●そういえば,かつてのお世話になった裁判官もこんなことを言っていたっけ。

「裁判所は弱い者の味方ですよね??と本人訴訟の当事者から
たまに言われるんだよね。どう思う?」

「ん~,そうであって欲しい気もしますが。。。」

「裁判所はね,弱い者の味方じゃないんだ。正義に味方するの。」


●よく思い出すと,修習時代の自分も,自分が担当した事件
については,どちらに正義があるか,常に素に戻って考えていた。

結局いろいろ争ってるけど,いずれかに采配を下すのが裁判官。

修習生ながらに自分の担当する事件の結論については納得する
まで考えた。

色々記録を読んで,調べ物もして,当事者の主張に耳を傾け,
その後,すべてから離れて空っぽの頭で考えてみる。

本当にその結論でいいのか,と。

細部だけにとらわれると全体が見えない。

細部だけ見てとりあえず出した結論って,その過程に至る
個々のロジックはつながっていても,全体として見落としがあったりする。

でも,細部を見ないと宙に浮く。

細部もすべて見据えた上で,色々な細部もよく頭の中でかき混ぜた上で
すーっ,と落ち着く結論が出る。これが出るまでちゃんと考えていた気がする。

不思議とここまで詰めてだした結論だと,その後の裁判官からの
突っ込み,批判もちゃんとかわして自分の結論を維持することができた。

裁判官にこういう思考・作用は重要だし,意識しやすいけど,弁護士になると忘れがち。

そんな大切なことに改めて気づいた火曜日の午後。

(↓背景はアルハンブラ宮殿@グラナダ)

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by sipoftip | 2007-11-07 03:50 | 法律