(前回のつづき)
上野公園のランタンのもとでは、桜の並びにしたがって、みんな茣蓙やビニールマットを引いて、無邪気に、欲望のままに?酒を酌み交わし、くだをまいていた。雑踏、っという表現が正しいのかも。みんな何かしあわせそうだ。
ふと道を外れ、石階段を降りるとそこは不忍池。
池はたっぷりと水をたたえていたので、そのせいか、上野公園の雑踏にあったちょっとした暑苦しさ、うるささは無い。
雑音はあるけど、必要以上の音は池の水が吸収している感じだ。
おっ、屋台、ということで、おでんや発見↓
ツレの外国人に訪ねられ、おでんのねたを説明する。
あれはたまごで、あれはだいこんで、あれはがんもー、
うーん、がんもってのは豆腐のようなものだがそうじゃあない。
野菜とかも入っているよ。がんもが美味しいおでん屋は
まさに一流といえる。
とか説明とも付かない説明をすると、
ふむふむ、と無邪気に納得してしまう。
そう、ここは日本。でも、こうして池のそばの屋台で、おでんのねたとかを説明しながら、桜を見ていると、どことなく東南アジアのパックパッカーのつどう屋台に紛れ込んだのか、という
錯覚におちいる。
からしはつけるべきか?
んー、やはり通になるとつけるねー。
またまた適当なお返事w
はんぺんは何でできているのか?
さかなだよー。何の魚だっけなー、いわしじゃないことは確かだ。いわしの団子は「ツミレ」という。でも僕ならきんちゃくをおすすめする。このとろけた感じがたまらないからだ。
さらに、適当な説明(++;)
おっと忘れていた。おでんといえば、大根だ。だしを吸ってくたくたになった大根は、日本でもっとも家庭的な料理の一つだ。しかも、ビールとも焼酎ともあうすぐれもの。ただし、あまりパンチがきいていないので、肉食の君が好きかはわからない。
ともっとぐだぐだな説明をしたところ、肉食の彼が、
そうか。じゃあ、日本のわびをたしなむのはちょっと後にしよう。僕はまずチキンを食べるよ。
そっかおっけい。じゃあ、からしをつけるのを忘れずに。これがあるとないとじゃ、全く別物だからね。
まいと、了解したぜ
こんなことを言いながら、おでんを注文し、屋台に座る。横にはまだ咲いていないハスが池からたくさん顔をのぞかせる。
あの池からつきだしている植物、あれは「ハス」とってもブディズムのなかでは重要な植物なのだ。お釈迦様の誕生とも由来していた気がする。ちなみに、僕のいったキンダーガーデンも仏教だったぜ。
なんて、たしかそうだったよなー、言ってしまえ、という思い切りで、さまざまなニッポンを説明してみる。
***
まわりは夜。ランタンと屋台の横にある電球に照らされて、
遠くには上野のネオンが見える↓
遠くには神社も↓
そうか。こんな上野もあったのか。
会話をしていて、ふと感じること。
自分が当たり前だと思っている場所が、突然旅行先になる。
これが職場の外国人を日本に案内する隠れた醍醐味の一つだっ。
上野公園や不忍池は小さい頃からよく来ていたし、ここで育ったともいえる(いや、それは言い過ぎか・・・w)。
何回も散歩に来たし、遊びに来たし、ジョギングにも来た。
小学校に入る前のマラソン、小学校のときの上野水族館への遠足からはじまって、司法試験中のジョギングでもここにはよくきていた。
だけど、また、一つあたしい上野を見つけた。
当たり前の風景って、視点が固定されているからつまらない。
その気分を変えるために、風景を変えることもできる。でも
風景を変えなくても、視点を変えてみることでも気分は変わる。
「いつも」の前提をちょっと変えることで、そこが別世界になる。
実はこれ、友人関係、家族関係、恋愛関係などなどの人間関係にも、そっくりそのまま当てはまると思う。
そんなテキトーな日本文化を教えながら屋台で夜は更けていったのでしたw