ラップのフリースタイルと対抗言論~8mile~




相変わらず時代にすごーく遅れていますが、エミネムの自伝的映画「8mile」を見ました。個人的には、(世間より5年位遅れながらの)大ヒットw

しばらく(少なくともメンタル面は)ヒップホップand/orラップ的な状態を保ちたいと思います♪エミネムやそもそもラップ自体にそこまで惹かれたことはなかったけれど、この映画を機にはまりそう。おそらく、歌詞がずいぶんと聞き取れるようになったからかも(うん、そうだと信じよう。)

「アイドル映画だと思ったら社会派の自叙伝だった」という評価が一般的であるようで、随分と趣を異にしますが、若干感じたことを備忘代わりに。


●MCバトルはある意味で表現の自由市場かも

まず驚いたのが、MCバトルで観客はほとんど黒人なのに、エミネムがフリースタイルのラップを決めると「WOW!」とかいって、超盛り上がるところ。音楽は人種や国境を超えるというけれど、相手を罵倒するようなバトルでニガーとかsuper offensiveなコトバばかり使っている場でも、スキルが高いとみんなアガる。すごいいいな、と思いました。

翻って考えてみると、普段生活していると、いいと感じたものをいいという局面が少ないような気がします。大人だって上司のコトバを気にしたり、子供だって、いじめとかもあるから、感性が周囲に遠慮して萎縮しちゃう場面が多いんじゃないかと思います(*1)。

「何を言うか」ということがピュアに評価されるのではなく、「誰が何を言うか」という総合的な判断がついつい頭をもたげることも多いんじゃないかなと。

そうやって考えると、白人のエミネムがラップのバトルで黒人を罵倒して、スキルを華麗にみせつけちゃうと、みんなそれに歓声をあげるってのは、とても文化的にレベルが高いなーと思います。そうやって、まったくバイアスを入れずに感性に身をゆだねるってなかなか日常生活では難しいけれど、ちょっと意識してみようかと。

(*1)なお、弁護士の場合、パートナーであってもアソシエイトであっても、法律論では対等の土俵で闘い、1年目でもパートナーの気づかない視点や切り口を提供すれば評価されます。そういった議論の場では、純粋に発言の質だけで評価される世界であり、ある意味で上記のラップのバトルをする世界に近いかもしれません。但し、アウトプットの評価は「スジが通っているか」「合理的か」というような指標で判断され、「感性」では判断されません(当たり前ですけど)。


●フリースタイルにおける対抗言論(*2)

「対抗言論の理論」とは、例えば、ある発言によってある人の名誉が毀損されかけたとしても、
それが反論可能であれば、その発言はよしとしましょう(e.g.名誉毀損にはならないとする、など)という考え方です。

もともと、アートや学術の分野において、表現をどんどん認めてお互いを刺激し合った方
がより良いものができていく、そうすると良い社会になるんじゃないか!という考えに基づいて
認められる考え方です。

通常は、これって「反論可能な言論活動」に限って適用されると考えられていて、例えば、反論不可能なコトバ(お前はイエローだ、とか、ニガーだとか。)は反論の余地がないoffensiveなコトバなので、対抗言論によって違法性がなくなったりする場面は限られているとされています。これを「差別的な言論」なんていったりもします。

そうすると、ふつーは相手を罵倒するラップのバトルの場合、名誉毀損がじゃんじゃん成立しちゃいそうです(少なくとも日本法においては)。だけど、映画を見る限り、どんなにオフェンシブな
コトバで侮辱しても、それに対して反論し、それが一瞬のバトルという形をとって展開されている。そういうことになると、そもそもそういったラップのバトルという場に法律が踏み込んで「それは違法だ!」という必要がないわけで、侮辱的・差別的な言論には対抗言論は適用されない、という教科書的な理解が必ずしも通用しないかもなー、と感じました。


(*2)この項は憲法学で学ぶ発想をベースにしており、オオスジは間違っていないはずですが、ざっとネットで検索しても良いサイトが見つからなかったので、学術的に正確性を期しているわけではないです、念のため。

(8mileは続く)
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by sipoftip | 2007-12-11 04:44 | 映画


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