カテゴリ:キャリア/コトバ/ロールモデル( 33 )

ある期待(ベンチマーク)と別の期待(託された夢)-6月20日-




今日はどうにもこうにも二日酔いがひどかったー。
さらに、すこし胃が悲鳴を上げてしまいました(きっと、そろそろ肝臓も・・・(++;))。

↓こんな感じでした(・・;)

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ただ、これは嬉しい悲鳴とでも言うんでしょうか。
本当に有難いことに、連日いろいろな方から壮行会を開催していただいており、いかに人間関係に恵まていたかを再認識する今日この頃です。


    *    ある期待(ベンチマーク)    *


そして、昨日のこと。

僕の出た高校は、秀才を生み出す学校ではないという点で確たる評価を確立している一方で、奇才?みたいな人が生まれる土壌があるとの評価もある。実際に、まとまりがないけれど、何となくアイデンティティーがあるみたい。そして、昨日壮行会をしていただいたのも、そんな高校の諸先輩方。

いずれも、「ひえー、こんな人、本当にいるんだ」というのが素直な感想の方々で、会うたびに自分の立ち位置を見直さざるを得ない。あの先輩方があんなところにいる、じゃあ、自分は今どこにいるんだろうかな?という感じで。

でも、逆に、「そういった人もあり得る。ここまでのキャリアの人もいるのね。」と認識が広がるから、自分に限界を設けようとするときに一歩留まれる、逆に、ストレッチ目標を定めるときのベンチマークになる。そういった意味でも、アイオープニングで、刺激にも事欠かない。



ある先輩が言った。「せっかくなんだから、今まで僕ら先輩がやっていないことをやって欲しいな。是非、自分の息子のベンチマークにもなって欲しいし、そういった後輩を見ているのが楽しみなんだよ。」

「いえいえいえ・・・」と恐縮していると、「きっと、20年後に、今の僕がどんな気持ちか分かるようになるよ。」とのこと(・・)。



    *    不満足なオプティミスト    *


自分のキャリアに対する自己分析としては、もう少し進めば、ようやくスタート地点にそろそろ立てるかなー、ただ、スタート地点に立てるかもまだまだ怪しいし、もう3跳びくらいは必要だしなー、という状況。巷では、30代は20代で培った能力・経験を十分に活かしながら活躍するとき、といわれているが、果たして自分にその素地があるのだろうか、と振り返ると大いに疑問がある。今までも、その時々の状況に応じて、自分なりに頑張ってきたつもりだけど、そうであっても、こんな程度の感想なのだ。

周りからどう見えようと、「自分は全くをもってまだまだ」という点は変わらない。


そう、一言でいうと、現状に全く満足していないのだ。
これが幸なのか、不幸なのか。きっといずれでもあるのだろう。


でも、先輩の言うとおり、「先輩達の世代がやっていないこと」の方が断然面白そう。
それを渇望する度合いも決して小さいものではない。そういった意味で、トラディショナルなキャリアを歩むことの魅力が、日に日に薄れてきている。だから、進みたいのだ、次に。

じゃあ、HOW?どこにいくの?どうやって?
見えているかな?見えているようで、まだぼんやりしているかな?
もどかしいが、できることから始めておくしかないんだろう。でも、その「できること」の達成すらままならないのが、現実。


ただ、悩んでいるかというと、果たしてそうでもない気がする。心は本能の方向に向かっているわけだし、結局それがどう形造られていくかは、次第に時が明らかにするだろうし、そういった意味で、結構、オプティミストなのだ。




    *    別の期待(託された夢)    *



とべーにあたり、周りの方から色々とアドバイスを頂いたり、中には、僕の将来のことのを自分の夢のように描いてくださる方々もいる。おばあちゃんなんかは、「あなたがのれんを継ぐのが、おじいちゃんの夢だったんだから、素晴らしいわ。」なんて言うし、「ちゃんとした(安定的な)家庭を作るように」なんていう人もいる。

これらの夢は多くの場合、僕が描くそれと異なる。別に、のれんを継ぐかどうかは、先に述べた「先輩たちの世代がやっていない」断然に面白そうなこと、に比べれば僕にとって遥かに小さな問題に過ぎないし、おじいちゃんの夢だって、それが今の僕を縛ることもないし、意思決定に影響を与えることはないなー。また、安定的な家庭を築くために、収入やジョブセキュリティを優先すると、ものすごく選択肢が狭まってしまうしね。そういった意味で、周囲の人から夢を託されると、まるで異物を口につっこまれたような感覚を覚えることもある。

だけど、他の人が僕に重ねて夢を描いてもらえること自体は非常に素敵なことだと思うし、あえてこちらからそれを潰すようなことはしたくないな、と思う。でも、僕の中の歯車は、彼らとは全く違ったところで回っているようだ。

どちらかといえば、とべーまでの経緯(今までたどってきたルート)を見てみると、おばあちゃんしかり、そういった周囲の期待に沿うようなルート(レール)と非常に重なり合うような気もする。そう思われてもおかしくないな。だけど、ここからどうずれていくか。ずれていく方が断然に面白そう。だけど、周囲の家族には、「期待するレールを今までも来たし、これからもそう行くだろう」という風に感じている人もいる。そういった場合、どんなに暖かい祝福の場においても、とてつもない孤独と距離感を感じることがあるのだ。





    *    でもやっぱり    *




毎日パーティー三昧の日々であって、浮かれているように見える中、まったく浮かれることはできず、色々と思うことばかり。出会いや色々とサポート・祝福をしてくださる人たちに対する感謝の念は尽きないけれど、一方で、キャリアでの根本的な不満足を抱えているようなので、なかなか思うほど浮かれられないのが実情。そんな今日この頃。でもさ、自分としては、先輩が寄せてくれた「ある期待」(=ベンチマークになる)は是非応えたいなあ。というかむしろ、超えたいなあ。

逆に、「別の期待」(周囲の夢)については、おそらく応えられないんだろうなあ。周囲の人というのが、おばあちゃんしかり大切な家族だったりすると、託された期待に応えないことに伴う心の痛みも相当なものがあるかもしれないし、きっとそちらに従った方が楽で、色々なことがスムーズに進むといった事態にも直面するのかもしれない。だけど、応えたときのプライスがあまりにも高すぎる。だって、プライスは人生そのものなんだから。周囲の人も、きっと僕が人生という対価を支払うことを望んでいるわけではないと思いたい。

ひょっとして、いつか将来これを読んで、自分が「ある期待」をかなえられないままに、「別の期待」に応えているようであれば、僕はすごく切なくなるだろう。さて、また明日から


こんな好奇心や

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こんな素直な気持ちを忘れずに、

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「ある期待」に応えるためにも、できるところから準備しよっと♪先輩、家族、友人その他の方々に感謝の念が絶えません。

(ひとまずおしまい)
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by sipoftip | 2009-06-21 01:33 | キャリア/コトバ/ロールモデル

夜のタクシーの窓をぼーっと眺めて思ったこと-4月27日-




「SO, WHAT DO YOU REALLY WANNA DO? REALLY?」

この間、酔っ払った高校の大先輩に、何度も何度もこの質問をされた。酔っ払うと半分くらい英語になってしまうこの先輩。彼はこう続ける。

「おれだって、今まで何度も失敗してきたし、ああ、こうやっておけば良かったと思い返すことも少なくない。だからこそ、同じ轍を踏まないようにできることは何だって教えてあげたいし、求められればできる限り応じてあげたいんだ。」

半分英語、半分日本語でこんなことを言っていた。酔っ払って、手足はふらふらと宙をさまよっているのに、何となくこの人酔ってないんじゃないか、と思わせるほど、たまに出てくるコトバは鋭い。



帰り道のタクシーで、ふとDREAM GIRLSの「LISTEN」がかかったんだけど、ふとその夜の先輩の姿が思い浮かんだ。



ぼーっと窓の外を見る。





もちろん、今まで何度もいろいろな場面で後悔したことがあるけれど、「なんで自分のチカラをもうちょっと信じることができなかったんだろう?」といった類の後悔の傷が一番深い。今振り返っても、「あの場面でもうちょっと自分のチカラとか直感を信じることができていればなー」という心地の悪い瞬間がいくつかあって、「あそこでこう舵を切っていれば、もう少し違っただろうな。」と、ふとした瞬間に遠くを見つめてしまう瞬間がある。


月並みだけど、キャリアの選択をする瞬間、それを選択する理由もあるし、それを選択しない理由だって
いくらでもあり得る。でも、本当に重要なことは、他の人の発言や意見に寄りかかるべきではない。それは当然なのだけど、それが自分にとって近い人、信頼できそうな人、自分のことを考えてくれる人のコトバであればあるほど、「だからきっときっと正しいだろう」と信じたくなることが多い。時として、それが自分の体験したことのないゾーンについての話だったら、「きっと自分は体験したことはないけれど、あの人がこういうんだから、こうに違いない」。そう信じたくなる。だけど、そういった類の選択においては、絶対に自分以外の人間は責任をとれないのだ。誰がどう勧めたとしても、それがどんなにもっともらしく聞こえても、その発言者は絶対に責任を取れないのだ。だから、選択に後悔したときの「ロス」、つまり、そのアドバイスに従わずに「別の選択をしたときにあり得た自分」という名の代償は自分しか払うことができない。若ければ若いほどこの重さに気付かないんだと思う。

だから、それがどんなに客観的かつ的確なアドバイスだとしても、それによって「もうちょっと自分のチカラ・直観を信じていればよかった」と思い返すようなことであれば、そのアドバイスを従うことによって生じるプライスをよく考えなければならない。



「無理だよ」




すごい罪深いコトバだと思う。僕はこの言葉がものすごく嫌いだった。周りの大人が僕に無理だというたびに、多くの場合、「そんなはずはない。」と感じ、そして考えたものだ。でも、ときとして、「無理だよ」という言葉に、非情にも心が折られそうになるときもあって、そんなとき、そんな自分を、そして自分を取り巻く状況を激しく嫌悪した。今思うに、それは「無理か無理でないか」の問題ではない。キャリアの選択においてある選択肢が「無理かどうか」というのは氷山の一角に過ぎなくて、その選択肢の先に何を見ているのか、その先に見ているものから逆に照らして自分をどう見るか、などもう少し広い観点から光を当ててあげられていたらと思う。

でも、やはり若者に「無理」という判定を突きつける大人は多いんだろうな。だから、少なくとも僕は、そうじゃなくいたい。アドバイスを求められたら、絶対に無理だと決めない、その人が希望する可能性、それ以上に、その人が気付いていない可能性に少しでも光が当たるようなアドバイスをしてあげられるような大人でありたい。かつての自分を思い返すたびにそんな思いを強くする。少なくとも自分が相談に乗ったあげた相手には、アドバイスの質はともかく、そういったハートで望んでいる。振り返って、今思うのは、「自分をちゃんと信じ」て選択をすることこそが、人生のまたとない醍醐味の一つであり、それができるからこそ面白いんだと思う。これを行動をもって示せたらなあ、きっと、たまらないだろう。


そして、もう一つ。色々後悔したとしても、じゃあ、仮にそのパスは通れなかったとしても、今の地点からどうやって何ができるかな?逆に、昔描いたそのパスではないパスを選んだからこそできることは何だろう?そうやって、構築し直してみると、気付きもしなかったものが生まれる可能性がある。そういった可能性もこれまた大人として生きる醍醐味の一つなんだろうな。

そんなフレームワークでやっているし、きっとこれからもそうだと思う(++:)



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by sipoftip | 2009-04-28 03:19 | キャリア/コトバ/ロールモデル

春眠不覚暁+イマジネーションのストレッチの連続+Juggling Five Balls -4月6日-




そう、春眠不覚暁な日々なのです。。。困った(++;)


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目黒川は春爛漫、夜桜に感動していた去年が懐かしい。

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住環境が変わったり、仕事内容も微妙に変わったり、遂にはとべーを目前に控えていたり、そういった物理的な変化もそうですが、心意気も随分と変わった気がします。去年の自分が立っている位置から、すっごくすっごく遠くに来てしまった気すらします。

最近、1週間も、1ヶ月も、3ヶ月も1年も、めちゃくちゃ早い。だけど、振り返ると、そこに詰まったものはとても濃密で、それは振り返ると遥か昔のような気がするのです。

そこまでの道のりを、人は成長と言うのかもしれない。やっぱり、他の人のペースに憧れたりしつつも、結局は自分のペース以上のものを出せなくて、それが歯がゆく思ったときもあるけれど、そういったものも含めてすべて(悪い意味とか諦観とかではなく)that's lifeなんだから、と割り切るほどに腹が据わったような気がします(++;)

自分なりに精一杯手を伸ばして得た選択肢、かつて思い描いた程のものにはまだまだ至りませんが、それでもやっと手に入れた果実。

「どこでも与えられた環境の中で、何に出会えるか、何を見付けるか、ワクワクしてます。1日1日が、点で、それが線になって繋がっていく、だから点はとても大切だし、線の方向性は、自分の気持ちでもっていくのでしょうね。」


こんなことを言ってくれた人がいました。この人は僕が生まれる前から僕のことを知っているので、そういった人にワクワクが起こっているのはなかなかなこと。自分が「ワクワク」するのも好きだし、それが他人にも生じているなんてそれだけで奇跡。まわりに色々多くなると目が曇りがちだけど、そういったある意味で純粋なところをこれからも大切にしていきたいな、と。

得られた果実の味を十分に想像しながら、色々と想いをめぐらせて見ましたが、
色々頂いた選択肢の中から、結局、こちらに行くことに決めました。

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決まると気持ちは早いもので、すぐにそこを基点として色々とイマジネーションを膨らませています。色々と思い描く絵を思い切りストレッチしてみて、そこで描かれるイメージを楽しんでいるような、そんなワクワク感がたまらないかも。ぼんやりとした憧れとかはありつつも、それを蜃気楼に見ながら(?)、その時々で置かれた環境の中でイマジネーションをストレッチして、それに向かって進み、さらにその先で、またそのときに置かれた環境の中でイマジネーションをストレッチして、それに向かって進む、そんなことを素直に、さらに言えば愚直に、だけど軽快であるように努めてきた。Bostonはそんな中で、たどり着いた道だけど、それは通過点に過ぎなくて、きっとこれからもそんな進み方をしていくんだと思います。

ちなみに、コースを見たら、こんなものがあって、すげー面白そうだな、と。こんなところに最近、ココロがワクワクするのです。

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余談ですが、僕の知る限り、他の合格者はみんなUnparallelledといっていいキャラな方が多く、友人からもNo Offenseで、「キミが一番庶民的だねー。」とまじまじと言われました。たぶんこれは本当でしょう。
そもそも僕のキャラは、学校で選ぶとしたら、こんな感じであり、また、自分でもそうでありたいと思ってきたのですが、まあ、たまにはそういう人がいても良いと思うし、思い切りストレッチしてこようと思います。

そんなこんなでイマジネーションを膨らませるだけでなく、色々と同じ大学(の違う学部)の在校生、進学予定者ともなんとなく交流を始めています。詳しくは書きませんが、なんか「日本人は英語ができない」とか「グローバルに通用する人材が不足している」という通説?が嘘のように優秀な人材が身近にいる気がします。そして、きっとこれらの人は、一人が知り合えば、そこから派生してどんどんつながっていく、意外に狭いコミュニティなのかもしれません。

すごく面白く、刺激を受けるし、新鮮。だけど、それとともに、あー、すげー、こういう人とはすげー距離離れているなー、と毎回びびります。すごい面白いキャリアだなー、そう思って、自分がそのパスを通ったらどうなるだろうか、そんな想いを馳せます。そして、その想像の地と自分のポジションの距離を見て、なかなかそこにたどりそうもないなー、ふう、と思うこともしばしば。

でも、それで落胆しないようにしています。

ふとわれに返る。その道はある意味開けているのだから、そこを通っても、それはちょっと。せっかく自分にはその人にないものとかあるんだから、その人みたいなレベル感で、でも、自分らしいパスはないのかな。そんな思考に発展させるようにしています。だから、色々な人の話を聞いてサンプリングしても、それをイメージの素材としつつ、自分が最初に扉を押し開ける。その世界が大きいか小さいかは分かりません。多くの先人が踏み固めた大きな世界へのパスもそれはそれで面白いFast Trackなのかもしれない。だけど、見たことのない道、それが踏み出したとたんに崩れてしまうかもしれない、そんな緊張感をもちながら初めての道を踏み出し、自分なりの扉を押し開ける、それは少し怖くもあり、だからこそワクワクするのかも、これはどんなにFast Trackであっても、十分に踏み固められたパスを行くよりも遥かに楽しそう、この未知の世界への飛び出しの瞬間こそが(大きく言うと)生きることの醍醐味なのではないかな。

ここに決めたと言ったとき、ホストファザーから言われました。It will open so many new doors.もしおピンとくるドアがあるなら、迷わず開けたい。

もちろん、「自分は自分」というのを貫くと、比較の尺度がなくなり、惰性に流されやすくなるのも事実なので、いつも自分がどのくらい充実しているか、自分の世界がどのくらい広がり、または深まっているかということについて、心のバロメータで計るようにつとめています。

日々、日常は流れ行くけど、そういった大局は最近少し意識しているかも。

さて、選択のオハナシ。以前どこかで聞いたスピーチがあったので、ぐぐって見ました。

以前、カレンの家のHouse Warming Partyで、ジャグリングのボールがあったので、このコトバを説明しようとしたところ、あまり記憶が鮮明でなく、思い出せなかったので、これを機会にもう少し共有してしまおうかと。

何回聞いても、、Today is a gift, that's why we call it "the present"って、すっごくお洒落だと思う(++)

(人生とは5つのボールをジャグリングしているようなもの。仕事、家族、健康、友人、スピリット。これを全部一緒にジャグリングしている。すぐに、仕事のボールはゴムでできていることに気付くだろう。落としてしまっても跳ね返ってくる。だけど、他の4つのボールはガラスでできていて、一度落とすと、痕が残ったり、傷が付いたり、粉々になり、二度と元には戻らないんだ。君たちはそれを分かった上で、全部のバランスを保つようにしなければならないんだ。どうやってやるかって?それは・・・・・以下、省略)

Imagine life as a game in which you are juggling some five balls in the air.

You name them - Work - Family - Health - Friends - Spirit, and you're keeping all of these in the air. You will soon understand that work is a rubber ball. If you drop it, it will bounce back. But the other four balls - family, health, friends and spirit are made of glass.

If you drop one of these, they will be irrevocably scuffed, marked, nicked, damaged or even shattered. They will never be the same. You must understand that and strive for balance in your life.

How?


1. Don't undermine your worth by comparing yourself with others. It is because we are different that each of us is special.


2. Don't set your goals by what other people deem important. Only you know what is best for you.


3. Don't take for granted the things closest to your heart. Cling to them as you would your life, for without them, life is meaningless.


4. Don't let your life slip through your fingers by living in the past or for the future. By living your life one day at a time, you live ALL the days of your life.


5. Don't give up when you still have something to give. Nothing is really over until the moment you stop trying.


6. Don't be afraid to admit that you are less than perfect. It is this fragile thread that binds us together.


7. Don't be afraid to encounter risks. It is by taking chances that we learn how to be brave.


8. Don't shut love out of your life by saying it's impossible to find. The quickest way to receive love is to give; the fastest way to lose love is to hold it too tightly; and the best way to keep love is to give it wings.


9. Don't run through life so fast that you forget not only where you've been, but also where you are going.


10. Don't forget that a person's greatest emotional need is to feel appreciated.


11. Don't be afraid to learn. Knowledge is weightless, a treasure you can always carry easily.


12. Don't use time or words carelessly. Neither can be retrieved. Life is not a race, but a journey to be savored each step of the way.


Yesterday is History, Tomorrow is a Mystery, and Today is a Gift: that's why we call it - "The Present"

(おしまい)



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by sipoftip | 2009-04-08 02:59 | キャリア/コトバ/ロールモデル

ボブマレーがかかると踊りだす国から来たニューヨーカーの言葉-2月28日-

今日はオフィスメートのホームパーティーに行った。

南麻布な上に、なかなかお洒落な家で、しかも家賃がわりとリーズナブル。(彼ら自身は違うけれど)少しだけエキスパットの世界を垣間見る。

気心知れた人々のほか、知らない人達も多少いた。その中で会ったのがジャマイカ人。出身はニューヨークで、ニューヨークの名門大学を卒業後、今揺れている最大手の金融機関に勤め、日本にエキスパットとして来ているらしい。エキスパットって、なんか不相応にお金をもらって優雅に生活をするような勝手な先入観を少しだけ抱いていたけれど、それが崩れた。



ジャマイカってさー、やっぱ、ボブマレー?うちの親父ボブマレー好きだけど、やっぱジャマイカだと、神様的な存在なわけ?

いやー、まあ、ボブマレーは、神様ってわけじゃないけれど、ボブマレーの音楽がかかるとみんな踊りだすんだよ。それは、つまり、ボブマレーの音楽がかかったら、それが道路でも、お店の中でもビーチでも、とにかく今やっていることの手を止めて踊りだすんだ。そんな存在。

わお。そりゃさ、もう神だよ。でも、ジャマイカ、さっき自然が綺麗って言ったけど、東京とかにいるとさー、そういうところに住みたいなってよく思うんだよねー。

そう?確かにバケーションとしてはいいかもしれない。でも、実際、仕事がないんだよねー。うちの家族は、みんなニューヨーク、カリフォルニア、ペンシルバニアに散らばっているけどね。

そっかー、ところで、ニューヨークに行くケースって結構あるの?

うーん、一般的にあるとはいえないけど、うちは両親が子供にどうしても大学を出て欲しかったみたいで、それで何とか大学に行くことができたんだ。

でも、最近は大変だよ。いつ首になるかわからないし。給料日になると、給料がちゃんと振り込まれているか確認してから出社するくらいだから。昔からじゃ信じられないけれど、特に最近はこんな感じなんだ。


エキスパットとして一見華やかな世界に住む彼の世界の裏側を少し垣間見た。
ジャマイカで生まれ、ニューヨークで生まれ育って一流金融機関のバンカーとして日本にやってきた彼の目に、今の世界はどう写るんだろうか。

とべーの話をした。わお、そりゃ、すげークールだ、力を込めてそういってくれた。
まるで自分がニューヨークに出てきて、そこから金融の出世街道を登ってきた過程を思い出しているかのように、少し遠くを見つめたのかもしれない。すぐに視線を元に戻して、言葉を噛みしめるようにまた僕に行った。そりゃ、すげークールだ。力を込めてそういってくれた。


その後、みんなが持ってきた各国の料理をほおばりながら、いっぱいいっぱいの即席英語漫才?をやる同僚に笑いつつ時を過ごす。逆立ちしている人もいれば、ダンスをしている人もいて、こう書くとすごく変なんだけど、平和に時が過ぎた。

そして、帰り際。ジャマイカの彼にまた挨拶をする。
そっか、すげークールだ、本当に一番やりたいようになるといいな。その目には力が込められていた。きっと苦境に立たされているなかで、新しいフェーズに入ろうとする後輩に希望を託すかのように、または少し昔の彼自身を僕の中に見ているのかのように、いずれにしても、彼の中の何かが過ぎってそういう言葉が自然に発されたのかもしれない。

帰路に着く中、すごく些細だけれども、なんともいえない感謝と高揚の気持ちが自分の中に持っているのを感じた。自分もそういう言葉を投げられるようになりたい、素直にそう感じた。


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by sipoftip | 2009-03-01 02:29 | キャリア/コトバ/ロールモデル

Planned Happenstance Theory(計画された偶然性理論)の効用とジャパニーズスルメ-1月26日-




Planned Happenstance Theory(計画された偶然性)という考え方がある(プランドハプンスタンス、と読む。)。

これは、スタンフォードの心理学のクランボルツ教授によって提唱された考え方。

思い切って概略する。

かつてのキャリアカウンセリングの業界では「ヴィジョンが見えていないとは自分が分かっていないことだし、そんな相談者はちょっと問題じゃ。どちらかというとカウンセリングの問題児じゃ!みなさん天職・ドリームジョブに向かって進むべし。」という意見が主流だった。

でも、そこで「でもさー、よく見てみると、成功している人のキャリアの積み上げ方を見ていると意外に天職を目指していた人って少なくない?どんなに精密にキャリアカウンセリングをやっても、その後に目の前に降りかかる偶然性に左右されているし。だから、天職を設定して、それにどうやってたどり着くかの目標までのルート設定するっていうカウンセリングだと、あんまし偶然性に対応できないんじゃん!?偶然性にどう備えればよいかというのもカウンセリングの重要な要素として取り入れるべきじゃ。」

という口調でいったかどうかはともかく(・・)、要するに、「一定の明確な目標に向かってどうやって進ばよいか」というアプローチが合わない人もいるし、「はっきりとやりたいことが見えていない」人のマインドを否定するんじゃなくて、それに応じて各人をエンパワーしましょ、という発想。

でも、「何やりたいか分からなーい」と言っているだけではだめで、次の要素が重要とされる。

①好奇心(Curiosity):新しい学習機会の模索
②持続性(Persistence):めげない努力
③柔軟性(Flexibility):スタンス、状況を変えていく。
④楽観主義(Optimism):新しい機会を「実現可能」と捉える
⑤リスクテーキング:予想できない結果に対してリスクテークする



振り返ってみると、結構、色々な偶然性に左右されつつ生きてきた気がする。

でも、自分の場合、全く前に偶然に左右されてきたわけではなくて、かなり昔から自分のバックボーンにあるものは変わらない。きっとこれを人は信念(principle)といったりするのかもしれない。但し、好奇心だけは少年並み!?(苦笑)な気もするし、実際に自分のバックボーンにあるものを世の中とどうつなげるかという点でかなりオープンだと思う。だから、きっと自分はSemi Planned Happenstance的な人間なのかもしれないが、どうなのだろーか(・・)。





とまあここまでくると、やっぱ、Planned Happenstanceだよねー、うんうん、さすがクランボルツ、さすがスタンフォード、と言って終わりたいところだが、そうもいかない。


自分のキャリアの進め方はPlanned Happenstanceだし、考え方にもほぼ全面的に賛成なのだが、一つ落とし穴!?があると思う。


自分をどう「タグ」するのか、という関係で訴求性が弱いのだ。


だって、「ぼやっとした、でも確たる何か」があるけれど、それが何かはよく分からない、でも、今ある興味に沿って、偶然的な事象が現われたら、それを高いチャンスでものにするために普段から準備しましょ、というのがPlanned Happenstanceの基本的な発想だと思う。

そして、実際、興味あることに日々近づこうとしている人は、(何もしていないより)遥かに高い確率でそれに遭遇し、そして、それをものにする。これは本当だろう。

だけど、目の前に偶然が現われたとき、それを昔から明確なヴィジョンとして掲げていた人と、Planned Happenstanceな感じでそれに飛びつく人と、どちらが強い情熱を示せるだろうか。

Planned Happenstanceの中の「柔軟性」というのは、「目の前に実際に現われた偶然じゃないといけない。あなただけよ。」という強い意志を示さなければいけない場合にマイナスに作用しうる。

だから、たとえ、自分の中の本当のストーリーとしてはPlanned Happenstanceだとしても、目の前に現われた偶然のチャンスをものにするには、あたかもそれが「昔から明確に目指してきた目標」かのごとく振舞うべきなんじゃないか。

自分をタグするとかプレゼンするとかそういったレベルにおいて、Planned Happenstanceな自分をどういった形でプレゼンしていくのがいいか。キャリア理論という自分と向き合う場面で有効なフレームワークが別の場面であまりよく機能しない。そんなこともあるのだ。


ちょっと思うところが去年あったので、あえて他の人とは別の観点からPlanned Happenstance理論を洗ってみました。

でも、個人的にはすっごく好きな考え方です。





これについては割とよく読むブログに関連記事があるので参照しておきます♪

①「Planned Happenstance」
http://hbslife.exblog.jp/3557754/

②「続・キャリアを考える」
http://nedwlt.exblog.jp/6744824/


↓全く関係ないけれど、ジャパニーズ・スルメ、すげー美味しそうだっ。日本の文化って感じです。

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by sipoftip | 2009-01-27 02:24 | キャリア/コトバ/ロールモデル

エフィーの選択-1月16日-




帰り道、ipod nanoにはドリームガールズのサントラが入っているんだけど、シャッフルしていたら、たまたまその中の一曲が回ってきた。

ふと思い出したのが、メインボーカルがもともと歌唱力のあるエフィーからビヨンセ(ディーナ)に変えられてしまう場面。

ドリームガールズというユニットにいる方が大舞台に立てる。きっと大舞台に立つっていうこと自体が歌手にとってはドリームシーンなんだろう。だけど、そこに残るとバックコーラスのまま。今まで自分の歌唱力を拠り所に生きてきて、スターダムを駆け上がろうとしたところで、自分の実力とは必ずしも関係ない理由で思い描いた夢が閉ざされてしまう。そして、周りにいた家族同様の友人たちから「君はメインには入れない、だけど残ってくれ。」と言われる。

きっと、自分が何をどこまで譲れるか、という問題なんだと思う。

自分の周りにいる家族同様の人たちの切望に応えるか、それとも、やはりリードボーカルが譲れないのか。本当は喉から手が出るほど両者ともに欲しいのにそれができない。さらに、自分の声で音楽を表現したいのに、それを受け入れてくれる場がない。こんなに切ないことはないだろう。

エフィーは、(見ようによっては)なりふり構わず叫び続ける。私の方が歌がうまいじゃない、だからボーカルにして!と。きっと、エフィー自身も、叫んだところで事態が変わるわけじゃないということは頭では分かっていたはず。だけど、叫ばずにはいられなかったのだ。何故か分からないけど、エフィーに何が起きているのか、痛いほどにすごく良く分かった。

結局、エフィーはドリームガールズを去り、地元のバーで毎晩歌う。それは自分の歌唱力だけでリードシンガーになる、という意味で一つの表現の場なのかもしれない。なんとかもがいて、挫折と向き合って、そしてやっと手に入れた場所なはず。それはもちろんある意味でスターダムと等しく素晴らしい場所といえるのかもしれない。でも、エフィーにとってそれは、自分にとって譲れないものと向き合って必死になってやっとたどり着いた場所に思える。エフィーのたどった道が端々に垣間見えるようで切ない。

こんな一見すると不条理な構造。でも、現実には沢山起こっている。

なぜだろう。すごく古典的な問題提起だけど、それだけに深く鋭い問題提起のようにそのときの僕の心には刺さったのだ。


そんな瞬間から、早いもので1年が経った。

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by sipoftip | 2009-01-17 03:29 | キャリア/コトバ/ロールモデル

小さな、でも固い決意-7月4日夜-




何となくは気づいてたけど、やはり世界は思った以上に複雑で、どろどろしていて、様々なものが交錯しているリアルなものであることを、もう少し明確なカタチで認識した。

さまざまなものがそれぞれの思惑の元で、それぞれの世界の中で動いていて、誰もその全体を俯瞰していない。自らの思惑のままに動いている。そんなものが複雑に絡み合っている世界。そもそも世界は一人の視点で俯瞰できるほどシンプルなものではないのだけれど。


自分なりに世界を描いていた。もちろん、予想はしていたものの、その描かれた世界の空にはピキキと微かにひびが入り、その世界の外側を取り巻くものを見てしまった。


たぶん、こういったことは、これまでも起こったことがあるし、これからも起こると思う。

でも、きっと、今まで描いていた世界の外にどんな別の世界が見えても、また、自分の前に現われる世界がどんなに複雑であっても自分は変わらないし、自分に対して素直に(faithfulに)、自分のインスピレーションを大切に、いままでどおり目の前に現われる世界に向き合っていこう、そういったささやかな決意を固めた金曜の夜。
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by sipoftip | 2008-07-05 03:55 | キャリア/コトバ/ロールモデル

深夜の紳士と底抜けの明るさ+フェラーリと想像力とBliss~7月2日~

帰宅は深夜になることが多く、週に3-4回はタクシーで帰宅する。

疲れたなー、とか思ってビルのタクシー乗り場に行くと、多くの場合、タクシーが数台待っている。

「はーい!いつも、ありがとうございます!」というコトバと共に迎えてくれることが多い。それが2時であっても、3時であっても、4時以降であっても。タクシー料金が値上がりしただとか、タクシー業界の労働条件は過酷だとか、そういったニュースに関係なく、多くのドライバーが
そういった底抜けの明るさを持っているんだよね。

いつも、「すげーおそくまで働いちゃった~・・・・やべ、疲れたー」とか思っても、さらに僕よりも遅く彼らたち。「あー、遅くなった・・・」と思った先には彼らがいる。「あー、ちょっと人間の生活する時間帯と狂っているなー」とか思っても、さらに僕を家に乗せていってくれる彼らの生活はもっと狂っているのかもしれない。

連日の深夜労働にグロッキーになりつつあるときも、ひょっとしたら彼らの方がグロッキーかもしれない。

それでいて、料金を払うときには「ありがとうございましたー!」と礼節を失わない深夜の紳士。
遅くまで働かざるを得なかった状況にストレスや疲れを感じている自分に改めて気づかされるこの瞬間。

ひょっとすると、タクシーの運転手を生涯の天職と思ってやっている人はそう多くはないのかもしれない。それにもかかわらず、深夜、僕がタクシーに乗る瞬間、彼らの方が活き活きとしているかも、と感じることが多い。

ひょっとしたら、そういった明るいテンションじゃないとやってられなかったり、または、そういった笑顔って、嫌な客をうまくあしらう一つの接客技術なのかもしれない。仮にそうであっても、そこまで演じきれるのは立派なプロフェッショナル。

そういった街角のプロフェッショナリズムをみて思う。格好いいじゃないか。

少なくとも、たとえ見かけだけだとしても、「底抜けに明るい」。そこからすべてが生まれるような気がするんだよね。たまにこれを見失ってしまうので、こういった日々の瞬間に取り戻すようにしています♪


*   *   *


「底抜けに明るい」といえば、先日も紹介したWFPとユニセフの共同制作映画「それでも生きる子供たちへ」の「ビルーとジョアン」


http://kodomo.gyao.jp/story1/

からストーリーを抜粋↓


ファベーラ(貧民街)に住むビルーとジョアンはまだ年端もいかない兄妹。
鉄クズや段ボールなどゴミを集めては換金し、小銭を稼いで暮らしている。



そんな生活を送っている。でも。。。

市場で空き缶を集めたり、大人を手伝ってみたり、かれらの仕事(あそび)に定時はない。あっという間に夜が明け、夜が更ける。



。。。。。。。。。。という生活でもある。


場所はブラジルのスラム街。道端に転がっていたリアカーのようなものにまだ7歳くらいの
兄は乗る。道行く人を掻き分けて歓声を上げながら!

道端の老人:「それにモーターはついているの?」

少年:「ないよ!」

別の通行人:「君のそれは何?」

少年:「これは僕のフェラーリさ!!」


そういいきる!そんなテンションでリアカーのようなポンコツの乗り物で街を駆け巡る。そして、道行く先でごみやがれきを集めていく。これも立派な仕事として、兄妹で力を合わせてやっていく。

道行く先には様々なアドベンチャーがあって、スラム街の貧困という一見すると悲壮なテーマに
なりがちな世界を、少年たちの目線からワンダーランドに仕上げてしまった監督。

「シティ・オブ・ゴッド」の監督でもある彼女は、インタビューにて、


スラム街の生活って、貧しくて、犯罪が多くて、悲惨な現実もある。でも、別にそういった所で暮らしている人々が常にみんな不幸せかというと必ずしもそうではないの。特に子供たちはその限りない想像力を活かして、がらくたをおもちゃに変え、とっても明るくいきいきと生活していることも多いの。だから、今回は貧困とか社会問題という観点から作品を撮るようにとされていたけど、こういった明るさをもって子供たちが生きているってことも伝えたかったの。




記憶が曖昧ですが(・・)、ざっくりとこんなことを言っていました。



"Bliss was it in that dawn to be alive. But to be young was very Heaven."




「生きて迎える夜明けは歓び。でも若さこそは至上の至福」みたいな訳、ワーズワース。



きっともっと恵まれた環境でも、もっと不機嫌で不幸せな子供も沢山いると思うし、そういったことを考えると、果たして恵まれているってなに?というすごーく基本的だけど、意外に正面から
考えていない問題にあたるのかな、と。


そんな「ビルーとジョアン」みたいな想像力を少しでも真似できたらな、と。そんなインスピレーションでしたー♪

(おしまい)

PS やばーい!夜が明ける!!

「Bliss was it in that dawn to be alive」ですが、「Bliss was it in that dawn to be awake」ではありません。ワーズワースの「alive」は「asleep」ってことが前提ですね(・・;)

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by sipoftip | 2008-07-02 05:00 | キャリア/コトバ/ロールモデル

アイドリング+アメトムチと裸+AKY~6月8日~




なんとなく、その辺にいるおじさん、しかも、酒を飲むとちょっとすぐに赤くなりそうな感じ・・・(??)




スピーカーの台に立つ。寝ぐせ??




ちょっとふらふら?しているかも?




ゆっくりと話し始める。



ちょっとおどけて見つつ(?)、


「スタンフォードは入るのは難しいけど、出るのはわりと簡単で、そりゃ素晴らしいゴルフ場があるもんだからね、ゴルフ三昧だったですよ~、そりゃさあ、勉強なんてしないよね。」


「帰ってきたら自分の会社がつぶれそうで、コンサルティング会社だから普段は他の会社のキャッシュフローが云々言っているのに、まったく恥ずかしい限りですよねえ、まったく。」




みたいな感じの話が続いた。



・・・・・・・・・・・・うーん、拍子抜け??


「泣く子も黙る」というイメージがあったので、はて、このままふにゃふにゃが続くのかなあ。

大変・・・・・・・・たいへん・・・・恐縮ですが(++;)、これが産業再生機構の元CEO、富山氏
のスピーチに対する第一印象でした。

少しばかり、ゆるーい、聞きやすい話が続く。

誰でも表情を少し緩めるくらいのささやかなオハナシ。


***


徐々に本題に入るのがわかる。すーっと、でも、ぐんぐんと本題に入っていった。
気づいたときには懐に入られている、という表現が適切かもしれない。

主に話されたテーマは、リーダーシップと経営について。だいたい↓こんな感じの内容だったと思う。



人の心はお金で買うのではなく、人望で買う。その方が買われた方も幸せだ。


なるほど。氏いわく、まだ日本から世界を席巻する新興企業がほとんど出ていない、
海外に出ると、20代、30代からばんばんと(中間管理職ではなく)マネージメント職に起用して鍛える。

でも、多くの日本の企業においては、年功序列等のシステムの結果として、
マネージメントのポジションにつけるのは、40代、ときには50代なんてこともある。
だから、他の国の人々と実戦経験が違う、そういった要素もあるかもしれない、という趣旨のことを言っていた。

そんな中、日本人も真のリーダーシップを目指すべき、とお話されていた。確かに、日本でも
楽天とかmixiとかも成功例とされているけど、amazonやGoogleみたいに「世界を席捲」しているわけではないよなあ、ということは思っていたし、この間、某コンサルの人とランチをしたときにもちょうど話したテーマだった。

「それではおっしゃられている真のリーダーシップってどのようなものですか?」という質問があったところ、

「例えば、あなたがアメとムチを持っていたとする。それを駆使して周りの人を動かしたりマネージするのは真のリーダーシップとはいえない。それは人の心をアメやムチで買っているのと同じ。もしあなたがそのアメとムチを手放したとき、それでもあなたがどれだけの人を惹きつけられるか。それが本当のリーダーシップだと思う。」


なるほど。かなり恋愛に似ているな、なんて思ってみたり(++;)。


***


さらにスピーチは続く。


経営って、理論では説明のつかない、すごく人間的な側面がある。

もちろん、いろいろ定量的に分析したり、そういったスキルが発展してきて、それも大切だけど、
それだけで経営ができるようならドラッカーの本なんて売れない。

株主になったから何でもできると思った人もいるみたい。村上くんとかも走だったと思う。でも、実際は何もできませんよ。機構は再生の際に株主になり、その瞬間、会社の持ち主になる。でも、実際、多くの企業において、誰が株主かなんて、現場で働いている人にとってははっきりいってどうでもいい場合が多いんですね。自分が首になるかどうか、もっといい働き口があるかどうか、給料はどうなるのか、そういったことの方がよっぽど心配。

化粧品会社のときもそう。高いお金を出してその会社の株を買ったとして、その価値は何ですか?そう、化粧品会社の事業価値は現場で働く7000人の美容部員のお姉さんたち。現に、その会社の価値は現場にいる7000人のお姉さんたちに大きく依存していたと思うし、僕もそれを信じて疑わなかった。

会社を買った瞬間に「株主だぞ」ってふんぞりかえった瞬間に回りは離れていく。

僕は考えた。株主になったこと自体は、7000人のお姉さんたちも注目しているはず。僕の一挙手一投足も耳をだんぼのようにして聞いているに違いない、と。その日から、僕はたとえ記者一人と話すときでも、その後ろには7000人のお姉さんが聞いていると思って、一言一言をしゃべっていた。

僕にはもちろん20代前半のお姉さんたちが何を考えているかなんて、わからない。でも、僕なりに、彼女たちだったらどう考え、僕らの行動がどうやって彼女たちの目に映るだろうかということは真剣に考えた。そして、いかに事業価値に中核をなす彼女たちに訴えるか、そういうことを念頭において再生業務の指揮をとっていたんです。

数多くの会社の再建に携わっていくなかでは、いろいろな人を相手にする場面に遭遇する。そんななか、会社を経営することで、さまざまな人の人生に影響を与えることになってきたし、それだからこそ、感謝されると嬉しい。これは経営の醍醐味の一つだと思う。少なくとも僕はそう思って経営に携わってきた。もちろん、僕だって、さまざまなドロドロの場面に遭遇したり、修羅場を潜り抜けてきたから、別にまったくの綺麗ごとを言うつもりはない。だけど、そういうものも含めて、僕の今までのマネジメントのキャリアを振り返って、何が残るのかな、と振り返ると結局、そういうことなんだと思う。

もちろん、ちょっと起業して、ちょっと成功して、田園調布にフェラーリを買うのもいいかもしれない。ITバブルのときにそういったちょっとした起業家は多かった。でも、僕がマネジメントに携わっていくなかでは、そういうことよりももっと大切なことがあったし、君たちもそうであってほしいと思う。



わお。惹き込まれました。1週間ほど経ち、記憶が完全に残っているうわけではないけど、話の内容は、上記の筋だったと思います。

ちなみに、マネジメントのエリートになっても最終的に相手にするのはありとあらゆる人間であって、エリートな世界に生きるわけではない、これは法律家になる人に向けて司法研修所が放つメッセージにも似ているかも。別に司法試験に受かったからエリート気取りするんじゃなくて、一度法律家として社会に戻れば、そこにはさまざまな人と出会う場面がある、そういった広い世界、ある意味でどろどろした世界で活躍できるような資質を持ってほしい、研修所の教官たちのメッセージの中にはそんなものが様々な場面で見え隠れしていました。ちょっと似ているなあ。

渉外事務所に入る人には、自分は頭のいいビジネスマンとかとだけ仕事をするような環境がよくて、あまり一般の人と仕事するのはいや、という発想をする人が少なくないような印象をたまーに持ちます。僕自身は特にそのような考えはなく、むしろ、頭のいいビジネスマンにも耐えうるサービスを提供できるくらいの能力はほしいものの、世界が狭まるのはいやだなあ、と考えるタイプ(・・)

***************

PS

経営の他、こんな話も↓

最近、よく「YK」というコトバを耳にする。

でも、アメリカとかに行くと、みんなKYだらけ。例えば、すっごく偉い人の前で、「えー!それ!?」っていう質問とかしちゃうやつもいる。しかも、そんな奴でも「お前、良く聞いた!」なんて仲間からほめられたりする、そんな文化。

そもそもKYであることに対して、臆病すぎないか?
本当にとるべきリスクはとるべきだし、そこにはみんながどう考えているかというよりも重要な問題がある。そこで、提唱したい。「あえて空気を読まない」ことを。これを「AKY」という、みんな留学されてもAKYになって、積極的になってください


以上がスピーチの一コマ。

確かに、最近「KY」というコトバがはやっているけど、これを英語にすると、どうも訳語は思いつかない。氏によれば、その概念に対応する訳語はないという。

「KY」について。「空気を読む」とは、「みんなの中で掲載された暗黙の価値観を前提して、いずれの方向に進むか、いずれの方向の意見が望ましいとみんなが考えているか、を理解したうえで、その期待に応えること」と言い換えることができるかもしれない。

でも、「空気を読む」って、みんなが暗黙の価値観を共有していることを前提としている。でも、そうじゃない。みんな違うはず。特に国際舞台ではそうだろう。さらに、別に国際舞台に限らなくても、みんな持っている前提は違う。だから、KY論とは、各人の前提は必ずしも同じではない、というテーマをすっとばした乱暴な議論にすら聞こえてくるのだ。

さらにいうと、「空気を読むこと」によって、ときとして、自分の最終的な意思判断とかPrincipleを犠牲にすることもあるように思える。

もちろん、みんなの思惑を理解することはすごく重要で、その意味で「空気を読む」ことはすごく大切と思う。でも、「空気を読み切った」上で、なお自分の価値観や希望に照らして妥協ができないか場合もあるはず。この場合、「あえて空気を読まない」ことも必要かもしれない。

あえて欲を言えば、AKYよりも、空気を読みつつも、みんなの思惑と違う方向に結論を誘導できる方がスマートと僕は思う。だってみんな的に「空気を読めている」と思わせつつ、自分の思うところに誘導してしまうんだから。これが最適解だろう、でも実現するのはときとして、難しい、だからAKYであることも必要かも。

最近、KYというコトバが濫用されているように思われるのですが、氏の指摘を含め、思うところがありました。


***

PSのPS

特に目からウロコだったのが、最初のアイドリング。最初におどけた?話題で筋肉の緊張を緩ませつつ、ゆっくりと、しっかりとメッセージを伝える。話す内容が一緒でも、ずいぶんと受けての印象は違うはず。一つの完成されたスタイルかもですが、すごくいいサンプルが手に入った
気分です♪

(おしまい)

PS その後、氏に直接話しにいった。氏も司法試験は通っているので、そのあたりで(恐縮ですが)少し共通する面もあり、そのあたりの話題を振ってみた。「渉外弁護士かー、経営の方がぜんぜん面白いと思うぜ。」とのこと。あちゃ(++;)
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by sipoftip | 2008-06-08 17:34 | キャリア/コトバ/ロールモデル

その瞬間~ザトウクジラ(Humpback Whale)+憧れてステップを踏む+知らない自分~5月30日








●Humpback Whale~ザトウクジラ~


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「その瞬間ってどんなだろう?」


よく、お気に入りの緑の迷彩色のラグに寝そべって、横目で上にそびえ立つタビビトノキを見上げて、このポスターをぼんやりと眺めながらぼーっと思いをめぐらせます。ジャンプしているときザトウクジラは何を考えているんだろう、きっと何も考えていないのかな、でも、どんな感じなんだろう、あんなに大きな体をあんなにダイナミックにジャンプさせるのは、なんてことをぼんやりとね。特に答えを求めるわけでもなくぼーっと。休日の昼下がりに街の外れにあるカフェでかかってそうなBOSSA-JAZZなんかを聞きながら。

こうしてブログを書いている間にも、自分とはまったく違った世界でザトウクジラ(Humpback Whale)が写真みたいに飛び跳ねているのだろうなあ、なんて小学生みたいなことを思います。

なんか、僕の日々の生活とあまりにもかけ離れた世界の出来事なので、思わずため息がでてしまう。これは疲れやふがいなさから出るため息とは違う。

僕の日常とクジラが絵の中でジャンプしている世界があまりにも違いすぎていて、でも、そのまったく異質な二つの世界があることは事実。

こう書いている間も世界のどこかでザトウクジラはジャンプしていに違いない。

そんな風に自分の日常からは思いもつかない世界がこの世の中には存在する、ある意味では誰しもが当然にわかっているけど特に気にもとめないことが、この写真を見ると、改めて認識される、そんな感じです。そういったとき、東京の目黒の家で寝そべっている僕と世界のどこかでジャンプしているクジラというまったく異なる二つの世界が目の前に現われて、でも、それはどう考えても交じり合わない。だけど、ふとため息をすることで、その二つの世界がなんとなくつながる気がするみたいな。おそらく、力を抜いてため息をつくことで、自分の前に現われたまったく異質の世界が同時に理解可能なものとして、自分のカラダや細胞に認識される。ため息はそのための儀式みたいなもの。そんなため息をよくついています。

普段の生活における、ちょーーっとした非日常。

さらにいうと、今いる世界だけが世界じゃないんだよなっていうことを、目の前にその姿で見せてくれる。

クジラくん、とっても、とってもいい感じなのです。


↓ざっくり探してみました。クジラのジャンプ。ご興味があれば。

ザトウクジラ①

ザトウクジラ②

ザトウクジラ③




●憧れてステップを踏む



「その瞬間ってどんなだろう?」




いろいろな場面でそう思うことが多い。いや、思い焦がれることが多いというべきか。あるいは、思いをめぐらすことが多いといった方がいいかもしれない。

今までの生き方、というと大げさだけど、いろいろな選択をするにあたって、すごく重要な要素になっていたのが、「その瞬間ってどんなだろう?」という好奇心というかワクワク感なんだと思う。おそらく好奇心は小さいころから人一倍強かったみたい。そういう子供は結構多い。でも、多くの大人は好奇心を卒業してしまうという。でも、僕の場合は精神的にあまり成長していないので(++;)、いまだに好奇心は人一倍強いんじゃないかな、と思う。そして、今でもこれは自分にとって、最も重要なことの一つなんだと思うわけです。

***

自分にとって大切なものは何か?


やはりキャリアを考えるに際して、この素朴な問いかけはすごく大切なんじゃないかな、とつくづく思う。この部分をおろそかにしてしまうと、きっと「自分の人生」の少なくとも半分も生きることはできないのでは?と思う。

でも、自分の中にあるはずの答えを聞き出すのは結構難しい。まわりがうるさくて、気になって、
静かに自分の奥底にあるものに耳を傾ける余裕がないことも多いから。本当は「余裕」という点では「まわり」よりも優先されるべきなんだろうけど、それがなかなか難しい。めまぐるしい日常の中では、まず物理的に仕事や勉強がたくさんあって、情報はネットでも現実の世界でも溢れかえっていて、人間関係も、それぞれの人の思惑も交錯して、それらが入り乱れている。

そして、目の前に現われた出来事を、定型的に処理し、ときに非定形的に処理をすることに多くの時間が費やされる。そんな中で、自分にとって大切なものはなんだろう?という素朴な疑問に対して自分の中に埋もれている答えを見つけ出すのって、ときとして、とても難しいことなんじゃないのかなあ、と思うわけです。まわりが静かにならないと心の声が聞こえにくいかもしれない、みたいな。

しかも、見つかったと思って、実は違いましたーなんてこともままにある。

さらに、頭で考えている際には当然の前提としてた事実関係-それはときに大切な人だったり
するかもしれないし、その人がそのときに置かれた状況かもしれない-それが存在することが前提としてそのうえで自分にとって大切なものって何だろう、みたいに考えちゃったりすることもある。そんな前提をすっとばした場合、前提が消えた瞬間に、それ以前には「大切だと思っていたもの」よりも大切なものがありました、みたいな事態にもなりかねない。

自分にとって大切なものは何だろう、それは、それだけちゃんと応えることが難しい質問なんだと思う。

ちなみに、これはスタンフォードMBAの名物エッセイらしい。

(参考記事ね↓)
http://stanfordmba-lawyer.blogspot.com/2008/05/stanford-mba-8-1.html
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-94.html)。


***

さて、


「その瞬間ってどんなだろう?」
に話を戻します。

いままで、スポーツでもすごくうまい人を見ると、「彼はそのプレーをしている瞬間、どんなことを思っているのだろう?」とすごく興味があり、また自分もそういった状態になりたいなあ、と憧れ、そしてよく練習をした。音楽もそう。

学生時代の勉強とかも、「それがわかったらどんなだろう?」ということが常に頭にあって、わかる人が感じている瞬間を感じたくて、その先の世界を見てみたくて、そんなモチベーションがもてる科目だけよく勉強していたような気がするな、と。その意味で、数学が一番好きだった。普段経験しない世界に行くことができたと感じることができたから。

弁護士になるのも、「法律がわかるってどんなだろ?」「実際に弁護士として働くってどんなだろ?」みたいな好奇心が強く働いたことも勉強が続いた一要因かな。

新しい世界、というか「新しい世界にいる自分がどうやって世界を見ているか」、これを求めていくことが、自分のキャリアにとって、すごくすごく大切なことなんじゃないかな、なんて思っています。今までもそうやってきたし、これからもそうしていきたいなあ、と。きっと、新しいと思う世界に行ったら、また次の世界がみたくなって、そして、そこに行ったらまた次が見たくなって。きっと、そうやってステップを踏んでいければな、と切に思います。


●知らない自分



この間、某大手コンサルの人とランチをした。

「もう自分が2年後にどのくらい成長しているかわからない。次に自分がどうなっているかわからない。そういう意味でまったく予測がつかないんです、だからすごくワクワクして面白い。」

彼は某事業会社から社費でMBAにいった後、退職して現在の職場にいるとのこと。
わりと良く聞くパターンではあるけど、彼が屈託もなく、ランチの席で満面の笑みでそんなことを言うので、ちょっぴり羨ましく、そして、激しく同意していた自分がいた

つい惰性でも流れてしまいそうな日常にいる中で、こうやってさまざまな場所に実は刺激があふれてたりする。

さてさて、次の知らない自分はどんなだろうか?ちょっぴり、いや、とってもワクワクします。

(つづく(たぶん))
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by sipoftip | 2008-05-30 10:34 | キャリア/コトバ/ロールモデル