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「Thank you for your cooperation」+「egalitarian」+「息」-4月15日-



わがオフィスメイトのOZは、仕事がはけて結構暇らしい。

昨日も、優に100キロを超えるカラダをもたげながら

「Nobody loves me any more...」

なんてセリフを、その体に似つかわしくない高い声で言っていた。まったく母性本能をくすぐりそうなタイプだなw


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そんな彼、今日は、みんなから仕事後にもらうコメントに
不満とのことだった。



OZ:「なんでみんな「Thank you for your cooperation」って書くんだよ~~!」


た:「へ?いいジャン。」


OZ:いやー、別のオレはいやでやってるわけっじゃないんだぜー。と。




こういうことらしい。


Cooperationには、自分が本来望まないものの、それにも
かかわらず協力したよ、というニュアンスが出ることがあるみたい。



だから、仕事をした弁護士から


「Thank you for your cooperation!」


といわれると、本当はちょっとめんどいと思ったけど、やってくれてサンキュね!というニュアンスが出るみたい。たとえば、警察の職務質問とかでとめられて、それに協力した
場合には、漏れなく「Thank you for your cooperation」がついてくるみたいだそうな。


だから、仕事とかをやったオフィスメイトに対しては、


「Thank you for your help!」


がいい感じらしい。なるほどー!

helpってカジュアルじゃない?って聞いたら、OZの故郷のオフィスでは、パートナーと仕事をやっても、「Thank you for your help!」というのが通例みたい。Helpはもっと自分の意思で(willingに)やったこというニュアンスがあり、cooperationみたいに「本当は自分の望むところではないかもだけど・・・」みたいなニュアンスはなくなるみたい。


ちなみに、もうちょっとフォーマルになると、

「Thank you for your assistance!」


という方がいいみたい。もうちょっとカチッと、ちょっとスタイリッシュ?に聞こえるみたい。
クライアントとか外部の人にいうときには、assistanceを使うんだとか。



でも、オフィスでパートナーに「Hey Dave, thank you for your help!」とメールで
書けちゃうなんてカジュアルだねーといったところ、



「僕らはもうちょっとEgalitarianかもねー」



とのこと。ウィキによれば、

"Egalitarianism is a political doctrine that holds that all people should be treated as equals from birth. Generally it applies to being held equal under the law and society at large. In actual practice, one may be considered an egalitarian in most  areas listed above, even if not subscribing to equality in every possible area of  individual difference. For example, one might support equal rights in race matters  but not in gender issues, or vice versa."



よーするに、平等主義的な発想ということか。確かに、OZの目には日本の社会は階層的(ヒエラルキー)に写るかもしれないな。


脱線するけど、上記の「should」というのが実は隠れたポイント


これが「are」ではない。つまり、現実にみな平等というわけではない。当たり前のこと。でも、そのコトバの重みを感じるには、頭だけではだめ。

「平等」のコンセプトを見よう。ある意味、昔からみんな平等である、というテーゼの元に育っていると、みんな平等である、という風に勘違いしてしまいがち。

特に、自分がある程度優位に立った立場からみると、みんな平等に見えることも多いだろう。

でも、実は現実はもっともっとどろどろしている。人間なんてまったく平等にできていない。
だから、すごく苦労もするし、世の中どうしようもないこともある。

だけど、それを踏まえて、なお、みんな平等であるべき、という意味で「should」を使う。
ここには、不平等の中から生まれてくるいろいろな叫びが凝縮されている、すごくすごく思いコトバなのだと、そう気づいたのは、高校生ぐらいだったっけか。ある意味衝撃的だった。





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バンゴハン。今日は、トムと一緒に食べた。

漢字をさかんに勉強しているらしい。



「目」はたしかに、eyeに似てるなー、うんうん。

「見る」は、目に足が生えた感じか、なるほどー。

「覚える」は、見るの派生で頭に何かついたんだね、わかるわかる・・・・




という感じで覚えていくらしい。何かとっても新鮮だ。



「協力」とは、「力」が三つに「十」がつくんだね。わお!


とのこと。なるほどーー!そういう見方、あまりしなかったなあ。



そのときふと思ったのが、




「息」は、自分の心



そっか、ため息をついているのも自分の心だし、そうでない場合も、心を映し出しているのな?




なーんて思ってみたり。ちょっと身近なところに違った視点をくれる彼ら。結構、貴重な存在です。


彼らの異文化体験を共有することで、日本にいながら、擬似異文化体験をしているようだ。


旅行でいろいろな文化をみるのが好きな僕にとって、こんな刺激的な日常はないのかもしれない。

by sipoftip | 2008-04-16 04:18 | 雑感


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