ヴィンテージウイスキーと感動の感受性


今,ウイスキーを飲んでいます♪

BLANTON'S Gold Editionという銘柄のバーボン。

ウイスキーで思い出す話があるので,「舌が肥えた?」というテーマと
関連して書いてみたいと思います。

●ヴィンテージ・ウイスキー初体験

学生時代くらいのとき,
家に何故か「山崎12年」が届いていたので,
ちょっと飲んでみました。すごく薫り高くて美味しいと思った。

すごく感動しました。

その翌年。。。。

司法修習で指導担当の師匠のところに挨拶にいきました。
ウイスキーが好きとのこと。そこで,当時の感動を思い出し,

「山崎とか大好きです。響きとかも美味しいんですかね?飲んだことないんですが。」

といってみた。そしたら,

「山崎なんか全然じゃ。今度美味しいところに連れていってあげよう。
ちなみに,響きなんて混じりもんじゃよ。」(→多少誇張あり(・・;)

当地きっての美食家とも評された(?)先生。
先生の行きつけで夕ご飯をおごってもらった後,
そのウイスキーバーに連れて行ってもらう。

シングルモルトを初めてショットグラスで飲みました。

すごく薫り高いこと。
こんなウイスキーがあるのかとビックリしまた。

確か,バランタインのVintage(1970年代だった気がする。。。)

さらに値段の高いこと!
1ショット7000円くらいだったかな?

●感動への感受性

そのときもすごく美味しいと思った。

でも,感動の質として,山崎の衝撃の時よりも
上かと言われれば,そうとは限らない。

きっとそれまでに舌が肥えていたからかも。

前回のエントリでも書いたけど,客体のレベルが上がったとしても,
感動する主体の感受性が上がらないと,感動の度合いは上がらないんじゃないかと。

例えば,その日,しっかり運動もして,シャワー浴びて気持ちいい感じになると,
普通のご飯でもとても美味しく感じられる。逆に,寝不足のまま高級フレンチに
いっても効果半減かも。

そういう意味で,日々,感動の感受性を保つため

「自分メンテナンス」

が重要だなー。そう感じる今日この頃です。

また,舌が肥えるということは,感動しにくくなっていることの現れ。

さっき書いた山崎のウイスキーで感動が日々あれば申し分ない。

たけど,感動をすればするほど,舌が肥える。

そうすると,より高品質のものを求めていく。

脳に宿った欲望がどんどん太っていく。
千と千尋の神隠しのモンスターのように。

よく「食通」みたいな人がいるけど,たまにそういった膨らみすぎた
欲望の固まりみたいになっちゃっている人がいますね。特にえらい人。

そういう感じにはなりたくない。
いつも素直に感動できる人でいたいものです。

でも,脳の「美味しいものを食べたい!」
という欲求が強いほど,素直に感動することが難しくなる。うーむ(・・;)

●舌が肥えたと造詣が深いことの違い

例えば,研究でよりハイレベルなものを満たす,スポーツでハイレベルなプレーをする
,そういった欲望を満たすために,レベルアップしていくことがありますよね。

これも基本的には「舌が肥える」のと,(より違いが分かるようになる→ハイレベルなものを求める)
という点において,基本的には同じメカニズムだと思います。

でも,欲求・欲望の実現過程において,

①自分が受動的→舌が肥える
②自分が能動的→スポーツとか

という違いがざっくりとあるのかも。
快楽を求めるという本質の点では変わらないはずなのですが,自分の美学的には
②の方が格好いいと思います。

同じ快楽を求めるプロセスなのに,評価が分かれるのは何故なのか?
ちょっと難しいテーマですぐに答えもでないので,また今度書きます♪
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by sipoftip | 2007-08-30 02:34 | 雑感


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