お互いにすごく好きだけど、本質的に求めているものが違う~Leaving Microsoft to Change the World①~



今読んでいる本(の一つ)です↓。

Leaving Microsoft to Change the World:
An Entreprenuer's Odyssey to Educate the Worlds's Children

(邦題:マイクロソフトでは出会えなかった天職~僕はこうして社会的起業家になった~)


●あらすじ

著者(ジョン)は、金融機関(コンチネンタル銀行)に勤めた後に、ケロッグ(ノースウェスタン大学のMBA。名門です!)でMBAをとり、その後マイクロソフトで海外事業部の駐在(Expat)なエグゼクティブとして国際ビジネスを舞台に活躍していた(元)エリートです。でも、休暇中で見たネパールの子供達の教育の状況、特に教育に必要な本と識字率の低さに衝撃を憶え、マイクロソフトを飛び出し、NPO(「ルーム・トゥー・リード」)を立ち上げるという実話です。

おそらく子供用に書かれたのかもしれない。
日本語も平易だし、きっと英語もそうだと思います。
でも、自分にとって極めて重要なテーマが色々書かれています。
面白すぎます。今日も、自宅から職場まで二駅なのに、本を読んでて電車を乗り過ごしてしまった(**;)

ちなみに、「勝負に勝つチカラ」というのも、この本を読んでいて、がらっと勝負のフィールドを変えた著者(ジョン)のことが頭の片隅にあってしたエントリでした。


●恋人と自分

著者は、マイクロソフト時代、オーストラリアに駐在しつつ、マイクロソフトの中国や東アジアへの事業展開に携わるエグゼクティブとして、(マイクロソフトの費用で)高級マンションに住み、専属運転手が毎日送り迎えをし、高給をもらう、いわばセレブ?的な生活を送っていました。

また、彼には、美人(?と思われる)恋人のソフィーがいました。ソフィーも、広告代理店で働くばりばりのキャリアウーマンで、彼曰く「いままでのガールフレンドから自分は冷たいと
言われることが多かった」と言われることが多かったのに、今回のソフィーについては、自分がとてもオープンでいられることができたし、とても好きだったとのことです。ソフィーが中国部門の担当になり、オーストラリアに住むことになったから、著者も一緒にオーストラリアへの部署に転勤願いを出して、上記海外事業部のポジションに移ったとのこと。二人でいろいろな事を一緒にやったし、とても素敵なカップルだったと。お互いとても好きだったと。

だけど、お互い求めているものが違ったようです。

ソフィーは、休暇はリゾートのフォーシーズンズホテルでゆっくりと優雅に楽しむことが好きだったそうです。もともとアメリカ中部の出身で今の地位にたどり着くまでに必死に勉強して、働いて、やっと今の地位を手に入れており、たっぷり給料をもらって、専属運転手や家政婦をつかって楽しく暮らし、ロンドン、パリといった大都会での豪華な暮らしに憧れて止まない人だったようです。

これに対して、著者は、ネパールのヒマラヤでトレッキングをすることからも分かるように、途上国などをバックパックで回ったり、アドベンチャーが大好きだということです。

そして、ソフィーは、著者が情熱を感じるバックパックとかそういったものに何らの興味を示さない。毎日エグゼクティブとしてビジネスに忙殺される日々においては、そんな違いも表立たなかったようですが、いざ彼が仕事を辞めようとしたときに、その違いがゆっくりと、だけど確実に二人の仲を裂いていきます。

二人の溝が徐々に深まるシーン(60ページ)は印象的でした(「 」は同ページからの引用)。



ネパールの旅行から帰ってきて、やはりマイクロソフトを辞めて、ネパールの子供達の教育に役立つような選択をしよう!、というワクワクとして帰ってきた場面。

「外国人専用アパートの広い部屋にはいると、ソフィが全身で僕を抱きしめてキスをした。青い瞳が「お帰りなさい!」と輝いている。」


そんなソフィーが自慢の手料理を著者のために作って、著者の好きなワインを空け、帰宅を喜んでいるのをみて、著者は、そんなソフィにマイクロソフトを辞めてNPOをやる、ということを述べなければならないことを考え、


「けれど、二人待っているディナーの会話を思うと胃が張り裂けそうだった」


と書いています。ソフィは、著者のことを大好きだった。そんなソフィは、

「ジョン、あなたは好きなだけネパールに行っていいのよ。あなたが帰ってくるときはちゃんと家でまっているから。でも、わかるでしょう。私はトレッキングはしたくないし、寝袋で寝ることが素晴らしいバカンスだとも、特別にロマンチックだとも思わないの。だから、もしネパールにいくのなら、タイのビーチに行くぶんの休暇も残しておいてね。」


というコトバをいいます。ソフィがとても著者を大好きなことがよく伝わります。二人の求めているものが本質的に違うことがわかるだけに、そのソフィの思いもとても切ないものにおもえます。


「僕が帰ってきてうれしいと、ソフィがこの夜三回目のせりふをくり返し、僕はわれに帰った。熱々のエンチラーダをよそってもらいながら、おそるおそる例の話題を切り出した」
・・・


そう、著者は、マイクロソフトを辞めようということをソフィに話します。

「僕は、地位もキャリアも、もう自分にとってたいしたことではないと話した。何かが僕の中で変わったんだ、その思いに忠実でありたいんだ」

「僕たちは静かなディナーをつづけた」





すごく印象的な場面でした。お互いに本当に好きなのに、それぞれの人生に求めるものが本質的に違っていると、こういう結果にもなるのだと。

そういえば、噂だとタイガーウッズが彼女と別れたのもこんな原因だったとか・・・


すごく好きな人がいると、その人も重要な人生の一部になるけれども、その一方で自分が人生で求めるものは譲れない。

そこに本質的な差異があるときに、すべてをワークさせることはできないのだろうか、すごく難しいけど、何とかならないかとの思いを禁じることはできません。




ある友人の結婚式に行ったとき、かなり印象に残った最後の新郎のコトバ

「僕は、この式をご覧頂いてもわかるとおり、自分が大好きな人間です。でも、自分より好きな人を見つけました。一緒に生きていきたいと思います。」


このコトバはちょっと感動しました。でも、さて、このコトバ、今まで述べたテーマとすごく絡み合うと思うのです。でも、そこまで好きになったのに、本質的に人生に求めているものが違うと言うことが分かってしまった場合、ヒトはどういった行動をとるのだろうかと。何とも・・・うまくまとまらないまま、(その1)のエントリを終わります。

((その2)につづく)
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by sipoftip | 2008-01-11 03:40 |


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