「メリークリスマス」/「ハッピーホリディ」



12月に入りました。世間はクリスマス商戦でしょうか。
オフィスのエントランスにも馬鹿でかいクリスマスツリーが飾られていますが、個人的にはイルミネーションより紅葉の方が好きなんだけどな。

「キリスト教じゃないのにクリスマスを祝うのはちがくね?」

という若干寒い(?)ことを言うつもりはありません。

①恋人   →プレゼントをもらうチャンス
②友人   →飲み会・パーティーの口実
③企業   →物が売れる
④レストラン→もうかる


とすれば、WIN-WINというよりむしろ、「WIN-WIN-WIN-WIN」の関係にあり、損をするのは、

(1)「プレゼントを一方的にあげる立場にある人」
(2)「あげるプレゼントともらうプレゼントに差がある人」

くらいでしょうか。但し、「実質的に対価関係がある人」は上記「損をする人」には該当しません。
つまり、例えば、その辺のおじさんがキャバ嬢さんにプレゼントをあげていても、あげている人は、精神的(時には肉体的??よく分かりません。)なリターンを得ている人は「損をしている」とはいえません。

「損をする人」は、「義理的・義務的にプレゼントをあげなきゃならない人であり、かつ、相応の
リターン(精神的なものを含む。)を得ていない人」くらいでしょうか。

●クリスマスを祝うコトバとポリティカルコレクトネス

そういうわけで、大多数の人はハッピーになるはずのクリスマス。でも、日本人のうち「メリークリスマス!!」といって祝う人は何人いるのでしょうか?

「メリークリスマス」は、「キリスト」を祝福するというニュアンスを含むため、若干の宗教色が含まれるとして、もっと中立的な表現、すなわち、「ハッピーホリデイ」といって祝うことが最近の流れ(流行?)と言っていいと思います。

すごく前置きがながくなりましたが、これはいわゆる「ポリティカルコレクトネス」を受けたものとされています。

ウィキペディアによれば、

「ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness、PC)とは、言葉の表現や用語に人種・民族・宗教・性差別などの偏見が含まれていないことを指す。特に多民族国家であるアメリカにおいては差別・偏見を取り除くという政治的(Political)な観点から見て正しい(Correct)という意味で使われるようになった用語である。またこれらの偏った用語を追放し中立的な表現を使用しようという運動のみでなく差別是正全体を指す事もある。」


とされ、クリスマスについても、

「最近では多様な宗教に配慮をしようという動きもある。クリスマスはキリスト教の行事であるため、公的な場所ではほかの宗教のことも考慮して「メリー・クリスマス」と言わずに「ハッピー・ホリデーズ」(他の宗教の人たちも年末年始は休日になるので)と言い換えたほうがよいとされる。2004年の年末の記者会見ではブッシュ合衆国大統領も「メリー・クリスマス」ではなく「ハッピー・ホリデーズ」と述べた。」


などと引用されているところです。

街角では「Merry Christmas!」なんて看板はよく見かけ、また、「メリークリスマス」という発言が結構あったと思います(少なくとも去年までは)。

別に僕自身、「メリークリスマス」という挨拶自体を否定するつもりもないし、それでもいいと思う。ただ、「メリークリスマス」がポリティカルコレクトネスの観点から問題になっているということを認識しているかどうかは重要なんじゃないかな(ある意味文化的なリテラシーという問題なのかもしれませんが。)

「日本人だって「メリークリスマス!」という挨拶を耳にして育ってきた人が多いから、やはりその表現を使おう」とか、「言いなれているし、宗教的に信心深い非キリスト教徒が回りにいないからいいや」とか、そういった整理をした上で「メリークリスマス」というのと、何も考えずに「メリークリスマス」というのでは、やはり違うと思うのです。

●日本人は無宗教だからいいんでない?という素朴な疑問

さて、ポリティカルコレクトネスが出てきた背景として、(たとえそれが慣用的な)一定の表現がある特定のグループなどの思想・文化を前提とした表現であり、ときにそれが別のグループにとって差別的、偏見的なものになる、という面が大きいと思います。

日本でも、50%前後は女性なので(当然ですが(・・;))、他の欧米と比べても、性差別には、それなりに敏感なのでしょう。男性・女性のみを前提にした表現(例えば、看護婦・専業主婦)については、それなりに定着してきてるように思われます。

では、人種や宗教についてはどうでしょう?周りの人を見ると、定着度は(少なくとも相対的に)低いと感じます。実害がない(=ポリティカルにコレクトな言葉じゃなくても気にする人がいない(or少ない))からいいじゃん、という疑問も確かにあります。

でも、果たして本当にそうでしょうか。差別って、だいたい少数派に属するからグループへの多数はの押し付けという形で現れます。そうだったら、「特に実害がないから気にしなくてもいいんじゃん」というのはまさに多数派の論理に過ぎないともいえます。「差別」という概念は、そういった多数派の「いいんじゃん、体勢に影響ないから」みたいな怠惰・無知・無関心に対して少数派が声をあげるときの武器・ロジック・正当化根拠として機能するという点にその存在意義があるかとも思います。そうだったら、「ポリティカルにコレクトでない言葉」を気にするグループが「皆無」でない限り、(一応の)ケアをすべきじゃないかと。そういった考え方の方がスジが通っている気がする。

確かに、アメリカだと既に人種のるつぼ、人種のサラダボールなので、人種も宗教も多様であり、「ポリティカルにコレクトでない言葉」を使うことが(少なくとも日本以上には)論争を呼び、
言葉遣いに気を配らない場合のリスクが高いといえます(訴訟社会だし)。それだからこそ、(比較的)みんなのメンタリティ・リテラシーが高い(?)ともいえるかもしれない。

これに対して、「日本はまだそこまで問題が顕在化するほど人種のるつぼでないし」という考え方だと現在日本にいる「典型的な日本人」というグループ以外に属する人(外国人、宗教に信心深い人)たちとの関係で問題だと思う。これは上記のとおり。ただ、それ以上に「日本って閉鎖的だよね」「鎖国だよね」なんてイメージが付いてしまい(というか、ますますひどくなり)、色々な意味ですごーくマイナスだと思うのです。(もういないけど)「美しい国」とか言っている前に色々な文化が共生できる国、になるべきでは?それが美しいと思いますが(><)

こういうことは、ずっと日本人の中にいると気づきにくいと思います。でも、コンビニから投資銀行までさまざまな姿で外国人の姿を見ます。そういった社会になりつつあるからこそ、マインドを成熟させていかなきゃならない、だけど現実にそこまで体がついていっていない、という感じでしょうか。

正直、日本で「メリークリスマス」と言うこと自体の問題は(事実上)さほど大きくないと思います。別にこのエントリも「メリークリスマス」ということを全面的に批判することを意図しているわけではまったくありません。ただ、「典型的・平均的な日本人」(=日本で生まれ育ち、人種的にも100%日本人、同様のテレビを見て、無宗教・・・・etc)じゃない人から見て日本がいかに暮らしにくいか、という点は、(自分も含め)多数はに入っている人間にはわかりにくい。

最近、この点に関してちらほらと思うところがあるので、別の観点からまたエントリしようと思います。

(つづく)


(参考)
上記ウィキペディアによれば、このほか、例えば、↓のような類型があるとされています。


例えば、職業名に"-man"とつくものは女性差別的でありポリティカル・コレクトネスに反するとして、"-person"などに変更される。議長(英:chairman)の場合は"chairperson"又は単に"chair"、警察官は"police officer"、消防官は"fire fighter"と表現する。女性が専業主婦であると決め付けるような表現も問題となる。

また、身体的特徴を持つ人を述べる際には、その特徴に直接言及することは避けて婉曲表現を用いる(例:mentally challenged、hearing-impaired)。

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by sipoftip | 2007-12-01 04:50 | 雑感


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