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ひっこし



パリにいまーす。気分的にちょっとブログを変えてみようと思います。とりあえず、エキサイトブログにしましたー。が、気が向けば別のブログに変えてしまうかもしれません。

よろしければ、今後はこちらでお願いしますっ!
# by sipoftip | 2009-07-28 08:13 | 雑感

引きがいい-7月3日-



ビンゴとか宝くじはからっきしだめだ。まったくと言ってよいほど、当たったことがない。
そういう意味で、引きが良かったことはない。

さらに、今までを振り返っても、運が良かったからできた、と思い返すことはほとんどないような気がする。
少ないながらも、今まで出した結果については、相応の原因がちゃんとあって、それを意識的に説明できる場合がほとんどな気がする。だから、「俺は引きがいい!」と思ったことは、あまり多くないだろう。



だけど、神様がそんな俺を見かねてかどうかはわからない。だけれども、引きがいい場面もあるようだ。


     *    *    *



ボストンでは、海外からの留学生がアメリカのカルチャーに溶け込めるように、留学生をホストするボランティア活動があって、「とりあえず、現地の人とも知り合えるならハローウィンとか楽しそー」とか思って申し込んでみた。申込用紙に趣味とか経歴とかを書き、学校側がそれとマッチするようなホストを引き合わせるシステム。

先日、そのホストから紹介文が送られてきた。「地域の人々と溶け込む」って書いてあったから、すごいローカルなおっちゃんが出てくるのかなー、とか思っていた。。。。。(たとえば、セックスピストルズが大好きで、ハーレーに乗ることを夢見て、毎日工場から帰ってくると、ビールを飲みながらアメフトを見て、自分の裏庭の芝がちゃんと刈られていることを誰よりも気にして、それを誇りに思う、そんな典型的なアメリカ人。)

だけど、蓋を開けてみて、びっくり。

MIT→某大手コンサル→HBS→コンサル→起業&売却→起業→半引退+エンジェル投資家兼ベンチャーキャピタリスト

とのこと。奥様もコロンビアで博士号取得のようで、わお(++;)

典型的な成功の一類型でしょう、これは。とりあえず、自分の最近の興味範囲をかなりど真ん中で網羅しているので、かなりエキサイトしました。趣味がバックパッキング、トレッキングなど、結構そちらで気が合ったので、うまくマッチングされたのかも。引きがいいのす。この出会いをうまくキャリアに活かしていけたらな、と切に思います。


そう、引きがいいみたいなのです。




   *    *   *


かつてのホストファミリーからメールが来た。「いつボストンに来るんだい。僕たちも遊びに行くよ。
できるだけ多くの休暇を一緒に過ごしたいんだ。」

もう10年が経ち、ひさびさの再会。ここまで思ってくれるファミリーを持てたこと自体が奇跡に近い。


そう、引きがかなりいいみたいなのです。



   *    *    *


出発前夜。パッキングが全然終わらなくてぶっ倒れていたら、すこしマッサージをしてもらってしまった。
どう考えても、年齢的には僕がやってあげるべきものだろうに。ふと布団を持ち出してきた。


「いい布団が手に入ったの。なんか布団に水晶が入ってて、どうもこれで血流がすごく良くなるみたいなのよ。」


「えー、でも、なんか胡散臭いよー。てかさい、それって高いんでしょー?いくら払ったの?苦笑」


「そうねー、結構高かったわー。」


「またー、いつも何かそういう健康系にはまっているよね。前は気功だったし、その前にもハーブマッサージとか、いろいろ手を出しているじゃん。またそんなに沢山買っちゃって、うーん、まあ、お父さんがいいんならいいんだけどさ。それにしても、鴨っていうか何というか、うーん、まあ、いいけど。」


まるで、呑気にだまされちゃって、だめだなー、という口ぶりでちょっと言ってみた。
あたかも、暇でお金が余っている主婦が、果てしなく美容や健康を求めるように、いろいろと試してて、世の中であくせく働くサラリーマンが働いている間に、そうやってお金を使う人もいる、それはとっても優雅であるけど、それ以上に滑稽なことでもあるのだ、というような口調だったかもしれない。


すると、マッサージをしながら、「そう。確かに、いろいろと試してみているわ。でも、やってみて、それが本当に健康にいいな、と思ったら、是非ともそれをお父さんやあなたたちにも試してほしくて。だから、騙されているとか、いろいろ馬鹿にされるようなこともあるかもしれないけれど、やっぱり自分がいいと思ったものは、お父さんやあなたたちにもやってもらいたくて。」

しまった。心の中でつぶやいた。不器用である。とっても不器用である。だけど、その奥にあるものは代えがたい。


そう、とってもとっても引きがいいようなのです。

(おしまい)
# by sipoftip | 2009-07-03 21:21 | 雑感

ある期待(ベンチマーク)と別の期待(託された夢)-6月20日-




今日はどうにもこうにも二日酔いがひどかったー。
さらに、すこし胃が悲鳴を上げてしまいました(きっと、そろそろ肝臓も・・・(++;))。

↓こんな感じでした(・・;)

ある期待(ベンチマーク)と別の期待(託された夢)-6月20日-_e0117054_1401469.jpg


ただ、これは嬉しい悲鳴とでも言うんでしょうか。
本当に有難いことに、連日いろいろな方から壮行会を開催していただいており、いかに人間関係に恵まていたかを再認識する今日この頃です。


    *    ある期待(ベンチマーク)    *


そして、昨日のこと。

僕の出た高校は、秀才を生み出す学校ではないという点で確たる評価を確立している一方で、奇才?みたいな人が生まれる土壌があるとの評価もある。実際に、まとまりがないけれど、何となくアイデンティティーがあるみたい。そして、昨日壮行会をしていただいたのも、そんな高校の諸先輩方。

いずれも、「ひえー、こんな人、本当にいるんだ」というのが素直な感想の方々で、会うたびに自分の立ち位置を見直さざるを得ない。あの先輩方があんなところにいる、じゃあ、自分は今どこにいるんだろうかな?という感じで。

でも、逆に、「そういった人もあり得る。ここまでのキャリアの人もいるのね。」と認識が広がるから、自分に限界を設けようとするときに一歩留まれる、逆に、ストレッチ目標を定めるときのベンチマークになる。そういった意味でも、アイオープニングで、刺激にも事欠かない。



ある先輩が言った。「せっかくなんだから、今まで僕ら先輩がやっていないことをやって欲しいな。是非、自分の息子のベンチマークにもなって欲しいし、そういった後輩を見ているのが楽しみなんだよ。」

「いえいえいえ・・・」と恐縮していると、「きっと、20年後に、今の僕がどんな気持ちか分かるようになるよ。」とのこと(・・)。



    *    不満足なオプティミスト    *


自分のキャリアに対する自己分析としては、もう少し進めば、ようやくスタート地点にそろそろ立てるかなー、ただ、スタート地点に立てるかもまだまだ怪しいし、もう3跳びくらいは必要だしなー、という状況。巷では、30代は20代で培った能力・経験を十分に活かしながら活躍するとき、といわれているが、果たして自分にその素地があるのだろうか、と振り返ると大いに疑問がある。今までも、その時々の状況に応じて、自分なりに頑張ってきたつもりだけど、そうであっても、こんな程度の感想なのだ。

周りからどう見えようと、「自分は全くをもってまだまだ」という点は変わらない。


そう、一言でいうと、現状に全く満足していないのだ。
これが幸なのか、不幸なのか。きっといずれでもあるのだろう。


でも、先輩の言うとおり、「先輩達の世代がやっていないこと」の方が断然面白そう。
それを渇望する度合いも決して小さいものではない。そういった意味で、トラディショナルなキャリアを歩むことの魅力が、日に日に薄れてきている。だから、進みたいのだ、次に。

じゃあ、HOW?どこにいくの?どうやって?
見えているかな?見えているようで、まだぼんやりしているかな?
もどかしいが、できることから始めておくしかないんだろう。でも、その「できること」の達成すらままならないのが、現実。


ただ、悩んでいるかというと、果たしてそうでもない気がする。心は本能の方向に向かっているわけだし、結局それがどう形造られていくかは、次第に時が明らかにするだろうし、そういった意味で、結構、オプティミストなのだ。




    *    別の期待(託された夢)    *



とべーにあたり、周りの方から色々とアドバイスを頂いたり、中には、僕の将来のことのを自分の夢のように描いてくださる方々もいる。おばあちゃんなんかは、「あなたがのれんを継ぐのが、おじいちゃんの夢だったんだから、素晴らしいわ。」なんて言うし、「ちゃんとした(安定的な)家庭を作るように」なんていう人もいる。

これらの夢は多くの場合、僕が描くそれと異なる。別に、のれんを継ぐかどうかは、先に述べた「先輩たちの世代がやっていない」断然に面白そうなこと、に比べれば僕にとって遥かに小さな問題に過ぎないし、おじいちゃんの夢だって、それが今の僕を縛ることもないし、意思決定に影響を与えることはないなー。また、安定的な家庭を築くために、収入やジョブセキュリティを優先すると、ものすごく選択肢が狭まってしまうしね。そういった意味で、周囲の人から夢を託されると、まるで異物を口につっこまれたような感覚を覚えることもある。

だけど、他の人が僕に重ねて夢を描いてもらえること自体は非常に素敵なことだと思うし、あえてこちらからそれを潰すようなことはしたくないな、と思う。でも、僕の中の歯車は、彼らとは全く違ったところで回っているようだ。

どちらかといえば、とべーまでの経緯(今までたどってきたルート)を見てみると、おばあちゃんしかり、そういった周囲の期待に沿うようなルート(レール)と非常に重なり合うような気もする。そう思われてもおかしくないな。だけど、ここからどうずれていくか。ずれていく方が断然に面白そう。だけど、周囲の家族には、「期待するレールを今までも来たし、これからもそう行くだろう」という風に感じている人もいる。そういった場合、どんなに暖かい祝福の場においても、とてつもない孤独と距離感を感じることがあるのだ。





    *    でもやっぱり    *




毎日パーティー三昧の日々であって、浮かれているように見える中、まったく浮かれることはできず、色々と思うことばかり。出会いや色々とサポート・祝福をしてくださる人たちに対する感謝の念は尽きないけれど、一方で、キャリアでの根本的な不満足を抱えているようなので、なかなか思うほど浮かれられないのが実情。そんな今日この頃。でもさ、自分としては、先輩が寄せてくれた「ある期待」(=ベンチマークになる)は是非応えたいなあ。というかむしろ、超えたいなあ。

逆に、「別の期待」(周囲の夢)については、おそらく応えられないんだろうなあ。周囲の人というのが、おばあちゃんしかり大切な家族だったりすると、託された期待に応えないことに伴う心の痛みも相当なものがあるかもしれないし、きっとそちらに従った方が楽で、色々なことがスムーズに進むといった事態にも直面するのかもしれない。だけど、応えたときのプライスがあまりにも高すぎる。だって、プライスは人生そのものなんだから。周囲の人も、きっと僕が人生という対価を支払うことを望んでいるわけではないと思いたい。

ひょっとして、いつか将来これを読んで、自分が「ある期待」をかなえられないままに、「別の期待」に応えているようであれば、僕はすごく切なくなるだろう。さて、また明日から


こんな好奇心や

ある期待(ベンチマーク)と別の期待(託された夢)-6月20日-_e0117054_146842.jpg


こんな素直な気持ちを忘れずに、

ある期待(ベンチマーク)と別の期待(託された夢)-6月20日-_e0117054_1461875.jpg


「ある期待」に応えるためにも、できるところから準備しよっと♪先輩、家族、友人その他の方々に感謝の念が絶えません。

(ひとまずおしまい)
# by sipoftip | 2009-06-21 01:33 | キャリア/コトバ/ロールモデル

ステップバック-6月9日-




知人が頑張っていて、すごく伸び伸びと成長しているようだ。
また、新たに一歩道を切り開いたみたい。


はあ、すごいなー、羨ましい。あんないい環境で伸び伸びとやれるなんて。昔はあまり距離を感じなくて、実際にそこまで変わらないはずなのに、なんであんなところまで行ってしまったんだろう。



目の前の仕事をしつつも、ふと目にした記事を見て、そう思った。これは、ある種の本能的な衝撃であり、あまり抑えようがない。それはある種の健全な競争心ともいえるのかもしれない。


そこで、少しテンションが下がり、仕事もあまり手につかなくなる。
メンタルなものが突然飛び込んできた場合、それを自分なりに消化して昇華しない限り、これはある程度仕方のないことなのだ。



じゃあ、どうやって消化し、昇華するのか?




今いる彼のポジションが、今僕がいるポジションと比べて随分と高いように見える。そう感じたときの感情は、うまく言い表せないけれど、単に「羨ましい」と「敗北感」と「悔しさ」と「虚しさ」がごちゃごちゃに混ざったような感じだ。別に今回初めてというわけではなく、今までもそういったことは何度となくあったかもしれないし、逆に、自分が他の人をそういう気持ちにさせてしまったこともあるだろう。

それは、行為というよりも現象であり、どちらかというと、その発生は自分でコントロールできない性質の事柄に属する。だから、そういう気持ちになってしまったこと自体は仕方のないことかな。



そう、だから、問題は、発生したそれをどうやって取り扱うかなのだと思う。



ふと考えてみる。


さっき、彼のいる場所(ポジション)が自分のそれよりも高いと感じてしまったけれど、
では自分はどこにいるのだろう?そうやって振り返ってみると、今の自分の立ち場所(ポジション)に至るまで
には長い長いまるでチューブのような直線があって、それらがつながってきて、自分が今の位置(ポジション)に立っているわけである。


じゃあ、今までの位置(ポジション)に至るまでのチューブのような直線の中身を見てみると、何が見えるだろうか?もちろん、無駄なこともあるし、非効率なこともあるけれど、自分のポジションにいたるまでの直線(経緯)を構成するチューブには、さまざまなものがぎっしりつまっていて、それが掛け替えのない自分を作っているのだな、と。無駄、非効率なものと書いてしまったけれど、無駄、非効率かどうかは一定の指標にしたがって(このため、他の指標を捨象して)暫定的に出した一つの結論に過ぎず、それが本当に無駄、非効率化はわからない。だって、意外にボーっと見ていた風景がすごく心に刻まれたりするしね。


そもそも、「今いる彼のポジションが、今僕がいるポジションと比べて随分と高いように見える。」と書いてしまったけれど、彼は高いところにいるんだろうか?高いって何?


単純な高さで比較できるほど世界は単純じゃない。
単なる3次元の世界ではなくて、X軸、Y軸、Z軸のほかにも様々な軸があるのだ。そして、それぞれの立ち位置に至るまでの直線のチューブに詰まったそれぞれの人生は、さして容易に比較できるものでもないし、逆に、それは他で代替できない自分の人生そのものなのだから、それは否定できないよなあ、と。

そう思って、自分のポジションと彼のポジションが優劣なく「違う」だけのものなのだ、と。こういう考えが、頭で理解するのではなく、すっと腑に落ちるようになった。


そこに至るまでメンタル面をコントロールできる、少しずつステップバックして、問いかけて、一つ間違えるとコンプレックスになりそうな毛玉を丁寧に解きほぐしてみる。


そうすると、また、心の調子は不思議と元に戻り、次の日常へと進んでいけるのだ。












ステップバック-6月9日-_e0117054_14771.jpg

# by sipoftip | 2009-06-10 01:34 | 雑感

Oh, Dear! Oh, Deer!-5月13日-




部屋の後輩君のカトーセンセー(仮)は、すごくまじめ。一見、まじめじゃないのでは?と思わせつつ、実は雀士なんだけど、それでも、すごくまじめなのだ。



先輩にうっかりため口を聞く後輩も多い中、非常に彼はマジメだ。思わず、カタブツなんじゃないかとおもってしまうくらい。



彼の話す英語はとてもシンプルで、かつ、素朴だ。マジメさがよく現われている。


元気でちゃきちゃきしているカレンとよくちぐはぐな会話をしている。

「カトーセンセー、イマ、イソガシイデスカ?」

「アイアムノットビージー」

「カトーセンセー、ワタシハ、シューマツ、オトコノコト、マチニ、アソビニイキマシタ」

「カレン、アイシンク、ユーハブ、メニーボーイフレンド」

「カトーセンセー、ソレハタイヘンデスネ、Oh Dear!」



そんな、カトーセンセー、いつも彼女とデートしている。


>カトーセンセー、今日フットサルいく?

いや、彼女とデートが・・・・

>カトーセンセー、週末にホームパーティー来る?

いや、彼女とデートが・・・・

>カトーセンセー、二次会いかない?

いや、彼女とデートが・・・・



そんな平穏な日々。

「カトーセンセー、キョウノ、シャツハカッコイイデス」


カトーセンセーが着ている紺のストライプが入った白シャツをさしてそう言った。


「ジスイズ、ア、プレゼント、フロム、マイエックスガールフレンド」


まったくいつもと同じ表情を保ちつつ、すごくマジメな口調で彼はそういった。


「・・・・・・・・・・カトー、センセー!!Oh,Dear!!Oh Dear!!」


この意外性、もはや天性。平凡な一日の一番のラインでした。Oh Dear!Oh Deer!

Oh, Dear! Oh, Deer!-5月13日-_e0117054_1552435.jpg

# by sipoftip | 2009-05-14 02:14 | 雑感